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“〇読”について考える

とある仲間内で“速読”について話題になったので、
“〇読”について考えてみた。

よく“速読”の良し悪しについて話が出たりするが、
(得てして私のような“速読”苦手派は“速読”から逃れる理由を叫ぶ)
“速読”に限らず私の結論は昔から決まっている。

【本の読み方は内容と目的によって変わって然るべき】である。

そもそもが様々なジャンルの読書体験を“読書”と一括りにすること自体、ナンセンスなのではないかと思っていたりもするが、
(小説、純文学、ビジネス書、論文…全く違うと感じないだろうか)
その話はまた後日。

1.“〇読”について

そもそも“〇読”ってどんなものがあるのだろうかと考えてみた。
思った以上にモレありカブリあり感がある。笑

・速さに着目:速読 ⇔ 遅読
・深さに着目:通読 ⇔ 精読、熟読
・回数に着目:一読 ⇔ 復読
・量に着目:多読
・時間軸に着目:積読、愛読
・身体性に着目:音読 ⇔ 聞読 ⇔ 黙読
・目的に着目:実読、楽読、味読、考読

…一寸考えてはみたものの、流石に体系化はできなかったので、
いくつかピックアップして、私なりの考えを綴ってみる。

2.速読について

(事の発端の)速読には2つ目的があると思っている。
願わくば、速読の対象はビジネス書や実学的な書物にしてほしい。

ひとつは「その書籍から知見を得ること」である。
速ければ速いほど、最新の知識をもの凄いスピードで浴びることができる。
そういう意味で、速読と多読はオトモダチだと感じる(速読×多読最強)。

但し個人的には、他人の要約を待てないスピード感が必要な人を除き、flier(本の要約サイト)やネット記事で充分なのではと思ってしまう。

もうひとつは「膨大な情報から、要点を素早くピックアップする能力を得ること」である。
膨大な情報から要点を読み解き、いまの自分に必要なものを判断する力は非常に重要で、速読で鍛えられるように思える。

…できるものなら身に付けたいものだ。

3.精読・熟読について

精読と熟読は、違いがよくわからない言葉のようだが、言語化してみる。
主には、古典、論文、哲学書、ビジネス書等が対象になる(もちろんどんな書籍も対象になる)。

私の解釈では、
精読は「書かれている意味を深く理解(解釈)すること」であり、
熟読は「書かれていることに着想を得て思考を巡らす」ことである。

たとえば、孔子の格言。
「過ちて改めざる これを過ちという」

まず、これはどういう意味だろうか?とじーっと考える。
「間違ったこと自体ではなく、間違ったのに反省せず改善もしないことが過ちってことかな」
などと、自分なりに解釈する。これが精読。

意味を捉えたら(熟読は必ずしも精読の先にあるものではない)、
「そうは言っても間違った時点で過ちだと世の中では認識される気がする」
「部下の失敗を怒ってしまったが、これは過ちと捉えてはいけなかったか」
「これはうちの会社でいうと、〇〇と同じだな…うーん…」
などと、自分なりに思考を巡らす。これが熟読。

理想的には、心にとめておきたい文章やその時の考えをノートに起こし、
半永久的に思考をすることが究極の熟読なのではないかと思う。

折角、精読・熟読するなら、アウトプットをした方がいい。圧倒的にいい。
これは速読も然り。血肉にしたいのであれば、兎にも角にもアウトプット。


余談だが、精読(寧ろ学習)にあたって、“音読”は非常に効果的である。
インプット(黙読)しながらアウトプット(音読)し、
同時にインプット(聞読)されるのだ。

4.楽読・味読について

読んで字のごとし、楽読は楽しむために、味読は味わうために
“読書体験”をすることだと考える。
決して「結局何が言いたいの?」と要約しようとしないでいただきたい。

楽読は「楽しく読む」、味読は「味わって読む」ことである。
楽読は大衆小説、味読は純文学に近いイメージだが、あまり境界はない。

文章には“テンポ感”がある。
句点「。」は2拍、読点「、」は1拍と習わなかったであろうか。

そのテンポ感や描写を、好きなように贅沢に味わい楽しむのである。

スピードが決まっており、映像や音の情報量が多い映画や舞台とは異なり、
受け手の解釈の自由度がめちゃめちゃ高い。
全部好きに読めばいい。好きに想像すればいい。

読むスピードは、物語の展開や入り込み具合により不思議と変わってくる。
勝手に自分に合うように緩急が付くのだ。

…最高じゃないか。

5.まとめ

冒頭私は【本の読み方は内容と目的によって変わって然るべき】と述べた。

勿論、私自身には拘りがある。
内容と目的によって、読書環境を変えたりもする。

そのうえで、各々、好きな本を好きなように読めばいいと思う。
自分の好きなスタイルでいい。好きでいい。自由が読書のいいところだ。

とはいえ、せっかく自分の時間を使うのだから、
“自覚的に”読書をしたいものだ。

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