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週末フォトグラファーの現状について 13

こんにちは、平井(@yuji87)です。

2021年のことは、しっかりと記録しておきたいと思っているので、このnoteは少し長くなるかもしれない。無駄なことを書かずに要点だけ箇条書きにすれば良いのかもしれないがそれだと寂しいし、そもそも要点も何も纏まっていない状態で書き始めているのでこういう無駄な文章が多くなってしまう。書きながら頭を整理しているのか、無理やり言葉を捻り出しているのかは知らないが、キーボードを叩いている時間は好きだ。外で写真が撮れない時期はnoteが撮影の代替手段になっていた。写真は光の当たり方や、影の角度など自分の力ではどうにもできない要素がたくさんあるが、文章は自分の思考の域を超えることはない。無意識に文章を書けるようになれば違う世界が見えるのかもしれないが。今を記録して振り返るためにこのnoteが存在してくれればそれでいい。原稿用紙1枚の文章を苦労して書いていた学生時代が嘘のように、次から次に言葉が湧いて出てくるようになったのも、写真がボクに考えることの楽しさを教えてくれたからだ。

2021年はこれまでの写真生活の中で1番辛かった

どこで何を撮っても罪悪感が付き纏っていて、「外で写真を撮って良いのだろうか?」とずっと考えながら過ごしていた。感染者数を気にして会いたい人に会えず、もうこのままオンライン上でしか話せない世界になってしまうのだろうかという不安しかなかった。会えないから会いたくなるのか、2年前の生活が戻ってきても会いたいと思うのか。そんなつまらない自問自答を何度もした。会いたい気持ちに理由はいらない。大学の夏合宿で友人が言った「好きになるのに理由なんて要りませんよね」という言葉が蘇ってきた。思い出に浸るといらないことまで書いてしまうのだが、今思い出したことに何か意味があるのかもしれないから少しだけ書こうと思う。

カメラを買ったことを後悔したことは何度もある。写真の世界を知らずに過ごしていたら、全く異なる人生を歩んでいたことは間違いない。その方が良かったのではと思うことも多々ある。ただ、写真のない世界で生き生きと生活している自分の姿なんてイメージすることができないから、この先ボクは死ぬまで写真と向き合っていくしかない。いつか死を覚悟するときに写真を撮っていて良かったと思える人生に何としてもしなければならない。19歳の春に難病宣告を受けて死を意識し、まだ生きられるんだと思ったとき「生きた証」を残したいと考えた。学生時代に生涯を掛けて突き詰めたいと思えるものには出会えなかった。でも今のボクには写真がある。同じように思っている人はたくさんいるだろうから、写真史に自分を刻もうとするのは茨の道だ。ただ、好きを突き詰めた先にしか、それを実現する方法はないと思っているから悩みも苦しみもすべて受け入れて乗り越えるしかない。最終的には精神論に行きついてしまったが、影でセルフポートレートを撮る機会が増えたのも、これが理由なのかもしれない。

SNSがなかったら写真のことを考える機会が遅れていたかもしれない

SNSと写真に関しては、そこで費やす時間が増えるほど、デメリットばかりに意識が向いてしまう。likeやフォロワーの数。その先にある目的を達成する手段や、自己表現の場としてSNSを使うのは良いと思うが、数だけを意識して使っていると承認欲求に潰されてしまう可能性がある。こんなことをアマプラで「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を初めて観ながら書くことではないが、お互いの気持ちを確認する場面が偶然このタイミングに訪れて、これは必然なんだという自己中心的な解釈をしてしまう。写真もこんな風に考えられればまた違った見え方ができるかもしれない。残された時間が分かってもボクは今の生き方を変えることはない。もし余命1年と宣告されても、退職しないだろうし、家族にも伝えないだろうし、今まで通り限られた時間で写真と向き合っていると思う。時間がないからといって、1年間世界中で写真を撮ったとしてもその写真はボクが撮る必要のなかった写真だと死ぬとき必ず後悔する。今の生活の中で撮る写真だから、ボクにしか撮れない写真が生まれる。とてもシンプルだけれど、この1年考えて出た結論だから、今後大きくこの考え方が変わることはないはずだ。家族一緒に世界一周できるなら話は変わるかもしれないけれど、それを望まないことも理解している。こんなことを考えるキッカケをSNSがプレゼントしてくれたんだから、何事もしっかりと向き合うことは大切だなとしみじみ思った。

自分にしかできないことについて考えた1年

写真のHow to記事を書かなかったのも、自分にしかできないことを考えた結果だ。ボクが書く必要性を感じなかったし、下手に言語化してしまうと表現に制限がかかるような気がしたからだ。そんな中、取り組んだものが「共作ZINE」の制作だ。1月にSNSで募集して12名の方々と順番に毎月1冊のZINE制作をすることが決まった。正直、どうなるか分からなかったけど、あと3冊ですべてのZINEが完成するところまで進んでいて、もう協力して頂いた方々には感謝の気持ちしかない。本当にありがとうございます! このZINEはいつかニューヨークへ訪れるときに、12冊まとめて向こうのギャラリーに持っていく計画だ。すべてのZINEに時代によって色褪せることのない普遍的な要素を含めたいと思って作っているので、それを確認するまでこのZINEの物語は終わらない。この1年は写真集をたくさん読み、50年以上前の写真でも良い写真は良い写真であることを理解できたことが大きい。スマホやパソコンで日常的に様々な写真に触れる時代だからこそ、本当の「写真」を知ることが自分の写真を考えるスタート地点になるのかもしれない。知れば知るほど、自分が無力であることを見せつけられるが、それに気付き受け止められたとき道は少しずつ開かれる。ボク自身がそう感じたから、これまでも同じような経験をしてきた人はたくさんいるはずだ。このnoteを読んで、同じようにたくさんの写真家の写真に触れる人が一人でもいてくれたら嬉しい。そして、自分にしか撮れない写真や、自分にしかできないことについてじっくり考えて欲しい。衝動で撮る写真も良いが、悩み考えながら試行錯誤している写真も良いものである。

Instagramについて

アルゴリズムに振り回されるな。それだけで終わってしまっても良いけど、このnoteで2021年のInstagramに触れないと意味がないので書きたい。まずは、半年で2万フォロワーを増やし、一つの区切りで考えていた5万フォロワーを達成した。like数もアルゴリズムがいい感じに働いてくれたときは、1万を超えることもあり正直もう自分の意志とは別の場所で繰り広げられる祭りのような感覚で見ている。2022年も同じスタイルで続けていくつもりだ。スナップ写真アカウントを作ったのは、メインのアカウントを淡々と続けていくためでもある。もう数の時代は終わったと思っているが、Instagramがなくなるまではその恩恵にあずかりたい。海外旅行が解禁されたら、いろんな国のフォトグラファーに連絡して、現地でいろんな場所に連れて行ってもらいたい。仕事に繋げたいからフォロワーを増やしたいという理由だと絶対しんどい。ボクが昔そうだったように笑 SNSは友人を増やすためのツールであって、結果として仕事に繋がったという順番が理想。いろんなところで書かれてそうだけど、大切なことなので書いておく。どこまで書くかは非常に悩むけど、落合陽一さんが少し前に書いていた言葉を思い出したので、Instagramについて書くのはこれくらいにしたい。2022年にボクのアカウントに動きがあったら、今考えていることを実行しているんだと思う。種蒔きしますとだけ残しておく。

最後に

3,000文字も書いたのでもうおしまいにしたいけど、メタバースについて少しだけ触れたい。

2021年後半から友人が写真のNFTを牽引している様子を見ながら日々ワクワクしている。2022年にどう発展していくかまで考えは述べないが、NFTを意識するか、意識しないかが大きな分かれ目になると思っている。技術的な課題や現状理解に努め、これからどのように進化するか情報を掴みにいく姿勢は、写真に限らずこれからを生きていく上で必要な要素になるはずだ。分からないから、自分には関係ないから知らなくていいという考えでは、周りの変化に気付いたときにはもう手遅れという状態になるだろう。メタバースはそれくらい社会に影響を与える力がある。うどん屋さんが仮想空間でうどんを売って利益が得られる時代はたぶん訪れる。仮想空間でうどんはイメージしにくいが、adidasが仮想空間で生活する人たちが履く靴を売って収益に繋げるのはイメージしやすいだろう。現実世界と仮想空間の2つの世界で生きられる時代。未来がどうなるかは分からないけど、楽しそうだと思ったことには素直に向き合って生きたい。それが人生を豊かにすると信じているから。

2021年出会えたすべての方へ
これからも変わらず淡々と街の記録を続けていくので、タイミングが合ったときは喫茶店や居酒屋で写真の話を一緒にできたら嬉しいです。

ありがとうございました! 良いお年をお迎えください!

2021年12月31日 平井 裕士

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