「○○とか好きそう」の含意

レッテルとして使われる「好きそう」が嫌い

「電車とか好きそう」という言葉は、悪口としてネットミーム化している。発端となったツイートなのか、何かの記事でこの投稿が取り上げられていた。

「電車とか好きそう」=発達障害っぽい
という俗説から悪口に発展し、「○○とか好きそう」のフォーマットにさまざまなジャンルの物事が当てはめて使われる。ファッションだったり音楽だったりする。これが本当に嫌。かなしい。

○○が好きで悪いかよ!と反発する気持ちもあるけれど、馬鹿にしている相手のスタンスが明確に伝わるから、やっぱりかなしい。どうして他人の好みを馬鹿にして面白がれるんだろうか。

具体例を挙げると自分も傷つける側になってしまうから控えるけれど、
「このファッションブランドが好きそう」=ヤンキーっぽい
「このアーティストが好きそう」=メンヘラっぽい

みたいなレッテルを貼る発言はよくある。何度も言われたことがあるし、自分も絶対に言ったことがある。

偏見という共通認識は一種の「あるある」として笑いになるから、言う側は楽しいのだろうけど、勝手にレッテルを貼られた側はかなしいし、言われている人を見るのもかなしい。そういう、短絡的に決めつけて人を馬鹿にするような、レッテルとしての「好きそう」はできるだけ使わないように気をつけている。

レコメンドとして使われる「好きそう」が好き!

一方で、とても好きな「好きそう」の使われ方がある。「(AとBが好きなら)Cも好きそうだ」という意味で使われる、レコメンドとしての「好きそう」。

例えば趣味の音楽や映画の話をしていて、
「この曲とか好きそう」「この映画とか好きそう」
と、私の好みから類推して相手が何かを紹介してくれる文脈のとき。

あるいは好みからの類推でなくとも、「あなたはそういう性格だからこの小説を気に入りそう」と、多少そこに偏見があっても構わない。

相手の好みと自分の好みの接点が見つかり、それを教えてくれる状況では、「好きそう」はとても嬉しい言葉になる。「好きそう」と曖昧に伝えるだけで「ゼッタイ好きだから聞いてみて!」と強く勧めるわけでもない奥ゆかしさも良い。

そうして勧められたものは、当たりの確率が高い。そもそも、「どこが好きそうだと思ったんだろう」という観点でその対象(紹介されたもの)を受け取ること自体が楽しい。良くも悪くも、「こういうふうに思われているんだ〜」と思ったりもする。教えてくれた相手と、間接的に交流している感じがある。

文脈で変わる「好きそう」の含意

まとめとして伝えたいこととしては、

  • レッテルの「好きそう」は言われたくないし、言わない

  • レコメンドの「好きそう」は大歓迎、大好物

です。

多少の偏見が入ってたとしても「好きそう」といってオススメされるのは好きですので、各位、よろしくお願いします。


よかったらシェアやコメントを、もっとよかったらサポートをお願いします!! 頂いたサポートは、宝物として貯金箱の中に飾ります。誰かの心に響きますように。