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メンヘラの矜持

自分の恋人、ないしは好きな人に「かつて愛し合った誰か」が存在するという現実を、いつまでも受け入れられずにいる。
自分だってそうじゃん! というまばゆいほどの正論は、ごみくずほども役に立たぬ。そんなこと、かしこい頭の方はとうの昔に理解しているのだ。誰にだって過去はある。わかる、ようくわかっている。

問題は心の方である。
どうにもややこしいことに、頭と心がうまく連動しない事案はしばしば発生する。なにがなんでも現実を認めたくないあまり、「ねえ嘘でしょう、嘘って言ってよ嘘なんでしょう」と相手の肩をひっつかんで揺さぶり倒したくなってしまう。(そして小声で問う「ねえ記憶を消してもいいですか?」「やめてください」)

嫉妬というみにくい感情もまた、その事案の被害を受けやすいゆえに発生するものである。
頭の方で理解ができないことなんて、実はまずないのだ。なぜならわたしはもう22歳のいいオトナで、幼稚な高校生ではないのだから。仕事相手、昔なじみの友人、大事な後輩、わかるよあるよねそういうの、よくわかる。
もちろん、わたしにだってある。成り行き上、もしくは自分からそう望んで、そのひとと二人きりになったりすることもあるだろう。(あるある)

ここで重要なのは、そのひとが生物学上「女性」と分類されることではなく、恋人ないし好きな人にとって、そのひとが「付き合う必要のある」あるいは「仲の良い」、「大事な」人間であるというその事実である。
なにひとつ間違ったことは言っていない。理屈の上ではそのことを完璧なまでに理解し、深く納得すらしているのだ、いつもわたしは。

ところがどっこい、心の方は一向にうまく飲み込んでくれないのである。
わたしとてつらいのは、「わかっている」にもかかわらず、感情の方ばかり勝手に激しく渦巻いてしまうこと。「なにそれ、意味わかんない! キィーーー!」と言い放てたらどんなにか楽だろうと思う。少なくとも頭と心が一致しているのだから。

しかし、わたしの場合は「わかる、何もおかしくないし、わかるよ……。とはいえ無理すぎて無理、あ、ちょっともう何も見たくないし聞きたくないから大丈夫です、うん記憶消してもいい?」ってなってしまうからタチが悪い。救いようがない。沈んだら最後、浮かび上がるのはいつの日か。

「男女関係にあたるサムシング」の存在を懸念してしまうから、というわけでもない。
見るからに清らかな、疑うことすら申し訳なくなるような関係性であることを、たとえマリアナ海溝より深く理解していたとしても、感情は勝手に散らかるし、どうしようもなく渦を巻く。

多分、もはやそういう次元の問題ではないのだ。反射の反応に近いのだと思う。わたしの意思とは関係なく、遺伝子レベルで組み込まれてしまっているのかもしれない。(と、思いたい。)

「嫉妬とは、相手ではなく、自分自身をがんじがらめにするものなのだ」と、なにかの小説で江國香織さんが言っていた。
本当に、ほんとうにその通りだと思う。

頭と心が一致した嫉妬(「なにそれ、意味わかんない! キィーーー!」バージョン)であれば、おそらく相手に束縛という名の足枷をはめることになるだろうから、この限りではない。
しかし、頭と心が一致しない嫉妬(「わかる、何もおかしくないし、わかるよ……。とはいえ無理すぎて無理、あ、ちょっともう(以下略)バージョン)の場合は、見事にこの理論がぴったり当てはまる。

嫉妬を感じずにすめば、相手も自分もすこぶるすこやかに過ごせることはすごくわかっている、のに、しんどい方へと勝手に沈んでいってしまうこの哀しさよ。がんじがらめのその先に、はたして光はあるのだろうか。

名付けて「頭と心不一致型嫉妬」(長い)、その唯一の良いところは、誰にも迷惑をかけることなく、すべて自己完結できるところ。
勝手にしんどくなったとしても、そのうち自力で這い上がって、ふたたびごきげんに暮らしているのだ。結構えらいと思う。誰も褒めてくれないので自分で言っちゃうと、わりとえらい。(ただし、くり返す頻度は異様に高い。)

そんなわたしを、親友は「他人に迷惑をかけないタイプのメンヘラ」と呼ぶ。
いつも笑いながらそう言うので、多少のばかにされている感はなくもないが、ちょっと気に入っている呼び名である。

なんでも、その子の男友達の恋人がものすごい「頭と心一致型メンヘラー」であるらしく、しばしば飛んでくるとばっちりに辟易しているというのだ。恋人だけならばまだしも、メンヘラの矛先をその友人にまで向けてしまうというのは、たしかに良くない。
それにひきかえ、わたしは「人様に迷惑をかけないタイプ」。ふふん良いことじゃないの、と思う。

根っこの性質を変えることなんて、この先もきっと出来ないだろう。
それならせめて、まわりに害を与えることなく、ひっそりと重くありたいじゃないですか。それが、自己完結型メンヘラとしての矜持なのだと思っている。


#エッセイ #恋愛 #愛 #メンヘラ

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