【無料】なぜ、学校の人気者はつまらないのか?
「お笑い芸人になったらいいのに」
なぜだろう…
学生時代にそう言われている人ほど本当につまらない。
これはよく考えたらおかしい。
例えば学校の中で野球がダントツに上手ければ、「野球選手になったらいいのに」と周囲から言われるだろう。
野球選手になれるかどうかは別として、言われた子が野球に向いていることは間違いない。
だけど、クラスメイトを笑わせて人気者になる人ほどお笑い芸人には向いていない。
野球選手に向いてる理屈から考えると矛盾を感じる。
クラスのみんなを笑わせているのだから、お笑い芸人には向いてるはず…
なのに、向いていない。
それは、本当になぜなのか?
『学校の人気者』ほど『面白い人』からは遠く離れていく理由。
この記事できっちりと説明しますが、その前に…
もし、あなたが学生時代、クラスで日の目を見ない人だったなら…
あなたはとても面白い人かもしれません。
そう、クラスでは日の目を見ない人ほど、本当の意味で面白い人になれる可能性を秘めている。
それにも理由がある。
なぜ、学校の人気者はつまらないのか?
なぜ、学校で日の目を見ない人のほうが面白くなれる可能性に溢れるのか?
まあ、誰か響く人に届けば…と思って、その理由を書いてみます。
まず、学校で人気者になれる人の特徴のなかに『明るく元気いっぱい』がある。
当たり前の話だが、クラスにあまり馴染まず、口数も少ない人で人気者はいないだろう。
だが、この『明るく元気いっぱい』は、楽しいのかもしれないが面白くはない。
実は『前のめり』なことは、笑いと相性が悪い。
「オレ、学校でおもろいって言われてるし、お笑いの世界に入るわ」
とか言ってる人で面白い人に出会ったことがない。
面白い人はどこか俯瞰な立ち位置で批評的な目線を持っている。
全体を見渡した上で違和感を突くことのできる観察眼が必要なのだ。
それと、自分なんかプロの世界では通用しないだろうという冷静さ。
どこか冷めた気持ちを心に持つことと笑いは非常に相性が良い。
トップクラスに面白いお笑い芸人のほとんどが芸能界に入ったキッカケについて「半ば強引に誘われた」と言っていることが多いのをご存知だろうか。
実は、ムリヤリ引っ張られたくらいの人が、プロの世界では頭角を表す。
前のめりでプロの世界に挑んだ人ほど、すぐに辞めがちなのは"あるある"だ。
持論もあるが、面白さとは何か?と聞かれて、もし一言で答えなければいけないのなら、私は『センス』と答える。
もちろん技術的な要素やキャラクターなど、諸々が加味された上で面白さは構築されていくが、圧倒的に大切なのはセンス。
客観的かつ冷静な気持ちを併せ持てる感性はハイセンスの入り口にある。
反対に、学校の人気者はセンスを養う機会を奪われていく。
なぜなら、学校生活においてセンスで笑わせる必要は皆無だからだ。
明るくて流行りに強くて声が大きくて先生のモノマネでもすれば、みんなは笑う。
ここにセンスの要素は1ミリもない。
クラスメイトが笑っていれば学校生活における笑いの正解。
しかし、本当の面白さの上では不正解。
ぬるま湯の中で笑わせ続けた歴史は、余計な自信をもたらす。
その余計な自信がプロの世界においては邪魔になる。
言い方は悪いが、ぬるま湯の中で認められてきた実績を持つ空気感は鼻についてしまうのだ。
自信がなさすぎると伝わりきらない部分はあるが伸び代は大いに感じる。力不足なのに自信満々な態度のほうが、お笑いにおいては明らかなマイナス。
しかし、突き抜けきったクラスの人気者ならば話は別。
もう放っておいても突き抜けるほどの人気者ならば、理屈など超越した華や空気を持っている。
そこまでいけば1つの才能としてプロの世界で開花する可能性は大いに秘める。
これは生まれながらにしての別格なので、50万人に1人くらいの話だ。
クラスに1人はいる『ただの人気者』くらいが1番面白さと相反する。
さらに、ただの人気者と呼ばれる立ち位置の人はオリジナリティーに欠ける場合も多い。
「何かに影響受けてるなあ…」が拭い去れないのも致命的。
先ほどセンスが1番大切とは言ったが、オリジナリティーの延長線上にセンスがある。
センスのない人がオリジナリティーを生み出せず、テレビやYouTubeなどからインスパイアされた何かを表現してしまいがちだ。
ここも笑いと食い合わせが悪い。
そして、クラスで日の目を見ない人の心にあるのがコンプレックス。
全員が全員とは言わないが、どこかで学生時代を謳歌できなかったコンプレックスや後悔を持つ人は一定数存在する。
そのコンプレックスこそが笑いと直結する。
自分の格好悪いところ、隠したい過去、見せたくない部分こそが笑いにおける最大の武器でありオリジナリティーを生む。
失敗してきた奴のほうが愛される。
これは間違いない。
損をしてきた人生のほうが人は興味がある。
それを芸に昇華できれば人は笑う。
一言に『笑い』と言っても、結局は人と人の話。
『笑わせる』『笑う』
この行為は1つの人間関係だとも言える。
それなら愛される人のほうが得に決まっている。
面白さを問われる上で1番大切なものがセンスならば…
そのセンスを作り上げる根源とは何か?
否応なしに擦り込まれた人生の原体験である。
自分の経験値や見てきた景色や環境や感情…
その全てがセンスと直結していく。
だから、損をしている人が面白くなる。
だから、満たされなかった人の放つ言葉に我々は魅了される。
そういった意味で、クラスの人気者は薄っぺらくなりがちだ。
どうしても笑いのセンスを磨く上でマイナススタートを切ることになってしまう。
原体験=センスを生み出す源ならば…
センスを作る基礎は学生時代に始まっている。
問われるのは学生時代に面白かったかどうかではない。
問われるのは学生時代に何を考えて生きてきたか?
学生時代には分からなくても、そのうち分かる。
もし、あなたが居心地の悪い学生生活を送っていれば…今、あなたのセンスは勝手に磨かれている。
いや、別に芸人になりたいわけじゃないし…
面白い人になっても意味ないし…
そう思っている人も多いだろう。
でも、それは違う。
どんな大人になろうと、どんな職業に就こうと
面白いに越したことはないんだ。
面白い人はセンスがある。
そのセンスはどんな場面にでも活かせる。
そして、そのセンスの良さが会話力や発想力を生み、それが人間力へと変わる日が来る。
「この人の話を聞きたい」
そう思われる大人になりたいでしょ。誰だって。
「この人の話を聞いても意味がない」
そう思われる大人にはなりたくない。誰だって。
何もお笑い芸人や放送作家にならなくても、人生に笑いの要素はついてくる。
そして、目の前の人を笑わせる能力には人を助ける力がある。
もう大人になれば、変顔をしたり先生のモノマネじゃ笑ってくれない。
本当に面白い人じゃなければ通用しなくなってくる。そんな時期がいつか訪れる。
損をしてきた人は勝手にセンスが備わっている。そのセンスは宝。みんな欲しくても絶対手に入らない。
あくまで私の体感だが、人生が始まるのは35歳から。本当に面白いかどうかが問われだすのも35歳からだ。
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