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幸福論(2) 組織の中で幸せを感じるには

前項、幸福論(1)では、脳科学の視点から、幸せを感じるための基礎的な枠組みについて述べました。今回は特に「組織の中で幸せを感じるには?」について考えたいと思います。このブログを読んでいただいている人の多くが、企業や役所、学校、病院など組織の中で働かれていると思います。そういう組織の中で一日を過ごしている人たちはどうすれば幸福を感じ取れるのか?この問題について今から100年も前に深く洞察したのがオーストリア出身の精神科医アルフレッド・アドラーです。ここでは、早稲田大学人間科学学術院の向後千春教授の著書「アドラー“実践”講義 幸せに生きる」をベースに、アドラー心理学における幸福の捉え方を述べようと思います。

共同体感覚

アドラー心理学の中核をなす概念が「共同体感覚」です。共同体感覚というのは、簡単に言えば、自分だけのためではなく、自分が所属している共同体全体が良くなるように行動する、という価値観です。アドラーは「ヒトは共同体感覚を持つと幸せを感じるようになる」と主張しました。そしてそのための要件として、以下の4点を挙げています。(下図参照)

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          <共同体感覚を構成する4つの要素>

この4つの要素が共同体感覚にどうつながるのか、以下に説明します。

【第1の要素=自己受容】

最初の要素は「自己受容」です。これは組織の中でありのままの自分でいられるという感覚です。自分を飾ったり、偽ったりすることなく、そのままの自分でいて良いと感じることです。しかしこれ自体、今のサラリーマンにとってはなかなか難しいことかもしれません。会社というのは上司もいるし、部下もいる。外部のお客様ともお会いするので「ありのままの自分」でいられることはあまりないと思います。私自身、会社に勤めていた頃は、この「自己受容度」はせいぜい60%ぐらいだったでしょうか。残り40%は仮面を被って(自分を隠して)働いていたように思います。

社員が仮面を被ったり忖度したりせずに、自分の意見を思うがままに語り合う。そのほうが自由闊達な議論ができることは自明なことですが、管理職としては、自分の職場がそういう自由な風土になってしまうと、部下が上司の言うことを聞かなくなるのではないか?組織としてのタガが外れてしまうのではないか?と怖れを抱くかもしれません。そこに大きな心理的壁があるように思います。

しかし近年、Google社などは組織を活性化させる鍵として、「心理的安全性」ということを掲げており、これはまさしく会社の中で社員が「ありのままの自分でいられる」状態を目指しているように思います。

私は「自由闊達な風土」と「組織の一体化」は両立しうると考えます。高い組織目標を掲げながら、部下に自由に主張させ、かといって決して自由放任ではなく、押さえるべき要点はしっかり教え込む。このようなマネジメントを行うには上司の力量が問われます。そしてその力量の中には、次に述べる「信頼」が大きくものを言うように思います。

【第2の要素=信頼】

「信頼」とは、周りの人たちに安心して任せられる、あるいは頼ることができるという感覚です。この感覚がないと、何もかも独りで背負い込まなくてはいけなくなり、ストレスがかかってきます。前述したように、組織管理職は、部下に対する信頼感を持っていないと、いたずらに管理志向に走ってしまうので、部下のモチベーションを維持することが難しくなります。上司と部下の間に十分な信頼関係が築かれていれば、部下に思い切った裁量権を与えることができるでしょうし、部下もまた上司を信頼していれば、彼の意に反するような行動に出ることなく、常に上司と連携して事を進めていけるはずです。このような状況が生まれれば仕事の成果も出やすく、また後で述べる「貢献感」も生まれやすくなってきます。

【第3の要素=所属】

次は「所属」です。ここでいう「所属」とは、自分の居場所があるという意味ですが、さらに一歩進めて自分の出番があるという風に読むこともできます。会社では職位や専門性に応じた「仕事の役割」があると思いますが、それ以外にも「什器の移動やネットワーク配線がうまい」とか「宴会の司会進行が得意」といった本来業務から少し離れた“出番”を発見する機会もあるでしょう。こうした出番をこなすことで、人は組織に対し「所属感」を持てるようになり、組織との絆が深まります。

【第4の要素=貢献】

最後の要素が「貢献」です。「貢献」とは、周囲の人の役に立っているという感覚です。企業においては、商品を販売して売り上げに貢献する、というのが典型的ですが、他にも新たな製品を開発する、高品質の商品を作り込む、これまでにないサービスを顧客に提供する、といった様々な貢献の仕方があります。企業活動以外でも、例えば家族(という共同体)のために、育児や家事、子供の勉強の相談に乗ることももちろん重要な貢献です。

このように、個人と組織の間には、自己受容、信頼、所属、貢献という要素が満たされて行くことで、次第につながりが強固になって行きます。そしてこのことが、組織人としての誇りや仕事のモチベーションにつながり、社員の幸福にもつながって行くように思います。

✴︎ ✴︎ ✴︎ ヒトは何故「所属」を求めるのか? ✴︎ ✴︎ ✴︎

アドラーは、「ヒトは集団に属し、その集団に貢献することで生きがいや幸せを感じる生き物だ」と主張しました。しかし、そもそも何故ヒトはそうした集団への所属を求めるのでしょう?他の動物、例えばオオカミやオラウータンなどは群れずに単独で行動します。そうした動物と人類は一体何が違うのか?ここではヒトが集団生活を志向する理由を2つあげておきます。

第一の理由は、ヒトの子供が哺乳類の中ではかなり未成熟な形で生まれてくるという事実です。多くの哺乳類の子供は母親の胎内から生まれ落ちた途端に、歩いたり餌を見つけて食べたりできるようになりますが、ヒトの子供は、母親や周囲のヒトの援助なしには生き延びることができません。このためヒトの祖先(かつて狩猟採取民族だったホモ・サピエンス)は子育てに専念する母親と、狩りで得た食物をそこに送り届ける周辺の仲間が1つの共同体を形成する必要があったと思われます。

第二の理由は、たとえ成人まで生き延びたとしても、ヒトは個体として他の野生動物、例えばライオン、ヒョウ、ワシなどに比べて戦闘能力で劣っているため、集団で生活しないと野獣に襲われて壊滅的な打撃を受けてしまう、という事情があったためです。外敵から身を守るためにも、夜中は交代で見張りを立てるなど集団生活をする必要があったのです。

このようなことから、ヒトは生存本能のレベルで集団性を強く希求してきたと思われます。つまり集団の中で貢献的に生きることは、種の本能のレベルで規定されていると考えられます。

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ここまでお読みになっていかがでしたでしょうか?我々人類は共同体の中で生活し、その共同体に貢献することで幸福を感じ取れるようにできている、と言えると思いますが、その行動をより仔細にみていくと、もう1つ新たな視点が見えてきます。それは“時間論” つまり時間をどのように見据えて行動するか?という点です。このことと「幸福論」との関係を次の幸福論(3)で論じてみたいと思います。

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