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シニア世代の「想いを伝える」古着店に素敵な未来を見た

NHKの「あさイチ」特集で取り上げられていて興味深かった話題をシェア。

シニア世代の服を、若者が好んで着ているらしい。

流行って定期的に一周して戻ってくるんだけど、微妙に形が新しくなってて、昔流行したものを使い回しってなかなかできない。

だけどシニア世代の服は、古すぎて新鮮に映るらしく、オシャレな若者がそのまま着れちゃう。

なんだか、とっても嬉しくなった。

1.「デザインが古いから」で底値はもったいない


おばあちゃん世代の服って、ていうか、昭和の時代のモノづくりって、今よりずっと丁寧だったなぁと思う。

でも、その丁寧な仕事=高く売れるかというとそうではない。

いまわたしはリユースショップでパートしていて、買取査定もしているが、そこは「若者の流行」を基準に買取価格が決まる。

なので、シニア世代が着ていた上質な洋服は、一部高級ブランドを除いて、ほとんどの場合底値だ。肩パッドがガッチリ入っていると、ヘタすれば買取不可となる。

けれど、買取の仕事で、さまざまなものを触っていると、昔のちゃんとした服は仕立てが違うなぁとつくづく思う。仕立ての知識なんかないわたしでもわかるくらい違う。

肩やウエストのラインの曲線が美しくて、縫製も丁寧。

さらに生地もしっかりしていて、プリントもののブラウスなんかも、発色が良い。デザインも斬新。

その上ディテールが凝っていて、ボタン一つ取ってもディテールが可愛く、すごく素敵なものがついていたりする。

そういう、上質な「テイラーメイド」のような服を売りに来る世代は当然シニア層。良いものだとわかるだけに、低い見積額を提示するのが心苦しい。

こういう良いものを持ってきてくださるほとんどの方は、おそらく生活は困ってないので、お金じゃなくて「捨てるのがしのびない」という理由で、どんなに低い見積もりでも受諾はしてくれる。

けれど、

「これ、ほんとに良いものなのにね、、」と呟く方もいらっしゃる。

いつも残念だなぁと思いながら、底値で買い取っている。

2.「服への想い」も含めて次の世代へ渡す。


そんな私のパート先に来るお客さんの残念と、わたしの無念を解消する仕組みが、この番組で取り上げられていた「from clothes」さん。

リユースショップに服を持ち込む人は、当然現金化したい人もいるけれど、多くの人が「捨てるにはしのびない」と言って持ち込んでくださる。

どちらかというと、値段よりも「捨てるにはしのびない自分の思い」とか、「お気に入りだった自分の服を、誰かに託したい」という気持ちのほうが強いと思う。

それは高齢になればなるほどその傾向が強い気がする。洋服は現代は安くなった分「消費されるモノ」の意識が強いけれど、昔は一着を大事に着る人が多かったのだろうと思う。

通常のリユースショップでは、その「想い」というのは買取査定価格には残念ながら反映されない。そこは仕事していて、とてもはがゆい。

だがこちらで特集されていたお店は、「服への想いも一緒に受け取ります」というコンセプトだそうだ。そもそもリユースショップという業態ではなく、お片付けコンサルなどで引き取った洋服を、若い世代につなげようという試みから始まったものらしい。

素敵だなと思ったのが、前の持ち主の想いや、その服にまつわるエピソードをつけて販売しているところ。

「前の持ち主が若い頃デートに着ていたお気に入りの一着。今は60代の主婦の方」などと書いてある。洋服そのものだけでなく、その持ち主が想像できて、なんだか楽しい。

こちら「from clothes」さんのオンラインショップを覗いてみた。

コンセプトは「着ない服を着たい人へ」

思い出のある服を手放すことってできますか?

でも、そろそろそんな思い出のある服でも
手放さなきゃならない時期にもきている。

でも捨ててしまうには、抵抗がある・・・

そこで、私たちが
その思い出のエピソートごと引き受けることにしました。

いらない服を手放す時にすてるのではなく、
「着たい人」につなげていく・・・

私たちの服はそういう服です。
まさに服の循環です。

from clothes

純粋にモノだけをリサイクルするのではなく、想いも一緒に次の世代に渡す。

「環境のための資源循環」とかではなく、想いの詰まった洋服が、古い世代から、次世代の若者への「未来へのバトン」となることが、なんだかたまらなくワクワクする。

若いころは歴史に一切興味がなかったアラフィフのわたしも、40を過ぎた頃から歴史に興味がわいてきた。自分が生きてきた時代がリアルに「歴史」になることを体験して、ずっとずっと昔のことから今までが「つながっている」と実感を伴ってきた感じ。

災害や戦乱、いろんなことがありながらも、時代は次の世代へ受け継がれていく。そして、今がある。そして、未来もある。

3.昭和の服って、自由で斬新で楽しかった


昭和の頃の服って、本当に個性的だし、斬新な柄のものが多い。ハッとするような色やデザインなど、見ていて楽しい。

そして、流行というものが、いまみたいに均一化されてなくて、もっと個性豊かだった気がする。

うちの母がわたしが小さい頃に洋服にハマった時期があって、よく一緒に買い物に行ったが、流行というより、全ての服が個性的で、その個性的な服の中から自分の個性に合う服を選ぶイメージだった。

昭和の時代は、今振り返れば、なんだか自由ではっちゃけていたなぁと思う。

モノづくりも、工業製品とは言えどチャレンジングなものが多くて、なんだかんだで今もリスペクトされているヨウジヤマモトとか、コシノジュンコとかも、昭和に一世を風靡した人だものね。

もうデザインが出尽くしたのか、最近はなんかあんまり「新しい!」って感じのものを見かけないし、ほんとうに均一化されていってるなぁと思う。

4.昔の服を楽しむ感覚は、アンティーク着物に似ているかも


平成生まれの若い人たちは、昭和なんてひと昔前なわけで、いまや令和の時代、感覚的にはわたしたちアラフィフが大正や昭和初期の「アンティーク着物」にときめく感覚と似ているのかもしれない。

実はわたしは着物にも結構ハマった時期があって、給料を突っ込んでアンティーク着物を集めていた時代があった。着物は大きな一枚布なので、大胆な柄が映える。大正~昭和初期の色遣いや意匠がとっても素敵で、うっとりする。

昔の人ってオシャレだったんだなぁって感心するし、その頃に楽しんで着物を着ていた人の気分を想像して楽しくなる。

ただ昔の人って今の人よりかなり小柄なので、アンティーク着物はサイズが小さいものしかなくて、袖がチンチクリンになる。若いころはそれでも勢いで着ていたが、さすがに年を取るとサイズのあったものをきちんと着たくなる。

着物自体も着ていた時期があったけれど、リユースショップのパートとフラメンコで回る毎日に着物が入り込む余地がなくなり、着られず箪笥のこやしになってしまっている。

アンティーク着物については、若すぎる、可愛すぎるものは手放したが、どうしても気に入っているものはまだ手放せない。

着物ってデザインが同じだから、形の流行がないし、布が素敵だし、老人になったらもう少し時間ができて、着るチャンスがあるかもしれないと思うと手放せない。

洋服の古着となると、形の流行なんかもあって、着物よりも流行り廃りが大きいけれど、その分、今では考えられないようなデザインを楽しめたりするのかなぁと思う。

5.理想は「温故知新」な未来


いまは工業技術があがって、低コストで大量生産ができる時代。そのおかげで流行のものを安く手に入れられるし、それはそれで楽しい。

だけど「ものすごく手のかかったオリジナルの一枚」みたいなものを手にする機会が減ったよなぁと思う。

時代はどんどん効率化しているわけで、その分「雑」になる傾向がある。

逆に時代をさかのぼると、効率が悪い分、凝った手作業のものがある。上質で凝った品物は、生き残るものもあるけれど、やっぱり効率化の波に呑まれていくのが宿命だろう。だからこそ昔の上質で凝ったものが輝いて見える。

ものすごい古代までさかのぼれば、工業製品がないころは、手作業でやるしかなかったわけで、蚕を飼ったり綿や麻を育てて、そこから糸を作って織物にしてたり、とにかく「手間ひま」だけはとてつもなくかかっていた。


そこから徐々に製糸技術、機織り技術、印刷技術などが発展して、チャレンジングなデザインがたくさん作れるようになった。ここら辺からチャレンジングなデザインが爆発したのだろう。

江戸小紋などの染色技術とか、開国後に西洋文化が入ってきて、大正ロマンだったりアールヌーボーだったり、遊び心が炸裂した時代、そして厳しい戦争で一時期無彩色になった時代から、昭和の解放されたファッションへ。

おしゃれはいつだって心を躍らせる。不要不急かもしれないけど、心には必要なエッセンスだと思う。

そんな誰かの心を躍らせた服を、次世代の誰かが引き継ぐってとっても素敵で、新たな服や流行が生まれる中で、古いものをいつくしむ人もいて、そうやって素敵なものが引き継がれながら、新しいものが生まれる。

そうやって未来につながるって、なんだか素敵だなぁと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!


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