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"思いを言葉に置き換える作業は自分にとって、時にやさしく、時に厳しいものなもかもしれません"

タイトルの言葉は、東田直樹という作家さんの詩集の帯に書かれていた言葉です。

皆さんは、この東田直樹という作家を皆さん、ご存知でしょうか?


この本の作者でもあります。


そう、この作家さんは"会話のできない重度の自閉症”なんです。

東田さんの作品を最初に読んだとき、にわかに信じがたかったのを覚えています。
たしかに、私たちが不思議に思う自閉症の方の行動を説明してくれている。
でも・・・こんな言葉が紡げるの??

でも、その疑いは彼の講演会に参加したことで払拭されました。
目の前の彼は、私がこれまで出会ってきた自閉症の方々と変わらず、少し不安げで、落ち着きなく体を動かしながらも、ステージに座っていました。


手元にはキーボードのような配列で文字が記載された紙のようなもの。
一文字ずつ指差ししながら

「ボー・クー・ワー・・・」

抑揚のないロボットのような音声で、一音一音、確かに彼の言葉で、彼の発声で思いを語っている姿を目にしました。
聞きなれない声ではあるものの、私の中の自閉症のイメージが根底から変わった瞬間でした。


当時、『自閉症の僕が跳びはねる理由』が世界の20か国以上で翻訳され、大ベストセラー”自閉症の作家”として世間の注目を集めた東田さん。

4年ほど前に出版された『ありがとうは僕の耳にこだまする』という詩集に綴られた彼の思いと言葉が、新年早々私の心に突き刺さり、この思いは共有したいなと思ってnoteを書いています。

滑らかな音声による会話のできない東田さん。
作家という立場を得ながらも、その詩の中には、乗り越えられない"健常者”との壁に対するやるせなさ、分かり合えなさに対する想いが綴られていたと思います。

でも、その言葉はどれも私たちを責めていなくって。
だからこそ、分かり合えたならという想いをより一層強く感じるようになりました。

東田さんの

「気持ちを伝えたい」

その思いだけで綴られている数々の詩は、
詩という形になることで彼の心を癒すものになり、時に紡ぐことで苦しくなるものでもあるのだということをヒシヒシと感じる作品でした。

言葉にならない形で気持ちを抱いているよりも、詩という形に変換することで、気持ちそのものが昇華されるんだと思います。

詩の中には、形は違えど私たちが感じている苦しさを代弁するものもあり、彼の詩を通して私の心は、時に傷に気づく苦しみを感じ、時に通じ合えたような感覚に癒されもしました。

昨年の私は、思いつめたり悩むことが多く、ブログがなかなか更新できませんでした。
たぶん、言葉に変換する苦しさに向き合う力がなかったんだと思います。

今年は、noteに出会い、少しずつ言葉にすることを覚えつつあるので、昨年とは違う私になることができるような気もしていますが、言葉にしきれないもやもやっとした思いがあるときは、この詩集は救いになるんじゃないかなと思います。


彼の想いのすべてを受け止めること、理解することはできないのかもしれません。
でも、彼の言葉によって私のように気持ちが昇華され、癒される人もきっといんじゃないかなと思いました。



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