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宙ぶらりんでいる力

みなさま、こんにちは。

世の中にスマホが登場して10数年。

情報化社会の流れは加速し、世間には様々な情報が溢れているだけでなく、人々は疑問やわからないことに対し、容易に答えに到達できるようになりました。

見知らぬ土地へ出向き、地図を片手に地元の方の情報に頼りながら目的地へ向かうということもなくなりました。

ポケットからスマホを取り出し検索すると、何かしろ答えが出てくる。
それが日常化し、人々は忍耐力を失っていっているようにも感じます。


先日、あるセラピストの方とお話する機会があり、
この数か月間、子供の学習のことで悩み続けたとお話させていただきました。

過去に記事を読んでいただいている方はすでにご存じだと思いますが、悩みの種は、週3日登校・週2日ホームスクーリングをしている小5の長男。

本人にとってはもちろんですが、私にとっても忍耐の日々でした。

※その時の記事はこちら

自分事でない分、自分で解決ができない。
『見守る』ということが、これほど大変なことだとは思っていませんでした。
(どのようにモヤモヤを晴らしていたかというと、毎日のように早朝ジョギングをしていました。いい感じに心拍数が上がると気持ちまで前向きになれるものですね。)

その話を聞いたセラピストの方に言われたこと。

『AでもBでもない、言わば宙ぶらりん(ぶら下がっている)の状況。
そこにぶら下がっていられることって、とても大切なことですよね。

今はどんな情報でも気軽にたどり着くことができる時代。
その分、誰もがすぐに答えを求めてしまう。
でも、大切なことって、そこまで到達する間の時間なんじゃないかと思うんですよ。辛い時間かもしれないけど、そうした時間って無駄じゃないどころか、とても人間らしいですよね。

AIにできなくて人間にできることって、そこなのではないかと思います。
AIはこれまでの膨大なデータから最適解を見つけてくれますが、白黒はっきりできない(する必要がない)こともたくさんありますよね。』

確かにその通りだと思いました。

私は忍耐の数か月間、大変だったなぁと、どちらかというとマイナスに捉えてしまっていたのですが、その忍耐の期間があったからこそ乗り越えた今がある。

当たり前といえば当たり前なのですが、現代ではそれが当たり前でなくなっているように感じます。

宙ぶらりんでいる力。(ぶら下がっていられる力)

何かに答えを求めず、自分自身で何が正しいかを探し耐える日々。

そのような時期を繰り返しながら忍耐力がついたり、心が強くなっていくものなのかもしれないと思ったのでした。

次に悩んだときは、この時間こそ貴重なものだと、私は今とても人間らしいことをしているのだと前向きに捉えることができそうです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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