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旅する意味を、問うてみた

経営する会社の合宿で、一泊二日、箱根の旅をしてきました。
本当は行きにも乗るはずだった「ロマンスカー」に乗って、帰宅の途についています。

行きはね…、ロマンスカーに乗り込んでいざ朝ごはん、と思ったら車掌さんがいらして「人身事故の影響で、運休になりました。復旧の目処は立っておりません」と告げたのです。
パッと頭のなかで内容を精査できなくて、文字通りきょとん、としてから理解しました。こんなこと、あるんだ…(笑)

幸い、アホほどポジティブな人材が揃っているので、ネタができたと一斉につぶやくメンバーばかり。旅は、このようなアクシデントを楽しむこともお作法のひとつ、くらいなものなのです。

この旅の間に考えたのが、自分にとっての「旅する意味」です。
私は妻であり母親でもあるので、いわゆる家庭を持った状態。予定を入れるにも、もちろん家族優先なので自分だけの意志であっちに行ったりこっちに行ったりすることは、できません。

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つくづく思ったのです。私は自由だけれど、この不自由を率先して受け入れて、それを幸せなことだと思っているんです。
元々は、そんなに家庭的な人間ではありません。家事が好きな訳でもないし、子どもが大好きだった訳でもありません。
自分の家族を持って、やってみたら楽しいこともあったというだけ。相変わらず苦手な家事は苦手だし、時には思う存分遊んだり仕事したりしたいなぁと思うことだって、やっぱりあります。

夫も子ども大切だけど、自分の人生も愛おしむことにしているのは、自分の人生を精一杯生きることが自分の役割だと知っているから。

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今は、仕事も遊びも境界線があまりなくて溶け合っています。旅しながら働き、働きながら旅をすることの気持ちよさを私はこよなく愛しています。
でも、私と家族は違う人間だから、何もかもを一緒にはできません。
息子は学校に通っているし、大好きな野球に出会って打ち込んでいる。だから、私がしたい旅をするには、色々整える必要があります。

その不自由さ、そして、愛しさ。だって私がどこかへ飛んで行ってしまわないのは、家族がどっしりと、帰る場所に居てくれるから。

移動して、いつもと違う場所を訪れて時間を過ごすことは、私にとっては充電のようなもの。移動中や、知らない土地でたくさんインプットできて、満たされる。またそれを持って元気に働いたり、家族に愛情を注いだりできるんです。
どうも私は慣れた場所で過ごしすぎると、丁寧に暮らすことからも、今あるものを大切にすることからも、距離を置いてしまうようだから。

私には無理だと勝手に決めつけていた頃の方が、私は大事にするべきものを大事にできていなかった。

今日も旅できて、幸せです。

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Yuka Shibayama
会社を経営したり、オンラインサロンを運営したり、秘書をしたりしているワーママです。

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