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「すごい自分」に足元をすくわれる瞬間

数年付き合いがあった人が「最近変わっちゃったなぁ」と思ってガッカリしている。


彼女が職場を変わり、個人で仕事をするようになって、いわゆる「お金持ち」から仕事の依頼を受けるようになったころからか、なんかこの人変わったな。と思う瞬間が増えた。

なんというか、数か月に一度会うたびに、「セレブに認められたすごい自分」みたいなものを前面に出してくるようになって、めちゃくちゃ違和感を感じていた。

一風変わった個性的な人ではあるけれど、庶民感覚で楽しくお付き合いしていたのに、徐々に「わたしはアンタなんかと違うんだから」的な発言を、おそらく無意識にするようになっていった。

気のせいかと思って聞き流していたけれど、どうにも聞き捨てならない台詞、つまりこちらを完全に見下している「上から目線」の発言があったので、いままで気にしないように我慢してきたモヤモヤが一気にぶわっとあふれ出てしまった。

そもそもわたしは人間観察が好き。そして、厳しいようでいてお人よし。なので、ちょっと変わった人でも、この人面白いなぁとお付き合いをしてみたくなるタイプ。それが自分の知見を広げてくれることもあれば、大失敗してめちゃくちゃ失礼な態度を取られて、ずっぽり凹むこともある。困った性格だ。

とにかく今回も、以前から、プライドとこだわりは強い人なのは知っていたし、ちょいちょい挟まる自慢話もあったけどスルーしていたし、まあ、ある程度個性的なのは分かっていた。自慢話が多いのは、自信のなさの裏返しで、いろんな部分にコンプレックスがあることもなんとなくわかっていた。

だけど、自分が関わる相手が変わってきたことで、徐々に、あからさまに「いままでとは違う自分」みたいな態度に変わってきて、ガッカリした。

自分がこうと決めたことにはものすごくストイックで、それ以外はできないことも多いし、プライド高いしこだわり強いし、平たく言ってしまえば、ものすごく変人だけれど、それでもその人を尊敬していた。

だけれど、その仕事ぶりをもってしても、目に余る雰囲気が前面に出てきてしまい、わたしも見てみぬふりをしていた感情が満タンになり、ブチっと切れた瞬間があった。

そこまで言われちゃ黙っていられないじゃないの。という感じだ。

過去に出会った自慢の多い人は「すべてのものは自分のマウンティングに使う」という特徴がある。自分の親が金持ちなのを自慢している合コンに来たサムい男、自分のママ友が億ションに住んでいるだけで、なぜか自分がそうかのようにドヤる人、分不相応にハイレベルな学校を子どもに受験させ「受けたんだけど、惜しいところで落ちちゃったの」と、もはや教育虐待レベルの人。

あれこれすごい人はいたが、こういう人たちは自分に自信がないので、とにかく自分を大きく見せたがる癖があることは分かっていた。だから上っ面で付き合っていたし、自慢のレベルが低すぎてある意味面白いので、心の中でツッコミながら、半ば面白く聞いていた。

けれど、今回ガッカリした人は、そういう人ではないと信じたかった。生き方に信念のようなものを感じるし、ちょっと自慢話は挟まるけれど、それ相応の実力やストイックさも持っている。なので、まさか、「ちょっと金持ちに囲まれただけで勘違いしちゃう」風に流れてしまうとは思わず、それがガッカリ、というか、うーんショック。そんなことに足元をすくわれるとは想像していなかった。

セレブってキラキラしていて、なんだかすごいし、そこの人とお付き合いが始まれば、自分だってなんだかその世界に足を踏み入れて、そこの一員に慣れた気がするのだろう。だからわたしのような人間が、庶民臭くてダサイと思い始めたのかもしれない。

別にわたしは、お金は欲しいけど、ダサいし庶民だし、逆に庶民の感覚って好きだし、キラキラのタワマンでマウンティング戦争するよりは、いろんな人と話して、自分の世間を広げたい。

わたしの予想では、きっとその人も、庶民感覚という部分では同じだろうと思っていたし、セレブと関わりがあったくらいで「アンタとは違うのよ」という勘違いをする人格だとも思っていなかった。

まあ、わたしが期待していた人ではなかった、というのが分かったという子とで、単なる読み違いで「残念でしたね」という話だ。

人生、いろんなことが起こる中で価値観が変わる。わたしだって昔とは価値観は違うし、出会った頃の一時期、ちょうどそこの部分で気が合っただけで、お互いの歯車がずれていき、別々になる時期が来たということだ。

ただ、わたし自身の話をすれば、どんな人と付き合おうとも「他人は他人、自分は自分」という部分をしっかり持っておきたいなと思うからこそ、がっかりしたのだろう。

そう思うと、不愛想で気が利かず、毎日のようにわたしの不満が噴出する旦那は、そういう部分では全く流されない。めちゃくちゃ信用できることに気づいた。

もう高齢で要職は離れたが、過去に会社では割と重要な役職についていた。だが、役職をかかげて威張ることもなく、多少お金を持っているからと言って自慢するわけでもない。有名人が通りすがってキャーキャー騒ぐミーハーなわたしと違って、富と名声とか、目立つとか、そういうものには興味がない。不愛想だけど、いつも通常運転で、浪費もせず、スーパーの安い総菜を買っている。

岩のように不動で、その融通の利かなさにいら立つことがほぼ毎日あるのだが、わたしも結婚相手にこの旦那を選んだということは、根っこの根っこはそういう「ちょっとやそっとでブレない人」を信用しているのだろう。

なんだか話がそれて、「ちょっと金持ちにチヤホヤされて自分を見失った人」の話から、「ムカつく旦那だけど、よく考えたらまあまあ正解かも」にたどり着いてしまった。


めでたい話じゃないかと思う方も多いかもしれないが、つい先日、わたしが発狂するようなムカつくことがあっただけに、なんとなく納得いかない収まり方だ。

だけど人生なんてこんなもんで、そんな中に大事なヒントがあるのかもしれない。

いろんなことを考えているうちに、まったく別の答えが見つかるって、なんだかおもしろいなぁと思った今回、なんとなくまとまりがない文章だが、こういう日もありということでお目汚し失礼。

今日もお読みくださりありがとうございました!




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