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コンプレックスのゆくえ

生まれつき、左目だけが一重まぶただった。
右目は二重まぶたなので、左右で大きさが異なっている。写真で見ると特にその差は歴然で、そのことをなんかやだなと思い始めた思春期の頃、母がアイプチというものの存在を教えてくれた。

とはいえ、ものすごく朝に弱いわたしは、ちょっと早起きできた日だけ気まぐれに付けるような有り様で、トータルで考えると何もしていない日の方が圧倒的に多かった。
要するに、当時はそれほど気にしていなかったのだ。

しかし、高校、大学と進学するにつれ、その悩みはいよいよ本格化していった。
中学時代と比べ、アイプチをする頻度はかなり高くなっていたが、二重のラインがクセ付く気配は一向になかったのだ。

様々な種類の商品に手を出したが、いかんせん手先が超不器用なわたしには、テープタイプやファイバータイプを使いこなすことができず、不自然な仕上がりになる一方。
結局、初期から使っているのりタイプに回帰し、ちまちまとくっつけ続けていた。

だが、依然として左のまぶたは重く、ただでさえ高低差のない平らな顔を余計にのっぺりと見せるばかりである。
たまたまアイプチをしていない時に写真を撮ることになろうもんなら逃げ出したかった。

そうして徐々にふくれあがっていくコンプレックスにとどめを刺したのは、大学1回生の時につきあっていた人の一言だった。

「うわっ、左右で人相が全然違うね!」

化粧を落としたわたしの顔をまじまじと見てそう言い放った彼に、悪意があったわけではないと思う。
しかし、他人からそうもはっきり指摘されたことのなかったわたしは深く深く傷つき、なんとしても左目を二重にしようと固く心に決めたのだった。

その後、血眼になってあらゆる手段を調べまわったわたしは、「寝ている間にクセ付け」を謳った某有名アイプチにたどり着く。
その商品は、それまで使っていたものの5倍くらいの値段がした。学生の身には痛い出費だったが、「整形する前に、物は試しで」という気持ちで購入を決意。

半信半疑で使用を続けていると、なんとまあみるみるラインがクセ付いていくではないか。
ものの数か月で、その商品を使わなくても二重がキープされるようになった。わたしはものすごく嬉しくて、必死になるきっかけを作ってくれた男に感謝すらしたのだった(ちなみにその頃にはとっくに破局していましたが)。

それからおよそ3年間、わたしと二重との蜜月は続いた。
お酒を飲んだり大泣きしたりすると、翌朝むくんで一重になることはあったが、午後になると元に戻った。

右目に比べると若干奥二重ぎみではあったものの、そんなのは十分に許容範囲だった。
写真を撮るのが怖くなくなり、至近距離で人と話すことに不安がなくなり(アイプチとれてないかな、テカってないかな、という恐怖からの解放たるや)、いつしか二重であることが当たり前になっていた。一重だった頃のコンプレックスを忘れていた、とも言える。

しかし、コンプレックスは忘れた頃にやってくる。
すっかり緩んだ気持ちでいたわたしは、そもそも違和感に気づくことすら遅すぎた。
なんか最近調子わるいな、でもまあすぐに戻るやろう、と感じる頻度が増えていることを気にも留めず、ようやくおかしいと自覚した時にはもう遅かった。

単なる一時的なむくみだと思っていたものは、まぶたのたるみだったのだ。

本来の二重ライン以外にへんな薄い線がたくさん現れ、そこへたるんだ部分が覆いかぶさることによって、黒目の上部が隠れてしまっている。
当時あれほど恐れていた両目の左右差が、いつしかはっきりと見てとれるようになっていた。

わたしは、すぐさまアイプチの使用を再開した。
定期コースに申し込み、夜のクセ付けと併せて目の周りのマッサージも始めた。

だが、数週間が経っても、3年前のようにうまくはいかなかった。
朝の洗顔直後はキープされるものの、通勤の途中でもう崩れてしまう。日中にアイプチをしても、たるんだまぶたの重みですぐにとれてしまう。目に力を入れると一時的に二重になるが、数回瞬きをくり返すと元に戻ってしまう。

今までサボっていたツケが回ってきたのだと泣きたくなった。
大げさなようだが、ようやく手に入れた二重を失うのはそれほどに絶望だった。

憑かれたように何度も鏡を覗き込む日々が始まった。
会社の休憩時間や帰宅後には、あらゆる美容整形外科を検索した。友達と会う日やデートの時には、左目を見られたくなくて、できるだけ相手の左側を陣取った。朝の身支度に手間取り、それでもうまくいかなくて、その都度はてしない苛立ちを覚えた。

周りの人間はそんなのまったく気にしていないということは、誰よりも自分がよくわかっている。
たとえ両目のサイズに差があろうとも、「あ、目の大きさが違うんだな」という事実以外、いったい何を思うだろうか。

そもそも、そんな細かいところまで気付くはずもない。
いちばん近くで見ているはずの恋人さえ、わたしが何度説明しても「よくわからない」と困惑し、写真を拡大して見せてようやく「あ~たしかにちょっと違うね。でもそんな気にならんよ」と言うくらいなのだ(やさしい)。

ただ、そういう話ではないのである。
「そんなにわからないよ」と励まされようとも、そのほうが魅力的らしいという記事を読んでも、同じ特徴を持つ芸能人のリストを眺めようとも、わたしにとって「左右の目の大きさが違う」ということが、とんでもないコンプレックスであることに変わりはない。

赤く腫れるという術後の恐怖におびえつつも、いよいよ美容整形かとわたしは覚悟を固めかけた。

カウンセリングの予約を入れる前、なんでもいいから二重に戻す手がかりを見つけたいと、普段あまり使うことのないYouTubeでも検索をかけた。
そうしていくつかの動画を視聴するうち、わたしは予想もしていなかった熱い感情がほとばしるのを感じた。

まず、わたしと同じ悩みを持つ人がびっくりするほどたくさんいることに衝撃を受けた。
細かすぎて誰にも伝わらないだろうと思っていたことを、画面の向こうで話す人がいた(「目の際にある薄いシワが邪魔をして、そのうえに作る本命ラインが負けてしまう」など。無縁な方からすればなんのこっちゃって感じですよね)。

そして、一般に「美容系ユーチューバー」と呼ばれる人たちに共通する、志の高さや研究熱心さ、根気強さに大変心打たれたのである。

6年間かけてようやく定着してきたと話す人、七面倒な自己流のマッサージを披露する人、いろいろなアイテムを組み合わせて毎朝二重を作っているという人。
インスタグラムでよく見かけるぱっちり二重が素敵なあの子も、実は厚ぼったい一重まぶたなのだと知って驚いた。

わたしは「整形をする」ということに対する抵抗感は持っておらず(単に痛みとかがこわい)、悪だともまったく思っていない。

しかし、一番手っ取り早いであろうそこへ直行するのではなく、自分の力でなんとかしてやろうという執念にも近い情熱、様々なツールを駆使して自己流のやり方を編み出す彼女たちの真摯な姿勢を目の当たりにし、わたしは己の怠惰を恥じすらしたのだった。

涙ぐましい、とはまさに彼女たちを指す言葉なんじゃないかと思った。
小さな小さなアイテープをこれまた小さなハサミで工作し、それを爪の先やらピンセットでまぶたに張り付ける様、簡単そうに見えてもいざ自分がやってみると、まあ気の遠くなるような作業である。
彼女たちが現在のレベルに達するまでに辿ってきたであろう道のりを考えると、本当に頭の下がる思いがした。

あらゆる動画を見漁った結果、わたしは「正攻法はない」ということを知った。

まぶたの厚さも、目の周りの筋肉の付き方も、まつげの重さも、誰ひとりとして同じではない。
自分の持つそれらの要素を把握したうえで、ありとあらゆる試行錯誤をくり返し、オリジナルのやり方を探していくしかないのだと、あきらめにも近い気持ちでようやく納得できたのである。

とりあえず現在は、たるみを改善するというアイクリームを塗り込み、夜のクセ付けにはアイテープを使用し、毎晩一生けんめいマッサージに取り組んでいる。

被害者のような面をして、いたずらにストレスを感じるのはもうやめにしたいと思う。
自分を卑下して落ち込んだところで、事態はなんら好転しない。だったらやれるだけのことをやってみて、それでもだめならその時はその時である。

逆自意識過剰に陥り、負の感情にまみれていたわたしにそう思わせてくれた画面の向こうの彼女たちに、心から感謝している。
誰のためでもなく、ただ自分の機嫌をとるためだけに、わたしは二重になりたいと思う。

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