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シン・雑草コラム〜引き抜かれない場所に生えた雑草たち〜

今月もやってきました! シン・雑草部の課題報告noteです。結成当初からメンバーが増えることも減ることもない、雑草らしからぬ状態を維持しています。ゴルフ場の芝のようにお手入れが行き届いているけど、コースを増やそうとしていない状況と思ってもらえばら分かりやすいと思います。こんな風に例えてしまいましたが、ボクはパターゴルフを小さい頃に六甲山でして、ガラケー時代にゴルフアプリで遊んだくらいしかゴルフの知識がないので適当に「あぁ、ゴルフ場の芝のようにシン・雑草部はケアが行き届いてるんだね」くらいの認識でOKです。ボクがしていることと言えば、たまに栄養剤を散布する程度で、参加メンバーが皆、写真と雑草以外にも興味の対象があって、依存しない関わり方ができているんだと思います。素晴らしいですね。

今月の課題

まだ誰からも今月の課題報告noteが届いていないので、相当苦戦しているんだと思います。どんな課題に取り組んでいるか知らない方もいると思うので、先に概要を紹介します。

雑草は意識しないと見逃してしまいます。今日、無意識に踏んでしまった人もいるかもしれません。ボクは、公園に行くと必ず雑草を踏みます。シロツメクサのような可愛い雑草も踏みます。花の部分は極力避けるようにしますが、シロツメクサにとっては、花の部分も、葉の部分も関係なくて、踏まれたことに変わりはありません。「頭は踏まないけど、足は踏まないようにしている」と、巨人に言われたら、「踏まれることが嫌なんだよ!」と思いますよね。だけど、こんなことを気にしながら公園で過ごすと、外を歩けなくなってしまいます。雑草は強いんです。だから大丈夫です。人間より、生命力に溢れていて、ありのままを受け入れ変化しながら雑草は今日まで生き抜いてきました。"そんな雑草を探し"ながら、生き抜くために自分に足りないものを見つけられたら良いなと思っています。

2023年5月7日のnoteより

太字にして課題の対象を分かりやすく表示してみたけど、こんな雑草なかなか出会えませんよね。ボクは結構散歩するし、一般的な人より街に生えてる雑草を意識して歩いていると思います。そんなボクでも、"そんな雑草"に遭遇する機会は年に1回あるかないかです。そんなレアな雑草なので、3週間では会えない可能性も十分にあります。それでは、探したけど見つからない、ビジョンメガネのような報告しかできないと思われるかもしれませんが、シン・雑草部で毎月適当にnoteを書いていればそれを報告できる状態になれます。「そんな能力必要ない」という声が聞こえてきそうですね。分かります。ネタがないからネタをつくれない。アイデアがないから、新しい事業を生み出せない。被写体がないから、写真が撮れない。こういうのを無い物ねだりって言うんですか? 今、目の前に見えているもの、ありますよね。それらを受け止めて、見方を変えたり、触れたり、舐めたり、振ってみたり、嗅いでみたりすると、気づかなかった世界に導いてくれるんです。そんなことないと思う前に、まず試してみる。人生歩き出さなきゃ、始まらないんです。

というわけで、雨が降る中、植物園で雑草を探して、撮ってきました。いくつもの雑草を踏みました。シロツメクサは花を避けるように努力しましたが、容赦なく踏みました。「新しい靴は踏んだ方が長持ちするんやで」とジャイアンみたいなクラスメイトが言っていたけど、雑草たちも同じなのでしょうか? ボクは平和な世界が訪れることを望んでいるので、生き物は互いに踏み合うような世界より、優しく撫で合う世界の方が好きです。ポケモンのアニメで、ウツボットが主人公のサトシを良く食べようとしていましたが、消化されることはありませんでしたよね。あれって、食虫植物であるウツボットが人間と遊びたいから、口の中を人間が入っても無害な状態に変えているんだと思うんです。やさしい世界ですね。

相変わらず前置きが長くて、さっさと報告しなさいと思われている人もいるかもしれません。調子に乗って書きすぎると、写真が出てくる画面までスクロールされてしまいかねないので、この辺で調査報告写真1枚目を載せます。

ドン!!!(←写真を投稿する効果音として不適切)

いかがでしょうか? 植物園が丁寧に管理している、ダブル・デライトじゃないか! 雑草魂が不足していたらそう思ってしまうのも無理はありません。大丈夫です。雑草初心者でも理解できるように解説します。課題文を読んだときに、ボクが気になったのは以下の文章です。

"生き抜くために自分に足りないものを見つけられたら良いな"

自分で書いた課題文なんですけど、これは雑草を調査しながら、目の前にある雑草に足りないものに気付いて欲しいというメッセージが込められているんだとボクは解釈しました。ちょうど今日、最寄駅で小雨が降るなか、鎌を持って地面の隙間に生えている雑草を根絶やしにしようとしているおじさんがいたんです。そのときは、「あぁまたか」としか思わなかったんですけど、同じ種類の雑草が植物園のバラの花壇では誰にも抜かれることなく生えていたんです。生まれた場所によって人生が変化する、人間と同じだと思ってしまいました。たまたま花壇の中に生えたから抜かれなかった。人通りの多い道に生えてしまったから抜かれた。誰のせいでもないから、誰を恨むこともできないし、花壇に生えてきた雑草は外の世界を知ることなく消えてしまいます。

なんだか写真を見ていて切なくなってしまいました。明日は5月最終日だってのに。無理に気分を変える必要はないけれど、未来は明るいと思いたいじゃない! だったら、今からできることを考えればいい。草が除草されている場面に遭遇したときは、瞳を閉じて「酸素をありがとう」と念じれば良い。家の庭の掃除で引っこ抜いてしまったときは、抜いた分だけ想いを込めてお花の種を蒔けば良い。

生き抜くために足りないもの

今回の取り組みで思ったのは、ボクが「生き抜くために足りないもの」は感謝することだと思うんです。毎日を全力で生きるためには、日々の生活で関わってくれる存在が必要ですよね。たとえば食事だったら、食べる前に「いただきます」、食べ終わったら「ごちそうさま」と言います。あれは食材に対する感謝以外にも、育ててくれた人や自然、料理してくれた人への感謝の気持ちが込められています。食事のたびに意識することは正直少ないですが、そういう想いが込められた言葉であることを定期的に振り返るようにすれば、何かが変化するような気がします。雑草を探した結果、感謝の気持ちが足りないことに気付く。来月はどんなテーマを設定し、どんな結論に辿り着けるのか楽しみです。

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