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農業と自然

忘れていないか?農業は自然ではない、ということを。

野菜は、言わば、入植者。自然にそこにあった木々や野草たちは原住民。

その自然に戦いを挑み、破壊し、畑という人工物を作り、野菜を植えて育てるための場所を確保し続ける。人間好みの弱々しい「野菜」と言う名の植物を育てるために、必要に応じて、その土地の原住民たる植物だけでなく、虫や獣も殺戮する。

畑は自然ではない。自然を切り拓いて作った人工物だ。

野菜を食べていれば自然に優しい、生き物を屠ることなく生きられる、なんてことは、幻想に過ぎない。しゃがんで土に手を入れてみれば、そこにはアリの王国、ミミズのねぐら、もぐらの生活道路、チョウの産卵場所、バッタの隠れ家、眼の前には様々な色の小さなちいさな花や実、美しい螺旋の蔓をつけた植物たちのミニチュア花畑のような世界が広がっている。その生き物たちの世界に鍬を入れ、ぶった切るのだという瞬間の気持ちは、子牛から可愛がって育て、乳牛として働いてくれた牛を屠殺するのと変わらない。少なくともワタシはそのような心持ちだ。みんな等しく生きている命だ。

雑草、と名付けられたネイティブプラント。害虫と呼ばれる美しい虫たちの幼虫。引き抜き、刈り取り、摘まんで潰す。あちらもこちらも命がけ。少なくとも生活をかけて戦って、やっとこさ成り立つのが人間の農業だ。

人間という生き物が生きるために必要な食料、食料になる生き物が屠られるまでに必要な彼らのための食料を作り出すために、どれだけの命を屠り、いただいているのかを想像すると気が遠くなる。

そんな想像力を持って農や食に向き合いたい。生きることは、たくさんの命のリレーで生かされているということ。その命を育むことを可能にしている地球のために、できる限りダメージが少ない形で命の再生産が続けられることを願う。

人々の健康のため、より良い味のための有機や自然農法ということも大切ではあるが、二の次。命の再生産の過程で、地球の痛みと傷みができるだけ少なくなる道を選びたいというのが、私の本心。

大事なことは、忘れないうちに書き留めておく。

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