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カルガモ親子に学ぶ母子の距離感

毎年、うちのマンションにある池に、カルガモが出産しに来る。

だいたい毎回5羽くらい生まれて、日を追うごとに成長し、泳ぎの練習をしたり、お散歩をしたりで、住民は萌えキュンしている。

成長すると、どこか別の場所に移動してしまう。
そして次の季節にはまた、産卵のために安全なこの池に現れる。

今年の春にも確か5羽くらい生まれていたかと思うが、なぜか8月にも子どもが一羽だけで、カルガモの親子が現れた。

ちょうどうちの棟が修繕で、ベランダのバラを植栽置き場に移動してあり、水やりに行くときに、ちょうど池の向かいなのでついつい毎日観察してしまう。

そして、このカルガモ親子を眺めていると、親子の距離感ってこんな感じがいいんだろうなぁって勉強になる。

子どもはある程度成長していて、自分で泳いであれこれ見たい時期。母ガモは、つかず離れず、けれど視界に入る範囲で子ガモを泳がせている。

けれど母ガモは、子ガモの危険を察知すると、すぐに駆け付けるし、子ガモもある程度遊んだら親ガモの元に戻る。

中3男子を息子に持つわたしとしては、いつもこの絶妙な「カルガモ母子の距離感」に注目している。

人間も、もともとは自然の一部。だったら自然に近い生き物に基本を学ぶというのも悪くないだろうと思うし、

この母子を見ていると、ああ、こうありたいなぁ。と思ってしまうのだ。

子ガモはいろんなことに興味津々な時期。あちこち泳いで、ウロウロとしている。それをいい感じの距離感で見つめる母ガモの視線に釘付けになってしまう。母として、同じ目をしているなぁと共感する。

帰ってくるのをじっとまって、子ガモが満足したら母ガモのところに帰ってくる。それで一緒にまた泳ぐ。これって理想だなぁ。

まぁ、子ガモが反抗しなかったり、ギャーギャー騒がなかったり、相手側の要素も大きいのだけれど、できればこんな感じで「遠くから見守る子育て」をしたいよなぁと思う。


ちなみに今朝は泳がずに、母子でのんびり9月の涼しい朝を堪能していた。

やっぱりちょうどいい距離感で、やっぱ、この距離感が理想だなぁと思いながら眺める。

視界に入っているけど、あえての放置。でもきっと母ガモのセコムセンサーは常時オンなのだろうな、とわかる感じ。

カルガモの親離れは人間よりずっと早いし、当然カルガモ界には学歴も就職もないわけで、とにかく「自立する」ためだけにやっていることなのだろうが、人間界ではあれこれしがらみが多くて、この「自立させる」がとても難解になっている気がする。

だからこそ、母カルガモが子どもを干渉せずに見守る姿はシンプルで参考になる。

テスト前に息子がさっぱり勉強しなかったり、勉強しろと少しでも言おうものならなぜか逆ギレを食らってわたしがボコボコに言われたり、いろいろ理不尽なことがありながらも、こうありたいと基本に立ち返らせてくれる存在だ。

人はときどき自然が恋しくなる、というのは、こういう、シンプルなことに気づかせてくれる、というのも理由の一つなのかもしれないと思った。

今日もお読みくださりありがとうございました!


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