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「夜にかえるみず」

<はじめに>
絵とともに、詩や物語を書き溜めています。絵と言葉と、そのあわいにあるようなものを作っていきたいと思っているのですが、その道のりもここにときどき残しておきたくなりました。よろしければぜひおつきあいください。


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「夜にかえるみず」


JR、終点まで乗る。かろうじて男が倒れずにいたのは、知らない男の肩のためであった。ふたりはまるで親密な恋人のように見える。終電をひかえた電車は渋谷を発ち、長い時間をかけて焼くように夜を走り抜けていく。扉を閉めてしまえば車内はあたたかかった。もうすぐ横浜につくようです、男に倚りかかられた男は、肩先をわずかにずらしながら前に傾き、音のならぬように、そっとやさしく席を立ち、窓の近くに立った。そのまま横浜駅では降りず、窓の外を見ている。電車が下っていくにつれて町は昼をわすれ静かに眠ろうとしていた。

3人席のまんなかで一人になった男は、一人になったいまもなお眠っている。安らかな眠りは酒の力に支えられているのだろうか。彼の三つの指に支えられたペットボトルのなかの水は、彼とともに凪いでいる。

水はしずかに語り始めた。
48時間前、わたしたちは眠っていました。富士山で。熱い記憶をとどめた玄武岩に守られて、すやすやと眠っていたわたしたち、あるとき日のもとにさらされました。あ、というまにわたしたちの体は光を吸い、そしてわたしは透明な、一つのわたしとなりました。わたしは暗い場所でふたたび眠り、大きな音で目が覚めたそこで彼と出会ったのです。すべりこんできたJR、終点まで乗ろうと。あなたの手にとらえられたときにはもう、わたしは、別のわたしになっていましたから、ひとり、わすれ、ただ凪いでいました。けれどいまなにかが、わたしをふたたびとらえるのです、すこしずつ離れようとするわたしを、あなたは止めてくれたでしょうか。それはわかりませんけれど、とにかくほら、月明かりが窓からさしてまいりました。

光は薄汚れた床をあわあく照らし、かたく冷えたももいろの床は、川だったことを思い出す。「さようなら、いつかまたどこかで、かならず」そう言って女はそのまま川に還り、眠ったままの男はそのまま、車庫へ到着、する。

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