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<芸術一般>映画「シャイニング」について

ちょうどハロウィーンの季節と言うことで、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」が、ホラー映画の名作として話題になっているが、何か違和感を禁じ得ない。

まず、題名の「シャイニング」からして、これはホラー映画の意味ではない。主人公の少年や、ホテルの従業員が持っている未来を予知できる特殊な能力を「シャイニング」と表現しているのだから、彼ら2人の存在こそ主役である。そして、映画は彼ら2人を中心に見てこそ、キューブリックが描こうとした真のテーマが見えてくる。

ところが、本来脇役であるはずのジャック・ニコルソンが、ホテルに住み着いた悪霊に憑りつかれて、精神を病んでいくシークエンスばかりが注目されてしまい、その結果、ホラー映画という評判になってしまったのが、キューブリック好きとしては、なんとも歯痒い気持ちだ。

また、ニコルソンがホテルの大広間で延々とタイプする有名な文章、「all works no play make a Jack dull boy」は、正しい和訳であれば「良く学べ、良く遊べ」になるだろうが、これは精神を病むニコルソンの姿を彷彿させるべく、「勉強ばかりして遊ばないと、ジャックは馬鹿(狂人)になる」と訳した方が、よりしっくりくる。

映画の白眉となる、有名な最後の迷路のシーンだが、これはもうギリシア神話をモチーフとして解釈するのが一番で、「英雄」である少年は迷路を脱出するが、神話的存在に昇華するニコルソンは、迷路から脱出できないことによって、ホテルに住み着く悪霊たちの仲間入りができることになる。それは、たんなる人の死ではなく、ニコルソンが本来自分にいるべき世界に飛翔できたことを意味する。

だからこそ、ラストシーンの写真に写るニコルソンは、にっこりと笑っている。そして、「英雄」である少年ダニーは、「シャイニング」を持つものとして、一人の人(父)を神話の世界に送り出すことに成功したのだ。

最後に、キューブリックは自作にクラシック音楽を多く取り入れているが、この作品でも、ホテルに向かう自家用車を空撮するシーンで流れる、ベルリオーズ「幻想交響曲」からの「断頭台への死の行進」は、悪霊の住むホテルに向かう主人公たちには、まことに相応しい音楽だった。

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