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いっしょにおいしくなりたいの

南極に駐在する8人の男たちの日々を描いた映画「南極料理人」を観た。
近頃、涙腺がすっかりばかになり参っているのだけれど、ついにむさくるしいおじさんたちの食事シーンでぼろぼろ泣くまでに至ってしまい、さすがに我ながらぎょっとしている。

彼らは決して、心を尽くした賛辞を口にするわけでも、にこやかに笑顔を交わしあうわけでもない。
基本的に、食事中は終始無言。時には、堺雅人演じる料理人の作るごはんに対して、ぶつぶつ文句を言ったりもする。
にも関わらず、というかだからこそ、時折ふっと漏らす笑みや、無我夢中でほおばっては満足げに目を閉じる様子に、わたしは胸を打たれてしまったのだった。

ああ、そうだった。食べることというのは生きること。
そのシンプルな営みに、どうしてこんなにも揺さぶられるのか。それは考えるまでもなく、わたしがここ一ヶ月以上、その営みを誰とも共有していないからだ。

朝昼晩、毎日まいにち、自分のためだけに作ったごはんを、自分ひとりきりで食べる。
だれかのために作ることも、だれかが自分のために作ることもない。

だれかと食卓を囲むこと、
肩をならべてお弁当を広げること、
飲食店のテーブルで向かい合ってすわること。

当たり前にあったそれらの営みがぱちんと遮断された今、ひとつのテーブルを囲んで同じものを食べる彼らの姿を目の当たりにしてようやく、だれかと食事のひとときを共有するというたったそれだけのことを、自分はこんなにも渇望していたのだと、知った。

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