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<閑話休題>銀座伊東屋と近代美術館、そして憩いの場所

 銀座一丁目にある画材及び文具専門店伊東屋は、専門店であることと銀座一丁目という人通りの多い中心から少し離れたところにあるため、もともと客が大勢来る店ではなかった。そのため、私が若い頃(約40年前)は、三越や三愛ビルのある四丁目交差点の雑踏を逃れて、一丁目の静謐な伊東屋に入るだけで、不思議と気持ちが安らぐ憩いの場所であった。

伊東屋ビル

 私は、ここでよく外国製の手帳やクリスマスカードなどを購入していたが、ある時から急に伊東屋の客層が三越と同じものに豹変してしまい、群れを成す中高年女性でレジが大行列になってしまったときには、もう絶望するしかなかった。普通、こうした専門店に一般の人が買い物をすることはないのだが、突如として大混雑状態になったのは、おそらくTV番組で芸能人などが紹介したことが理由にあったのだと思っている。それでも、この「流行」は一時的なもの(「流行」が長く続くことはないから)だと思って我慢していたが、その後も現在まで混雑状態は継続しており、もはや伊東屋は猫も杓子も行くようなデパートのような店になってしまった。そのため、私は銀座にあった「憩いの場所」を失うことになった。

 同じように、竹橋にある近代美術館もかつては私の「憩いの場所」だった。だいたい近代美術とか現代美術を鑑賞するような一般の人は少ない。日本で常に一般受けするのは、ルノワール、ユトリロ、シャガール(注:シャガールはその牧歌的な作品から、愁いに満ちた美青年をイメージする人が多いようだが、本人の写真を見ると、明らかに偏執狂患者そのものである)などの、二十世紀初頭の印象派を中心にした絵画(版画)作品だ。また、そうした集客を見込める作家の展覧会は、美術館ではなく大手デパートの催し物会場で昔はやっていたので、余計に近代美術館へ人が来ることはなかった。それは、上野の国立美術館や東京都美術館も同様で、ピカソとかレオナルド(ダビンチ)とか、そうした著名な作家の作品を展示する時以外は、こうした場所は美術好きの人だけが来る特殊な場所で、老人や家族連れがピクニック気分で来るような場所ではなかった。

国立近代美術館

 当時(約40年前)、老人や家族連れがピクニック気分で行くところと言えば、まずサマーランドや豊島園などの遊園地であり、それでなければ、中流階級の象徴であったマイカーで箱根へドライブに行くといったものが普通だった。そもそも、現代美術の作品を観て楽しいと思うような日本人は少ない上に(むしろ、赤瀬川源平のように公序良俗を害すると見られていた)、これを子供のいる家族連れで鑑賞するなんてことはありえないことだった。ところが今は、かつての家族連れが年月を経て多数の老人夫婦となって、曜日や時間帯に関係なく様々な美術館に群れるようになっている。それは、観光名所でもある上野界隈では仕方ないとしても、まさか近代美術館まで押し寄せてくるとは想像していなかったので、私はいささかショックを受けたのだ。それは、現代芸術が日本人に受け入れられるようになったというポジティブな面よりも、現代芸術が暇つぶし(レジャー)の対象になり下がったことに困惑した、という部分が大きかったことによる。

 ところが先日、近代美術館のモダンアート展に行ったところ、いかにも美術に関心がありそうな外国人観光客が多かった以外は、日本人老夫婦といった金と暇を持て余して暇つぶしに来ているような人たちの姿は少なく、総じて落ち着いた環境で鑑賞できたことに安心した(つまり、萬鐵五郎やクレーやカンディンスキーを見たいという日本人が、そう多くないのに何か安心したのだ)。

モダンアート展

 日本人老夫婦が多いとなぜ困るのかと言えば、作品説明のヘッドフォンをつけて鑑賞するのは良いのだが、その説明が終わるまで作品の前で数分間も立ち尽くすため、特に最初の展示作品の辺りが酷く渋滞してしまうからだ。そのため、混雑している展覧会での私は、人が密集する最初の展示作品付近を飛ばして人込みをかき分けて進み、真ん中あたりの作品の前の人が少ないものから鑑賞するようにしているのだが、それをしないで済むという当たり前のことが、これほど心地よいものであったというのは、しばらく忘れていた感覚だった。

 このように、ようやく近代美術館が落ち着いてきたように、伊東屋も最近は、中高年女性で大混雑という状態が年末年始などのシーズンを除いて少なくなった。一時の「流行」がやっと終わってくれたのだろう。しかし、最近は銀座を占拠している中国人観光客が(ルイ・ヴィトンの開店を待って外で大行列をしているのは、高級ブランドのイメージを阻害するだけであろう)、その波を伊東屋にも押し寄せている。そのため、私の好んだ静謐な時間は今でも取り戻せていないが、そのうちこの「流行」も終わるのだと思う。それがいつになるのかはわからないが、その時が訪れたら、かつてのように伊東屋の店内をゆっくりと鑑賞したいものだ。そう、ようやくゆっくりと鑑賞できるようになった近代美術館のように。

<私がアマゾンで、キンドル及び紙バージョンで販売している、エッセイなどをまとめたものです。宜しくお願いします。>


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