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クリエイティブに殺されない

こらえきれずに嗚咽が漏れたのは15:08。キナリ杯の受賞式が始まって、二度目の「特別リスペクト賞」が発表されたあとだった。

それまでに発表された10作品の中に、自分のものが入っていなかったことが悲しかったのではない。何せ応募総数は4240作である。

なんでみんな、こんなにおもしろいんだろう。

ランダムに開いた受賞作の一つめで「くっ」と奥歯をかみしめて、二つめでにじんできた涙を無理やり押し戻し、しかし三つめを読み終えたらもうだめだった。
文章の内容の問題ではない。むしろ受賞作は笑いに振り切ったものも多いというのに、なんだかわからない感情にすっかり支配されてしまって、わたしはひとりでおんおん泣いた。

たぶん、めちゃくちゃ悔しかった。なんでみんなこんなにおもしろいんだよ。なんでこんなに胸にくるものがあるんだよ。
それに引き換え自分ときたら。何にも成し遂げていない非凡な才も持ち合わせていない、悔しいと思える資格をほど有するほどの努力すら怠って、毎日だらけてばかりいる。
情けない。くやしい。嗚咽は次から次へと漏れた。

悔しいと思えるならまだ戦えるね

今でも唯一コミックスを買い揃えている漫画『ブルーピリオド』のセリフがふいによみがえる。

なんでわたしは悔しいんだろう。

何者かになりたい。力を認められたい。わかりやすい結果が欲しい。結局のところ、口にするのも恥ずかしいような、そんな承認欲求にすぎないのかもしれない。
果てがないことが怖くて、具体的な結果が出る道を避けながらふんわりとやり過ごしてきた。しかし、結果が欲しいのならば戦いつづけなくてはならない。

でも、どこに向かって、だれと戦えばいいんだろう。

いまや、業種や媒体を選ばなければ、だれだってライターを名乗れる時代だ。
現にわたしも大学在学中からその端くれとして仕事をしているけれど、じゃあこれからキャリアアップを重ねて、ライターとして有名になりたいんだろうか。業界内で一目置かれるような? ツイッターでしょっちゅうバズるような?

それとも、作家になりたいんだろうか。だれかに依頼されたことではなくて、自分の世界観や主張を文章にするような?
しかし、そう名乗る人たちのように、わたしはどうしても届けたいメッセージを持っているわけではない。

いや、というかそもそも、なんでそれほど“書くこと”にこだわっているんだろう。

もちろん、ずっと好きだしちょっと得意だし、ということは大前提としてある。
しかし、いちばんの理由は結局のところ「クリエイティブなことやってる自分にあこがれる」からなのだと思う。文字にしてしまうと顔から火が出そうなほど恥ずかしいな!!

たぶんわたしは自分が期待するよりもずっとずっと単純で、行動の多くが「そうある自分をわたしが見たいから」という理由に基づくものなのだと思う。見栄とか人目を気にするまでもないほどささやかなことも。

まさに今、コーヒーを片手にこの文章を書いているのだってそうで、べつに飲みたくもないくせに「コーヒーを飲みながらキーボードを叩く自分」に酔いたかった。おそろしいことに、ほとんど無意識のうちに。

規模は違えどそれとまったく同じ理由で、わたしはクリエイティブな仕事をしていたいのだろう。
べつにそのことが悪いとは思わないが、自分がいいように決めた基準のくせに、勝手にがんじがらめになってしまっているのは本末転倒なのですごく困る。

今のわたしが見たい自分は、いったいどんなふうなのか。
何年も何年も同じところをぐるぐる回ってちっとも前進できていない気がしてすごく苦しい。そろそろ手段の部分に目を向けていかなければ、いつまでも変われない気がする。5年後も同じことで悩んでいる自分は見たくない。

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