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安心して、泣ける場所。安心して、怒れる場所。


心の病が発覚して早2ヶ月。
早いな、と思うのと同時に、長いな、とも思う。
亀のようなスピードで、もはや前ではなく時々後ろに歩みつつ、気がつけば時が流れているような感覚。

振り返ればあっという間なのに、現状までにたくさんの山や崖を見て、思い返すのはちょっと苦しい2ヶ月でもある。


この1週間は、黒い気持ちが雪崩を起こすようにガタガタと崩れていった。

プライベートでの感情的になった出来事も、職場の愛のない決定事項も、どちらも私の首を締めていたんだと思う。


苦しい、と思いながらも、その苦しさにどこか無頓着だったのかもしれない。


クリニックに着いて、診察室に入った瞬間から、涙が溢れてきた。


この1週間、私は友達の前でも職場の人の前でも涙を流していた。

でも、どちらも反射的なもののような感覚で。


クリニックで涙を流しながら、「久しぶりに泣いたな」と思ったのだ。


涙を流したのは久しぶりじゃないけれど 、泣いたのはすごく久しぶりだった。

この前泣いたのも、クリニックだつたかもしれない。


先生と話ながら、こんなに嫌な出来事があった、その時こう思った、だってこうゆう行動をされたから。
でも、こうかもしれない、ああかもしれない…

先日から始めた認知行動療法で、自分の心の癖を修正している最中。

「この時、嫌だった?」
「この行動、後悔してる?」

と聞かれて、ただ「後悔してる」って言いながら、ただその時の不安な気持ちとか、今も抱えている苦しい気持ちを涙と一緒に吐き出せたことで、スッと胸が軽くなったし、肩の重荷も取れた気がした。


人前で涙を見せるのは本当に得意じゃない。

相手の困った顔を見て、いつも後悔していた。


先生は、全く動じない。
むしろ、ニコニコしてる。笑


「なんでそうだと思う?」
「逆のパターンだったらどうなる?」


強制はしないし、私の感情を否定もしない。

ただそのまんま吐き出して、一つずつ私の気持ちをやんわりと都合の良い考え方に整えてくれる。


私はどうしても、ネガティブになることが悪いことだと思ってしまうし、悲しいと判断することもダメなことだと思って、つい気持ちに蓋をしてしまう。

この1週間は、何時間も自室に籠って悲しい気持ちで居たのに、「泣く」という行為すら思いつかなかった。

ただ、辛い。
沼底にいるような気分で、溺れそうになっていた。


私は自分が泣くことにも許可ができないがんじがらめの感情を持っていたんだなぁと、今日気付いた。

今の私は励まされたいんじゃなくって、ただ安心して泣けること、気持ちを吐き出せることを求めていたんだなぁって。


安心して泣ける場所があることは、すごく心強い。

今日は、自分の気持ちや思いを開示することに、ちょっとだけ勇気をもらった。


クリニックに、最近の悲しい気持ちを置いて出られた私は、今晩約束していた友人に、比較的すんなりと抱えていた辛かったこと 、悲しかったことを開示できたと思う。

ご飯食べながら泣きはしなかったけど、最近の抱えていた怒りの感情をバッと吐き出すことができた。

いつもなら、「愚痴ってしまった…」と後悔するけれど、

「今日のは悪口でも愚痴でもなく、心のデトックスだよ。」

と言ってくれたことに、私はすごく救われた。


そして、「ふだん、ワガママ言い慣れてないだろうから、ここで練習していいよ!」とも。


自分でも言語化できていなかった苦しさを、全力で受け止めてくれて、私が気付くより先にセーフティマットを敷いて待っていてくれる友達に感謝しかなかった。


ただただ苦しいと思うばかりの一週間だったけれど、何よりの財産だと思える友達の存在に気付けたことは怪我の功名かもしれない。


安心して泣ける場所。
安心して怒れる場所。


どっちもあったら心強い。


開示することはまだ得意ではないけれど、今日の成功体験が、明日の私を変えてくれるような気がした。


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