些細な変化が周囲に与える影響

朝noteを書くと、夜をゆっくり過ごせる。毎日noteが苦痛に感じるときは、23時半を過ぎても何を書くか決まらないときだ。好きでしていることだからこそ、ストレスは極力避けたい。昨日、早く寝られたのも、朝noteの効果が大きいように思う。だから、今日も通勤電車で、スタディサプリをしたあとに、音楽を聴きながらnoteを書くことにした。

昨日何を書いたか覚えていないのだから、これから書くこともすぐに忘れてしまうのだろう。忘れてはいけないことを、頭の中だけで覚えておこうとすると他のことに集中できないけど、メモしていつでも思い出せる状態にすると、他のことに集中できるようになる。ボクがnoteに書くことは、忘れてはいけないことではないが、ここに書くことで今自分が何に興味があるのか知るキッカケになる。それを知ったから、何かが変わるということはない。呼吸をしていることを意識することがないように、自分が生きていることを日常生活で意識することもない。それを積み重ねてしまうと時間が無駄に過ぎそうだから、今を言葉で記録することが自分がここにいた記録になる。

毎日同じ車両に乗っているから、周辺にいる乗客もだいたい同じだ。自由席が指定席のようになり、たまに現れる旅行客がそのリズムを乱す。座れなかった人がドアの側に立つと、普段そこに立っていた人が違う場所に立つことになる。そうして、見慣れた風景が一変してしまう。ドアを背もたれにして教科書を読んでいた学生は、背もたれをなくしたことでスマホを操作している。些細な環境の変化だけど、習慣を乱すには十分である。だから、何か習慣を変えたいと思ったときは、意識して普段と異なる要素を取り入れてみると良さそうだ。たとえば、仕事を並行して進めるのが苦手な場合、毎日10分でいいから手持ちのタスクを進めるよう昔の上司に言われたことがある。メインの仕事を止めてしまうことが不安だったけど、1時間くらいを別の仕事をしても、ほとんど影響はなく、むしろ他の仕事も並行して進められたことで自信をもつこともできた。

習慣化することは良い面がたくさんあるが、定期的な見直しをすると、今の自分に必要かそうでないか棚卸しができる。もちろん、無意識のうちに見直していることも多いと思う。気付くキッカケがなければ、当たり前のこととして処理してしまうことにどうすれば気付けるのか? noteに限らず、自分の生活を書き出して客観的に見ることがその答えの1つになるかもしれない。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!