便箋と封筒方式

封筒10枚、便箋20枚みたいなレターセット。
昔はよくこういうのみんな持ってたと思う。
キャラものとかやったらかわいいやつとか
雰囲気いい(エンボスとか無駄にコスト高の加工してあるやつとか)

それにはシールが10枚しかついてないから
(封!みたいなやつ)
最大でも10通しかお手紙が出せない!

あーだれにだそう!
ぜんぜん封筒とかシールが足りないなーみたいな状況って、
そこそこ手紙とか書いてた人なら遭遇したと思うのですよ。

(いや、封筒とかレターセットを追加で買ってきたらええがな、
というオチももちろんあるのですが)

今は便利な時代だから手紙とか出さなくても全部メイルとかlineとかmessengerですんじゃうので、
”制限”とかあまり意識しなくなったような気もしますが、
昔はそういうのがあったのです。

書くこと・お手紙にまつわる”制限”みたいなものが(あと書きすぎて
手紙自体が重くなると〇〇切手だと届かなくて戻ってくる!とかもあった!)

ゆえに、誰にお手紙を出そうか、誰をまた今度にしようか、
とかにすんごい真剣になったと思う。


年賀状とかもそうで、
50枚年賀状があったら、
優先順位とか仲がいい順にあちらにだそう、
こちらにだそうとか、やってたと思う。

(え、やってない?)

そう、ここではその”制限”について書きたかっただけなんだけれども、
で、いつの頃からかメイルとかオルタナティブな手段が台頭して、
というか蔓延?というか広がって、そちらが主流になり、
そういう”だれにだそうか〜”という物質的な限界値(あとは書きまくると手が疲れるとかもあるが)に制約を受けることもなくなった。

利便性があがることにより、
仕事の効率とか早さみたいなものは飛躍的に上がったし、
いちいち切手貼らなくてもいいし、
切手の値段が上がったりしてもメイルなら関係ないし、
とか”いいことだらけ”な気もするけど、
ある時、
この落とし穴に気づいたのですよ、
わたしは。

ふふふ。(誰?!)

限界を設けないからエンドレスでやりとりができてしまう、
深夜だろうが何時だろうが仕事ができてしまう。
あぁ〜
これはまさしく仕事中毒へ
一直線の負のループや〜、と!

なので、
年明けから(ブレスのオーダーの時を除いて)
1日15通・15replyまでと制限を設定。

なんとこれはmessengerとかのやり取りも含んだ数。

1日15通(15回の回答ないしメイルの送信)しかしない。

と一旦きめてしまったら、
なんともすごく捗る!というか、
限界値があるゆえに、
翌日に回すものとかも増えたのですが、
あぁ〜何時になってもいいからあのお返事しないと〜
とかそういう意味のあるようなないようなよくわからないストレス源に向き合わずに済むようになったし(だってmax15って決めたから)
なんなら無駄にpcの前でダラダラ過ごすことも減ったし、
smsのへんなリレーも減りましたし、
(あれ、時間ばっかりとられるよね!)
人のfacebookとかinsta、Twitterに無駄に書き込むことも減って、
なんだかすごくすっきりしゃっきりしている。

つながりはこのご時世、
否応なしにできていくもの。

net上でも勝手に拡散・広がり・つながり・編み込まれていく・・・
そういう”いつでもどこでも誰とでも?!やり取り”ができる。

だから”つながりや接触を制限する”ぐらいが
ちょうどいいのかも、と。

snsとかスマホ中毒の負のループからの脱出・解脱はわたしの場合は
お返事/contact/やりとり制限をかけることにより達成した。

限界値なしに繋がれる、インスタントになんでもできる時代だからこその
自発的”緊縛処置”はかなり有効な”自分を取り戻すメソッド”なのかもしれない。

そうそう、この”制限処置”は意外な副産物も産んでくれて。

それはなんと!
ダイエット。

夜更かしとか”ながら食い?”がへったりしたからなのか、
自然と減食にもつながったのかな、と。


無駄な連絡を減らしたり・やり取りを減らしたことにより、
4kg強の無駄な脂が落ちたことはサブエフェクトとしては
特筆に値するかな?!なんて。

こんなデジタル全盛のご時世において、
”1日に使える封筒に限界がある”という設定で
デジタルツールと再度向き合ってみる。

制限とか本当はないんだけど、
”制限があるように”振舞ってみる。

そしたら、
限界がある世界の方のほうが
人がキラキラしているような気もして
(例えば着物を着ている人の所作の美しさ、とか)
人は”枠”があったほうが、
真摯にその生を生きるようになるのかな、なんて、
冬から春につながる空気が生暖かい夜に
ふっと思ってみた。

ありがとうございます。 各修業・取材等の費用の充当に 使わせていただきます!