情熱の薔薇のコピー

「もしなる2」5、情熱の薔薇

あれから一年が過ぎた。あの夏期講習の最終日、くしゃくしゃになった入塾申込書を四葉から受け取った時、私は飛び上がって喜んだ。これからもずっとこの子を教えられる、会えるのだ。それが、たまらなく嬉しかった。

そして、塾に一切お金を使いたくなさそうな、あの父親をたった一人で説得させたのだ。きっと何度も何度もあの父親に頭を下げ、そしてそれほど多くもないお小遣いだって、犠牲にしたに違いない。

友達と一緒に遊びに行くお金だったかもしれない。服やカバンを買うお金だったかもしれない。それを塾の費用に充てたのだ。どうしてその純粋な想いを裏切られようか。私は何があっても、この子だけはどうしても結果を出させないといけないとその時、心に誓った。

しかし、本来だが、社員は同じ生徒を、一年以上に渡って教えてはいけない決まりになっている。できる限り沢山の生徒と接し、色んな情報を仕入れた方がいいとされているからだ。

そのため、一人の生徒を社員がこれだけ長く受け持つのは、例外中の例外である。ただ、それは四葉本人からの「先生は変えて欲しくない」という強い要望と、私自身、笠原さんに強くお願いしたことによる。

本来、笠原さんは規則に厳しく、部下の気持ちよりも、マニュアルを重視するタイプの人間だ。しかし、今回ばかり黙認してくれているのは、私が「四葉の担当を外すなら、辞職も考える」とまで言ったからだ。さすがにこれを聞いた時、あの笠原さんでさえ慌てた様子だった。

そう、私が辞めたら、一番困るのは笠原さん自身だ。部下の辞職は、この会社では直属の上司の責任になり、査定にも大きく響くという。昇進を第一に考えている笠原さんとしては、やむなし、というところだろう。ただ、私が笠原さんに対して、ワガママを言っているのは、この件だけである。あとは従順にマニュアル通りに従っているつもりだ。営業結果だって、しっかりと出している。

こうしてこの一年、私は四葉の英語の点数を上げるのに、尽力してきた。そして、四葉もそれにちゃんとついてきてくれた。

そのため、入塾時はたった10点しかなかった英語の点数も、平均で50点は取れるようにはなった。私からすると、それだけでも大きな進歩なのだが、四葉本人にとっては不満らしい。

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「一度でもええから、100点をとって、由璃ネエを喜ばせたい」と、と普段学校でも言っているということを、私はちーちゃんづてに聞いた。ここまで言ってくれている子を、私は今まで担当したことがない。そのため、まるで実の妹のように思える時もある。

こうして私としても、何とかして高得点を取らせてあげようと、補講なども増やして頑張ってはいるのだが、なかなか70点の壁を越えられない。今までの最高は、去年の学期末テストの69点である。

というのも、教科書に出てくる問題はできたとしても、やはり新出の長文問題などが出されると、もうお手上げ状態なのだ。初めて見る英文に関しては、対策の仕様がない。一語でも分からない単語があったら、四葉の場合、そこで思考がストップしてしまうのだ。

四葉の欠点は、圧倒的な「単語不足」にある。そう、他の子に比べ、極端に単語が覚えられないのだ。ただ、これは別に英語だけに限らず、日本語でも文字を覚えるのが、他の子に比べて劣る。暗記科目は、からっきしダメだ。

そのため、業者試験ともなると、その点数はもっと悲惨な状態になる。先月受けた業者試験は、まさかの10点台だった。さすがにその日は本人も落ち込んで、授業にならなかった。

「なあ、由璃ネエ。何でや。何で学校の試験は取れるんに、こっちの試験はこんなに低いんや」

本人にとっては、本当に疑問だったようだ。しかし、それは当然である。学校のテストは、あくまで教科書やワークの内容や、学校が出した試験範囲を満遍なく繰り返すことで、ある程度の対策は取れる。

しかし、業者テストは一年生から今までの「総合的な英語力」を試すものだ。どんな問題が出るか、全く対策ができない。

そのため、「本当の英語力」とは、「業者テストの結果」と比例する、と私は考えている。もちろん、そんなことを言うと自信を失ってしまうから、私は「テストの相性の問題じゃないかな?」とぼかしている。

「やっぱり、エリートの教え方が悪いんちゃうかな。もしもエリートやなくて、由璃ネエが学校で教えてとってくれたら、きっとうちも今頃、英語だけはトップクラスやわ」

そう言って、四葉はまたグデーッと机に突っ伏した。

「そんなことないって。エリート先生だって上手いよ、きっと。TOEICだって高いんでしょ? 四葉は単に、毛嫌いしているだけなんじゃない?」

「そんなこと1000%あらへん。よかったら由璃ネエ、授業受けてみたらええわ。うち、制服貸したげるから、1日だけ代わってみ?」

「無理よ、そんなの。1000%バレるでしょ」

「バレへんよ。うち、クラスん中で、そんな存在感ないし」

「嘘つきー」

私と菜純ちゃんの声がかぶった。

「ほんなら由璃ネエ、FAしてくれへんか、野球選手みたいに。エリートととっかえや。そしたらうちもこの塾辞めて、学校の授業もしっかり受ける。これで全てウィンウィンや」

「無理よ。そもそも私、教員免許もないんだから」

「でもやっとること、一緒やで。文法解説して、教科書訳して、テストして、そんで終わりや。黒板の前で解説するかどうか、くらいの違いやん。それやったら、由璃ネエでもできるやん」

「そんなに簡単じゃないよ、集団授業って。やってみたら分かるけど」

そう、ここの塾は基本的に個別指導がメインだが、受験前になってくると、集団授業も取り扱う。教える内容は同じでも、やはり集団の方が難しい。

そして、そもそもだが、私は昔から集団の前で話すのが苦手なタイプだ。そのため、集団授業の後の疲労度は、個別に比べると、10倍以上になる。

その時、ふと菜純ちゃんが「先生、ウィンウィンって何?」と聞いてきたので、私は「お互いにとっても得があるって意味」と教えた。飲み込みの早い菜純ちゃんは、「へー」と返した。どうやら、分かってくれたようだ。

「でも、うちな、あいつの視線がなんか嫌やねん、嫌味ったらしくて。どうせアホのお前には分からんやろ、みたいな感じで見てきよる」

「それは考えすぎなんじゃない?」

「いや、ホンマや。由璃ネエは受けたことがないから、そう言うんや。うちを当てる時も難しいのばっかや。ほんでトンチンカンな答え言うの聞いて、『やっぱりアホやな、お前』とクラスのみんなと一緒になって笑いよる。ホンマ英語が嫌いになりそうやわ」

少し被害妄想が強いと思ったが、私自身、実際にそういう先生も経験したことがあるので、その気持ちも分かる。そう、先生全員が聖人とは限らないのだ。

そしてまた、学校の先生が嫌いだと、その教科も嫌いになってしまうこともよく分かる。そのため、少なくとも四葉にとって、その先生が英語に関していい影響を与えているとは、やはり私にはどうしても思えない。

三年次になったら、英語は違う先生に変わるといいな、とずっと思ってはいたが、あろうことか、クラス担任になった時の、四葉の落胆ぶりと言ったらなかった。学校側による一方的なクラス編成は、当然のシステムではあるが、ただただ理不尽だと思った。生徒には先生を選ぶ権利などないのだ。

「あんな英語が話せん先生に習うても、絶対に話せるようにならんわ」

そう、噂だと、そのエリート先生は英語を話せないらしい。外国人の先生に話しかけられても、返せないことが多々あるようなのだ。そしてそれを見て、生徒たちは影で、エリート先生をバカにしているそうだ。いつの時代でも、子供は少し陰湿なところがある。

「でも・・・それは、私も一緒だよ。全然英語、話せないから。だったら、エリート先生の方が断然上手いよ、きっと」

「それは・・・でも、何でや。由璃ネエ、英語すげーできるやん」

「うん・・・文法は分かるんだけどね」

そう言って私は苦笑いした。

「それって何でやねん。何で、由璃ネエにしても、エリートにしても、日本には英語のテストはできても、話せん大人がこんなにいっぱい溢れてんねん」

「それは・・・何でだろうね、私もわかんない。でも、英語を話す機会がないからじゃない? ほら、学校の授業だって、外国人の先生の授業って少ないでしょ? あと、日本にいたら、英語なんて話せなくても生きていけるし。そういう英語だけに囲まれた環境に行かないと、やっぱり話せるようにならないんじゃないかな?」

「ほんなら、うち、無理ゲーやん。だって、外国人なんて周りにおらへんで。学校はみんな日本人やし、家に帰っても、アホな父ちゃんしかおらん」

「うーん・・・でもほら、英会話スクールとかあるじゃない?」

「由璃ネエは行かんかったんか?」

「え・・・」

綺麗なカウンターパンチが、スパンと顔に入った感じがした。

「環境が大事なんやろ? ほんなら、英会話スクールに行ったらええやん。駅前にいっぱいあるやろ? 行ったんか?」

「あ・・う、ううん・・・なんか、なかなかそんな機会がなくて」

「なんでや? なんでそんな勿体ないことしたんや? そこまで英語できるんやったら、環境さえ用意すれば、一瞬でペラペラやん」

「あ・・・うん、そうだね」

「なあ、それって料理で言うたら、下準備で終わったみたいな感じか? 食材だけ揃えて、料理せんかったみたいな」

「う、うーん・・・まあ、そんな感じかも」

ジワリと背中が汗ばんだ。「触れられたくない記憶」が脳裏に蘇ってきた。

「何でそんなことしたん? せっかく英語得意なんに、えらい損やないか。ほんなら今からでもすぐに料理しい。もう下準備、全部終わってんねやろ? なんでうちみたいなアホに英語教えてんねん。優先順位、完璧に間違うとるで。まずは自分が話せるようになってきーや」

「あ・・・う、うん。そう、かも。でも、この仕事していたら、ほら、あんまり時間の余裕もないし。それに別に私、英語を話せなくたっていいから。この仕事でも全然使わないし」

「でも、これからは入試でも話す試験が入ってくるらしいで。ニュースでやっとったわ。だから、いずれはここにおっても、やらなあかんちゃうんか?」

「うん・・・だから、今後は外国人の先生とか雇ったりするんじゃないかな。ほら、英会話って日本人には教えられないから」

そう、私たち日本人が教えられるのは、文法だけだ。

「あと、入試だって、まだどんなテストになるのかも決まっていないらしいの。だから、それ次第で、今後の対策も考えるんじゃないかな?」

「なんや、えらい鈍臭いな。そんなことしとったら、他の塾に置いてかれるで」

そう、それは最近、よく思うことだ。

ちなみに、この校舎の近くにある大手学習塾が、つい先日、英会話コースを創設したらしい。私はそれを聞いて、焦りを感じた。何でも噂では、外国人講師を常勤させているらしいのだ。「塾」と「英会話教室」のドッキングである。そう、これは脅威だ。今まで二つは別個の存在だったが、ついに「融合」が始まったのである。

今後、オーソドックスになってくるであろう、「英語4技能(読む・書く・話す・聞く)」に向けて、この会社は一体どういう対策を練るんだろうか。恐らく外国人講師を雇う人件費は出さないような気がする。

一方、最大手の塾は違う。人件費や開発費なども潤沢にある。もしかすると、英語4技能教育が始まると、地元の小さい塾などは、ものすごい勢いで潰れていくのかもしれない。それを想像すると、私はゾッとする。ここは将来、大丈夫なのだろうか。少子化も加わり、ますます競争は激化するだろう。

「学校はどうなの? 外国人との授業も最近は多いんじゃない?」

「あっても週に一回くらいや。でも、テスト前になったら、それも潰されてエリートが授業しよる」

なんだ、そのパターンは今も変わっていないのか。そう、私が学生時代だった時もそうだった。外国人の先生の授業はただの「息抜き」に過ぎなかった。ゲームをしたり、出身国の話を聞いたり、ビデオを見たり。テストとは無関係の授業なんだから、気楽に受けられた。予習や復習だっていらないのだ。

もちろん授業中、ペアワークなどもあったが、その場限りのもので、授業が終わったあとは、何も残らなかった。ただただ、「なんだか楽しかった」という感想しかないのである。

「なあ由璃ネエ。うち、将来、英語を話せるようになれるんかな」

「え?」

「言われたんや、エリートに。うちが将来、英語ペラッペラに話せるようになりたい、て教室で言うたら、『お前なんかがなれるか、アホ。まずは一回でもテストで70点超えてから、そんな発言しろ』って」

「え、ひどい」

本当だとしたら、大問題だと思う。先生にとっては軽い冗談かもしれないが、本気で受け取る生徒だっているのだ。それに生徒の前で、点数をほのめかすのってどうなんだろう。

「だから次の中間、絶対に70点以上、取ったるわ」

そう言って四葉は、スペルの書き取りを始めた。

それを見ながら、私はモヤモヤとした。そう、四葉のこの英語へのモチベーションは本来、「英語を話せるようになりたい」という願望から来ている。

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大人になったら、本当に歌手になりたい四葉は、高校を卒業したら、アメリカに渡る、といつも口にしている。そして、そこでギター一本を持って、ストリートミュージシャンから始めるらしいのだ。また、ネット配信なども使って、Youtuberへの道もリアルに考えているようだ。

「カッコええやん、そんな生き方。人生一回ポッキリや。やりたいことやらな。それに日本にはいーっぱい、ええ歌があるやろ? それを世界で歌ったりしたいんや」

本来、このぐらいの年頃であれば、どこの高校の制服が可愛いだとか、男性アイドルの中で誰が一番かっこいいかだとかで、頭がいっぱいなのが普通だ。私が同じ年代だった時も、そうだった。そのため、こんな発言をする四葉は、教室の中でも、一際大人びて見える。

「とにかく英語だけは話せるようになりたいんや。向こうに行っても、全然英語話せんかったら、友達だってできへんやんやろ? 歌だって歌えんし。だから、日本におるうちに話せるようになっとかんと」

こうして、目をキラキラさせて語る四葉を見て、私はとても複雑な気持ちになった。もちろん、応援はしたい。手伝ってもあげたい。ただ、四葉が「国内にいながら、英語が話せるようになるイメージ」が、全く浮かばないのだ。

そのため、私はたまに怖くなる。四葉の英語への気持ちが純粋であればあるほど、それが叶わなかった場合、その跳ね返りはきっと大きい。もしもそうなった時、この子は耐えられるのだろうか。そしてきっとその時は、四葉はもうここの生徒ではない。私とはもう、「赤の他人」なのである。隣にはいてあげられない。私は別の子を教えている。

「えっと、『handle』は『とって』か。えっと、『とって、とって』、、、」

「あ、ちょっと四葉。その『とって』は漢字で書こう、『取っ手』って」

「はあ? 何でや? ええやん、別に平仮名で。どっちも一緒や」

「でも前に、エリート先生に注意されたんでしょ? 『お前のテストは、平仮名ばっかりで幼稚だ』って。だから、少しでも印象良くしておかないと。評定にも響くし」

「だから、うち、評定のために英語勉強してんちゃうで?」

「でも、絶対にそうした方がいいって。それに、ついでに漢字も正しく覚えられば、一石二鳥でしょ?」

「はいはい、分かった分かった」

四葉は不満げに、『取っ手』と書き直し、単語暗記を続けた。

「わっ、何やねん、『wonderful』のスペル。長すぎるやろ。覚えられるかい。語呂で覚えよ。『ウヲンデルフル、ウヲンデルフル、ウヲンデルフル・・・素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい』・・・『見る』は『see』か。『セエ、セエ、セエ・・・見る、見る、見る』。『聞く』は『listen』か。何やねん、腹立つわ。『t』を読まんのなら、取らんかい、嫌がらせか。えっと、『リステン、リステン、リステン・・・聞く、聞く、聞く』」

こうして、「見る」や「聞く」など、ブツブツと日本語訳を呟きながら単語を覚えていた四葉だったが、気付いたらいつの間にか、それが鼻歌に変わっていた。

「見てきた物や聞いた事ー、いままで覚えた全部♪ でたらめだったら面白いー、 そんな気持ちわかるでしょ♪」

これは、ザ・ブルーハーツの『情熱の薔薇』だ。全くもう、いつも単語練習が歌に変わっちゃうんだから。

しかし私はこの子と、今後、どうやって受験期を迎えるのだろうか。部活も終わり、そろそろ本気に受験のことを考えないといけない時期になってきた。

ふと私は、今年の冬の時期を想像し、ブルッと身震いをした。今までに経験したこともないような、「大きな修羅場」を迎えそうな予感がしたからだ。

「情熱の真っ赤な薔薇をー、胸に咲かせよう♪ 花瓶に水をあげましょうー、心のずっと奥の方♪」

情熱の薔薇

(次回「6、英語4技能は大迷惑!?」に続く)


※話題作「もしなる」は、ほぼ完売状態です。ありがとうございました。書店取り寄せか、幻冬舎までご連絡下さい(03-56411-6440)。現状、重版の予定は立っていません。電子書籍では、初版のものが読めます。

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英会話講師。小説家。上智大法学部国際関係法学科卒。元大手英会話スクール本部社員。元塾講師。脚本賞受賞2回。日本人の英語の真の問題点、全部気付いています。ツイッター@eigo1201、インスタyukanazawa1201。https://english-kanazawa.com