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フィクションの日々

エンドロールが流れはじめてもなお、涙がぽろぽろと頬をつたう不思議。
激情とは程遠い。いったいなぜ泣いているのか自分でもうまく説明のつかないまま、ただ静かに心が揺さぶられつづけているのをひたひたと感じていた。

黒木華さんの演技を無性にみたくなって、数年ぶりに映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観た。
冒頭から大好きな曲が流れたので胸がときめく。そうだった、主題となる「フルートとハープのための協奏曲 第二楽章」をはじめ、この映画ではクラシックの名曲が随所がちりばめられているのだった。
主人公の七海は今のわたしと同じ23歳。派遣教員の仕事をしながらSNSで知り合った男性と結婚、しかしその日々は程なくして破綻する。その後、ホテルの清掃員、屋敷での住み込みメイドと、職や居場所を転々としながら生活を送る七海は一見、目の前のことに食らいついて生き延びているように思えるが実際は、なんでも屋である安室の見えざる手によって少しずつ導かれた道をたどっているのだった。

約3時間もの長丁場をとおして描かれる世界は、一貫してなんだか非現実的で、静けさに満ちているように感じられる。色彩をおさえた画面と、主演である黒木華さんがつくり出す控えめながらも印象的な世界観は、それだけでも鑑賞に値するなと思う。
その静寂が破られる数少ないシーンのひとつに、物語の終盤で七海と安室が真白の実家を訪ねるところがある。真白の老いた母親が、AV女優として生涯を閉じた娘を想いながら服を脱ぎ捨てて泣き出し、それを見た安室もつられたように全裸になって、二人で号泣しながら酒を酌み交わす。その様子をおろおろと眺める七海も、服は着たままであるものの豪快に酒を干しながら笑い泣きをするという、どこか滑稽でありながらも、たまらない気持ちにさせられる場面。なぜだろう、なぜだろうと思いながら唇をかみしめてわたしも泣いた。
ふと、数年前にこの映画を観た母が「あのシーンの安室さんの涙だけは、どうか本物の気持ちであってほしい」と言っていたことがよみがえる。口がうまくて人を取りこむのが上手で、どこまでが嘘なのかもわからないくらい虚構で塗りかためられた安室さんという人のことを想う。本当にそうだ、せめてこれだけは本当の気持ちであってほしい。どこかで出会ったことのあるような、安室さんみたいな名前もしらない誰かに向かっても同時に、祈りのようなものを捧げていることに気づく。

平日の昼間に外を歩く。知らない道ばかりを選んでかまわずどんどん突き進んでいると、ひとけのない住宅街に行き着いた。
日の光がふんだんに降り注ぐ静寂の中をひとりで歩いていると、なんだかすべてがフィクションみたいに思えてくる。世界中にその影を落とすウイルスも、すぐそばで根付いているはずの人々の生活も、今ここに立つ自分の存在すらも。絵に描いたように平和な空気があまりにも満ちているのでなんだかこわくなってきて、もしもわたしが愉快犯的に人を殺めるならばこういう時間帯のこういう場所を選ぶだろうなとぼんやり思う。
まだ日の高い昼間と夕方の境目、ひとりの部屋に帰ってきて恋人と連絡をとっていても、非現実感はますます強まっていくばかりだった。フィクションの中で生きるわたしは、いったいこれまでどうやって現実と折り合いをつけてきたのだったか、今日はなんだかうまく思い出すことができない。

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