タイトルマスター

「英語を話せる」という表現について

久しぶりに記事を書きます。今回は、「英語が話せる」という表現の「違和感」について。

さて、私は「もしなる」発売以来、この二年半、ほぼ毎日Twitterをしてきました。

本のプロモーションのために始めたのですが、まずは一定数のフォロワーさんが必要です。英語が話せずに困っている方をどうやって見つけるか。

ワード検索を掛けるのです。「英語 話せる」で。

そうすると、「英語を話せるようになりたい」と呟く方を、容易に見つけらます。そして、その方をフォローし、フォローバックを頂く。こういうことを、ずっとしてきました。

本当に沢山の方が、英語を話せなく、困っています。もう、英語難民だらけです。ひどい有様です。

そしてまた、「英語を話せるようになりたい」以外の呟きも、よく目にします。ざっと挙げると、こんな感じです。

英語話せるようになるにはどうしたらいいの?」
「今年の目標:英語話せるようになる。痩せる」
「山Pみたいに英語話せるようになりたい」
英語話せるとかっこいいよね」
「いつになったら英語話せるようになるんだろう」
英語話せるマンになりたい運命だった」
英語話せるからって、マウントとってる人なんなん?」
英語話せるよりも、話す中身の方が大事じゃね?」
英語話せるよりも、まずは母国語からしっかりしろ、ボケ」
英語話せるから何なの?今の時代、翻訳機あるじゃん」
「スピードラー○ングで本当に英語話せるようになるの?」
「どうせTOEICやってても英語なんか話せるようにならないし」
「TOECI900点取ったら、どれくらい英語話せるようになる?」
「受験英語やってても、英語話せるようになるわけねーし」
「もしも100万円当たったら、留学して英語話せるようになりたいです!」
「『もしも高校四年生があったら、英語話せるようになるか』面白かった」

もう、こんな感じです。混沌としています。興味がある方は、一度検索してみて下さい。ほぼ一時間に一回は、このワードが呟かれています。Twitterは「生の声」が聞ける。サクラは一切いない。

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恐らく、この二年半、この作業をしたのは、世界広しと言えど、「私だけ」でしょう。

では、ここで質問です。「英語が話せるようになった」と結果報告ツイートをした日本人を、私はどれだけ見たと思いますか?

もちろんしっかり数えていないので、主観になってしまいますが、100人いたら、どれくらいの人が「成功した」と呟いたか。

さて、「英語が話せるようになった」と呟いた方の割合は・・・



恐らく、100人中、「1人未満」です。

そう、本当に見たことがないのです。

嘘ではありません。皆さんもやってみると分かると思います。ほとんどいません。ほぼ全員失敗したか、願望か、あとは「やり方が分からない」というパターンです。

しかし、稀にですが、「話せるようになった」と、呟く方もいらっしゃいました。ただその場合、アカウントを見ると、やはり海外留学や現地に住んでいたりしています。または、オンライン英会話で話せるようになった、というツイートもチラホラ見かけます。

ちなみにですが、「聞き流し教材」で話せるようになったというツイートは、この2年、1回もありません。1回たりとも、です。テレビの広告ではよく見かけるのですが、現実ではいませんでした。

そう、こんなレベルです。それくらい、英会話はハードルが高い。そしてこの2年半、大きな変化は「全くなかった」と考えていいでしょう。日本人の英語力は、相変わらず停滞したままです。もちろん、私の書籍も含め、どんなベストセラーもアプリも講師もスクールも、この日本を大きく変えられませんでした。変えられたら、Twitterで呟かれているはず。私の目に留まらないわけがない。

しかし、です。

「英語を話せるようになった」よりも、こういった呟きであれば、それほど数は多くはないのですが、チラホラと見かけることがありました。

どういうツイートだと思いますか?

それは、



「英語、だんだん話せるようになってきたかもしれない」

そう、恐らくこれが「真実」だと思います。

■英語は完全に黒になるのではなく、黒に近づけていくプロセス

さて、俗に「英語が話せるようになるまで、2000時間かかる」と言います。

しかし、ここで皆さん、陥りがちな発想は、「2000時間を超えたら、いきなり英語が溢れ出してくる」と考えることです。

もちろん、そんなことはありませんが、一旦数字が与えられると、それに縛られてしまうのは、別に不思議でもありません。

ただ、ここで「違う視点」を持ってみましょう。

例えば、日本に住んでいる外国人をみてください。

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日々、日本語が上手くなっている気がしませんか?

そして別にこれは、外国人でなくても構いません。「子供が日本語を覚える過程」も同じです。

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子供たちは日々、日本語が上手くなっていませんか?

私が何を言いたいかというと、言葉とは「ある一定の時間を越えたら、いきなり溢れ出てくる」のではなく、「日々うまくなっているプロセスがありき」で、その目安が「○○時間」という数字に過ぎない、ということです。

つまり、「日々、上達していないといけない」。もしも、やっているのであれば。「時間と比例」しないと。

ちなみに今まで、日本語が話せずに困っている日本人を、見たことがないはずです。そう、語学とは「やっていれば、段々うまくなっていくもの」です。

つまり、言葉は「話せるか話せないか」ではなく、やっている以上、「上手いか下手か」で語られなければいけない。

しかし、日本人は英語を「話せるか話せないか」で語られています。

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やはり、何かがおかしい。この表現自体に、何か違和感がある。いや、感じないといけない。本来、「上手いか下手か」で語られないといけないものが、「できるかできないか」になっている。

そして、もちろん、勉強すればするほど、時間をかければかけるほど、話せるように「なっていかない」と、いけません。もしもそれが、「話せる」ために勉強をしているのであれば。

しかし、大人になり、TOEICの勉強をされている方で、以前に比べて話せるようになっている、上手くなっていっている実感がありますか?

また、学校で勉強されている方も、上級生になればなるほど、英語が話せるようになる、という確かな予感、期待がありますか?

英会話スクールに通われている人はどうですか?何か変化を感じますか?

それが「TOEICのためだ、受験のためだ」と割り切っているのであればいいのですが、それが「話せる」に近づいているのではないか、という淡い期待をお持ちであるのであれば、それは「見当違い」になります。2000時間になったら、いきなり変わるわけでもなく、恐らく10000時間になっても、変化はないでしょう。もしも、そういう実感や予感などがないのであれば、です。

外国人が日本語を習得するように、子供が言葉を話せるように、そこには日々「上達の証」や「実感」がないといけない。

本来、「ある日いきなり、白が黒になる」のではなく、「白がだんだん黒に近づいていき、気づけば黒の割合が増えていた」というのが、語学習得のプロセスだと、私は思うのです。

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だから、「話せるようになった」ではなく、「だんだん話せるようになってきたかもしれない」というツイートが、本来正しい過程を辿っている気がします。

そして、もしもその実感がなければ、軌道に乗っていないことにもなります。恐らく、別のことをしています。きっとどれだけそれを続けても、底の抜けたバケツに水を入れているようなものです。

せっかく頑張っているのであれば、もったいない限りです。

■「できる」の意味がズレている日本人

さて、これはいつも私が思っていることです。

例えば、「コンバンワ、アリガトゴザイマス、ボクノナマエハトムデス」などの、片言の日本語しか話せないのに、「I can speak Japanese.」という外国人の方がよくいます。

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一方、少なくとも6年間学校で英語を勉強してきて、少しのことは英語で挨拶や説明ができるのに、「I can't speak English.」という日本人が沢山います。

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この違いは何でしょうか。

考えましたが、それは私たちにとって、「話せる」というのは「うまく話せる」と同義になっているからです。

「あいつ、仕事できるよ」

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この場合、この人は仕事が「可能かどうか」ではなく、「出来がいい」ことを表しています。

同様に、「俺、酒飲めないんだ」も、「酒に弱い、耐久性が弱い」意味です。可能かどうかの話ではありません。

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そう、日本語の「できる」には、「優れている」の意味があります。

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しかし、日本では「can=できる」と習ってしまいます。だから、「(うまく)英語が話せない=can't speak English」が紡がれてしまう。

しかし、英語の「can」は本来、可能性のお話です。「できるできない」の話。「上手いか下手か」の話ではないのです。

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だから、お酒に弱い人が、「I can't drink alcohol.」というと、ネイティブには、医者に止められていて物理的に飲めないのか、車で来たのか、それとも未成年なのかと考えられてしまいます。お酒に弱い意味ではなくなってしまう。

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英語の「can」はあくまで可能かどうかの「can」であり、日本語の「できる」は上手いかどうかの「できる」を含む。これを「can=できる」で結んでしまったから、こういうエラーが起こっている。

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この「ねじれ」が分かっていないのに、「外国人は片言の日本語しか言えないのに、『I can speak Japanese.』と言う。それなのに、日本人はこれだけ英語を習っているのに、『I can't speak English.』と言う。これは、メンタルが弱いせいだ。僕たち日本人は、もっと英語に自信を持っていいんだ!」という的外れなことを言う人が、なんと多いことか。

そんなお話ではないのです。メンタルどうのこうのではなく、「can」のニュアンスが正しくインプットされていなかっただけです。

英語の「can」は「can」であり、日本語の「できる」は「できる」です。イコールで結ぶから、話がややこしくなっている。だから、ネイティブから「I can't speak English.」はおかしい、とツッコまれる。

本来、日本人は誰でも英語が話すことが可能です。ただ、何もやってきていなかったから、下手なだけなのです。だから、英語を一つずつ覚えて、日々、音読や独り言などで、口に出して、うまくしていけばいい。

つまり、「白」を「黒」に近づけていけばいいだけの話です。そして、これは「短時間で仕上げるもの」ではなく、「時間をかけるだけかけて、上手くしていく無限のプロセス」です。合宿運転免許のように、数週間でマスターするのと訳が違う。

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そして、日本で生まれ育ってしまった場合、「真っ黒」になることは絶対にありません。特に大人になってから英語を始められた方は、ほとんど「真っ白」なまま終わります。英語とは、膨大な量がありますから。

考えてみて下さい。

私たちがいつも使っている日本語を、全く日本語初心者の外国人が数年でマスターできるわけがないでしょう。日本語だって、膨大な量です。

人生を賭けて、英語と付き合っていく「覚悟」がないと、いつかどこかで気持ちが折れてしまいます。国内にいる以上、尚更です。「スキマ時間でマスター」なんて、とんでもない。過大広告すぎます。

ただ、ある程度、「黒味」が出てきたら、きっと会話に不自由はないでしょう。自分の言いたいことを、「主語・動詞」から始まるセンテンスを使って、人に伝えられるようになります。そして、その目安が、あくまで「2000時間」です。しかし、それでも1日1時間、勉強に充てても、5年はかかる計算になります。やはり、付け焼き刃で何とかなるものではない。

さて、今、「英語を話せる」ために勉強をされている方は、葉の色のように、日々、色が変化しているのを実感されていますか?

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国内にいる以上、そして四六時中英語を話せる環境にいらっしゃらない場合、劇的に話せるようになることはないはずです。

ただ、その代わり、「英語、だんだん話せるようになってきたかもしれない」はありえるはずです。まるで葉の色のように、時間とともに実感が湧いてきます。

そうなれば、あとは自分なりの工夫を加えながら、できる限り、長く続けるだけです。自分の生活の中に、英語をフィットさせていく。

どうか、長い目で見ていきましょう。

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「自分、英語は話せるよ。まだまだだけどね」

そう、これが英語学習者の、一番美しいセリフだと、やはり私は思うのです。

※「もしなる」文庫版売り切れ中です(【完全版・増刷版】は文庫本のみになっています)。重版をお願いしているのですが、なかなか叶いません。ただ、電子書籍でも買えます。内容はほぼ一緒です。どうかお読み下さい。

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いつもお読み頂いてありがとうございます。一人でも多くの人が将来、英語で報われるように、有益な情報を発信していきたいと思います。ご声援、ご支援のほど、よろしくお願いします😊✨

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英会話講師。小説家。上智大法学部国際関係法学科卒。元大手英会話スクール本部社員。元塾講師。脚本賞受賞2回。日本人の英語の真の問題点、全部気付いています。ツイッター@eigo1201、インスタyukanazawa1201。https://english-kanazawa.com
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