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勿体ないかどうかは自分で決める

「そんなん、今しかできひんやん!」
「今やっとかな勿体ないで!」
みたいなセリフを、わたしと同世代の若者は特に、よく耳にするのではなかろうか。

たとえばそれは、学生時代の海外旅行。
周囲の大人たちに「社会人になったら長期休みなんか滅多に取れんのやから、借金してでも行くべき」と言われた経験があるのは、きっとわたしだけじゃないはずだ。

たとえばそれは、資格の取得や勉強。創作。
社会に出てからそれらに取り組むというのは、仕事の合間を縫って、疲れた体に鞭打って必死で……と過酷なイメージが強い。

わかる。
その通りなのだろうし、実際働きながら保育士の資格を取得した母は、毎日4時に起きて勉強をしていた。

でも、と最近思うのだ。
「今しかできない」と「今やりたい」ことは必ずしも一致しないし、なんなら対極にあることの方が多いのだと。


たとえば今、わたしはカナダのトロントに来ている。
最たる目的はワーキングホリデー中の恋人に会うため、ほんでできるだけ長く側にいたいから、ひまな大学生のわたしは約3週間の滞在を企てた。そして、その通り実行した。

誰に気兼ねすることもなく、およそ1ヶ月間の海外旅行(ちなみに、カナダの後はニューヨークへ行く)。やるべきことも心配事も何もない、まさに「今しかできひん」の極みやん! と大人たちは言うだろうし、わたし自身もそう思う。

しかしながら、わかっちゃいたけど彼はほぼ毎日不在である。だって働いているのだ。ゆえに、一人で過ごす時間がめちゃくちゃ長い。実にひま。
トロントはかなり広いので、それなりに行くところも見るものもある。一人だろうと何処へでも行けばいいのだろうし、一人で出かけることへの抵抗はまったくないのだがしかし、それ以前に。

ここにきて「出かけるのが億劫」という気持ちが生じてしまったのだ。

我ながら、結構ドン引いた。
元来自分が出不精であることはよくわかっていたし、1日遊んだら1日引きこもるくらいのペースでないと元気にがんばれないほど弱っちいことも知っていたが、まさか異国でもそれを発揮してしまうとは。え、今? という気持ちでいっぱい、だが紛れもない事実なのだった。

居候先のシェアハウスに住む人々や恋人や、電話で話す家族から「今日は何したの?」「明日は何するの?」と聞かれるたび、わたしは密かに緊張した。
えっと、今日はスーパーに行って、それから今後の予定を立てて……と、もぞもぞ話す。ごめんなさい、全然「今しかできない」を実行できてなくてごめんなさい、と誰にともなく心の中で詫びながら。

正直、9日中の3日は家で寝ていた。
来て早々体調を崩したせいもあるが、それ以上になにもかもが億劫で、外に出るのが嫌だった。街へ繰り出したり観光名所を巡ったりするよりも、おふとんの中でスマホをいじったり本を読んだり、うたたねしたりしていたかった。
これじゃ日本にいる時となんら変わらない。こんだけ離れた場所に来てもそこはぶれへんのやなあと、わたしは妙に感心すらした。

そんな経験、この先滅多にできひんやろうに勿体ない! と、母なら怒るかもしれない。
そんなん言われたって、今しかできんこととやりたいことは違うんやもん……なんて、言えるはずもないのだが。


甘いなあ、(違うけど)ゆとりやなあ、と我ながら思う。
しかし、心底やりたいわけでもないのに「いつか絶対後悔するから」という理由だけで「今しかできない」を必死にこなすのも、なんか違くないか、と思うのだ。今回のわたしの例はともかくとして。

「将来『あん時やっとけばよかった……』と後悔しないためだけに、今しかできないことを必死で探す時間」とは。
それ自体にも意味があるといってしまえば終い、事実わたしも通ってきた道ではあるが、「今しかできない」だけに振り回されるのもなんだかなあ、と思ってしまう。
それならば、毎日昼過ぎまで寝ていたって誰にも叱られない、平日に朝まで馬鹿騒ぎしていたっていい現状をありがたく享受していた方が、よっぽど健やかに生きられると思うのだ。


自分の中でそう結論付けたわたしは、半分くらい「ほんまにやりたいこと」、残りの半分くらいは「今しかできひんを優先させたこと」で日々を構成することにした。

どうせ春から社会人。嫌でも規則正しい生活が待っているのだから、今くらい好き放題やらせてほしい。たとえそれが大人の目から見て「なんで今するん、勿体ない……」的なことであったとしても。

とりあえず今は「半日観光・半日おうち」を目標に、残りのトロント生活を全力で楽しもうと思う。
贅沢すぎる悩みでどうもすいません。それもまた「今しかできひん」悩みということで、まあひとつ。


#エッセイ #大学生

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