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奏でる

音楽が好きです。
ライブを見たり、自宅で聞いたりも好きです。
自宅で見聞きしているときは、それに合わせて熱唱したりもします。
気の置けない仲間とのカラオケも好きです。
時々、あまりに発散したくなったときは、1人カラオケも厭いません。
音楽は、物心ついたときから一緒でした。

エレクトーン

楽器メーカーYAMAHAのお膝元がすぐそばだったのもあるのか、エレクトーンという電子楽器を、すぐ近所に住む年子の従姉妹が習い始めたのを機にわたしも習うようになりました。小学校2年生とかそのくらい?
ピアノはお教室とかもあったけど、エレクトーンを親に購入してもらって、先生が週に1回、自宅にレッスンに来てくれる、という方法でした。
・・・今書いてみて気づいた、うちの親、よくぞ購入してくれたなあ・・・。ずっと「うちはお金がないんだ」と思い込んでいたけど、いやはや。祖母が買ってくれたんだっけ??

エレクトーンは、鍵盤が2段あって、足で奏でるベース鍵盤もついています。基本は右手でメロディーを上鍵盤で、コードを左手で下鍵盤、いわゆるベースを左足で、右足で全体のボリュームを調整したり、機材が進化していく中で、響かせたり、音の構成のスイッチングをしたりします。
高度な表現になると、両手で同じ段の鍵盤とか、逆パターンとか、ベースも両足で、とか、本当に表現の幅が広い。
機器の進化はめまぐるしくて、ピアノのように、触れる強さで鍵盤の出す音の強弱まで表現できるようになった。
そしてもう今や、コンピュータの域。
高校を卒業するまで習っていたのだけど、その頃は、曲ごとにレジストレーションといって曲内のブロックごとに音とリズム・パーカッションの詳細のプログラムがされたものをまとめたフロッピーディスクを購入して、それをもとに演奏するようになって、多分今はもっと進化しているはず。詳細は知らんけど。
もちろん、自分で調整したり作成してそれを保存することもできる。
ここまでくると、弾ければいいわたしにはちょっとお手上げ、なんだけどね。

エレクトーンには演奏グレードという試験があって、5級を取得すれば、YAMAHAの店頭でデモンストレーションができたり、指導グレード(先生の資格)の一部になる。6級まではどうにか取得できた。テストの中には即興といって、初見で渡される短い曲をその場でアレンジして演奏しなくてはいけない項目があって、どうにもそれが不得意で、何度か受験したけど敵わず、そのままになってしまった。真面目過ぎたんだよなぁ。

小太鼓

小学校4年生になると、放課後の部活動への参加が必須だった。
わたしはエレクトーンで音楽の楽しさを知っていたので、迷わず鼓笛部に入った。運動会の入場行進で颯爽と演奏する様がかっこよくて、わたしもそこに入りたかったのだ。
わたしは、小太鼓を担当した。大人数で1つの曲を演奏するのが楽しかった。

トランペット

中学の部活動は、鼓笛部の延長で、迷うことなく吹奏楽部に決めた。
当時、チェッカーズが大流行で、藤井弟・尚之のサックスがかっこよくて、楽器を決めるときにはサックスに人気集中(わかりやすい・・・)。
わたしもサックスを希望したのだけど、顧問の「なまず」先生にばっさり、「あんたは木管じゃない、金管向きだわ」と斬られて、希望叶わずトランペットの担当になった。

余談で。サックスは見た目は金ピカで金管楽器に思いがちなんだけど、音を出す仕組みはリードという竹か何かを薄くスライスした弁を震わせるので、木管楽器の仲間となる。
金管楽器は、すべて金属でできていて、唇の振動で音を出す。さらに余談だけど、練習しすぎると唇の感覚がなくなって、タラコ唇になるのではとひやひやしたっけ。

ここでもわたしの中で「女なのに」問題勃発(苦笑)。
当時、トランペットやトロンボーンなどの金管楽器は概ね男子の担当だった。女子は、フルートやらクラリネットやら、そして人気急上昇のサックスやら、あと小さめのパーカッションなんか、というのが王道だったのだ。
そもそも入部した生徒に女子が相当数だったこともあって、トロンボーンになった子、志願してホルンにした子、わたしのトランペット、と珍しく金管楽器の女子率が一気に上がった学年となった。

トランペットは指で押さえるピストンバルブが3個しかない。押さえ方の組み合わせと唇の当て方、振動を自分で変化させて音階を変える必要がある。高音を出すのはコツがいる、もちろん、肺活量もそれなりに必要。
最初はかわいくないと不貞腐れていたけど、そのシンプルな構造ゆえの深さにはまり、ソロでかっこよく吹きたいと思うようになるのは、わたしが現金だから。
吹奏楽で演奏する楽曲には、全体のハーモニーを聞かせるパートと、それぞれの楽器の良さを聴かせるソロパートが組み合わさっていることが多い。
ソロパートの時は、立ち上がって演奏するのが常。
楽器のかたまりでのソロもあれば、本当に1人だけのソロもある。
スポットライトが当たる時間。目立つことは心の底で大好きだったから、「なまず先生」の見立てはあながち間違いではなかった。
同じ楽器の中でも、1st、2nd、3rdと楽譜は異なる。1stはいわゆるメロディーラインやソロ、高い音域の担当。数が増えるとハモるためのサブメロディー、1stより低い音域の担当になる。同級生の男の子が1stでわたしは2nd。もう1人の男子が3rdだった。
練習は地味だけど、全体で合わせて曲が出来上がるのは、へたくそながら楽しかったなあ。
金管楽器は音そのものが大きくて目立つので、個人練習の時間なのに、金管グループで合わせはじめて気持ちよくなっているところに、木管グループが便乗してきてみんなで気持ちよくなるのも、とても好きだった。

「奏でる」

どの楽器でも、音やリズムを自分でコントロールして、好きな曲を自分が演奏できる、というのはとても好きな時間だった。
楽譜を読み込んで、音程やリズムを再生して、強弱や「ノリ」を体現する。
きっちりする基礎に、付随させる表現力。
その組み立ても多分好きだったんだと思う。
自ら作り出そう、という風には思えなかったけど、流行している歌謡曲を耳コピして演奏したり、楽譜にある曲を再現したり、という工程が好きだった。
自分の体の外で飛び回っているものを、自分がとりこんで、再び、わたしを通して、外に出す、という感覚が好きだったのだと思う。

結婚生活の後半、思いきって、中古のエレクトーンを購入した。
10年近いブランクだったのに、意外と指や耳は覚えていて、昔暗譜していた曲が弾けたりした。
楽譜とフロッピーディスクも買い求めて、昔弾いていた曲や、その時弾きたいと思った曲を、時間を見つけては弾いていた。
楽譜を読み込む時間も、何度も何度も同じ個所を繰り返す時間も、やがて身体が覚えだして曲に入り込んで演奏する時間も、あっという間に過ぎていく。そういう集中した感じも好きだったのだと思う。
耳コピも、クイズみたいで楽しかった。試験の「聴音」はプレッシャーで嫌いだったけど(笑)

大学の仲間の結婚式の余興で、即席バンドを組んで演奏した「明日に架ける橋」。これも練習段階含めて、当日のちょっとしたグダグダ感も含めて、超楽しかったなあ。
お祝いというのはほぼ建前で、何より自分たちが楽しかった。

音を楽しむと書いて「音楽」
その機会と時間を奪わないでくれた両親には、今ようやく、本当にありがたいと思う。「うちにはお金がない」と刷り込まれていたけど、ここをケチらないでいてくれたことに、今とても感謝できる。ありがとう。
今のわたしには、すぐに奏でられる楽器は手元にないけれど、聴いたり、歌ったり、踊ったり、音楽を楽しむ素養が息づいている。

音楽って素晴らしいと思う!

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写真はいつかのマウイ島で。

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