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いつまでも子どものままで居てくれたら良いのにと思ったこと

こんにちは、平井 @yuji87 です。

家に帰ると、子どもたちが見慣れない鞄を斜めがけにして、おかえりと玄関まで走ってお出迎えしてくれた。「先生とこ行く!」と言いながら自慢気に見せてくれた鞄には保育園の名前が刺繍されていた。そうか、もうこんなに大きくなったのか。最近、仕事で帰りが遅くなることが多く、平日は子どもの寝顔しか見れない日もたくさんあった。昼休みに子どもたちが小さかったことの写真や動画をスマホで眺めながら成長の早さを感じていたけれど、遂にじぶんの鞄を持ってこの春から登園するくらいに大きくなってしまった。子どもが成長すると親は喜びと、小さな寂しさを手にいれる。生まれてすぐの何もできなかった頃の面影はもうほとんど見ることができない。たまにお風呂に入り過ぎてのぼせてしまったときは、タオルを巻いて抱きかかえて寝室で寝転んだ状態で服を着させてあげるが、赤ちゃんの面影を感じるのはそのときくらいだ。こんな経験もあと数ヶ月経ったらできなくなるだろう。

お風呂上がりには服を着るよりも先に乗り物の図鑑を見たり、お気に入りの大阪環状線のプラレールを自分で走らせたりして遊んでいる。レールの上を走らせるときは、床に伏せて電車の視点を楽しむように眺めている姿はとてもかわいい。ボクもプラレールを眺めるときは座らずに、うつ伏せになって長男と同じ姿勢で眺めている。実際に体験しないとイメージしにくいと思うが、うつ伏せになりプラレールと同じ視線で見る景色は結構迫力がある。家でプラレールを走らせている家庭の半分くらいで同じ光景が見られるはずだ。もし他にプラレールの面白い見方があればぜひコメントで教えていただきたい。

3年経ったらプラレールで遊ぶことも無くなるのだろうか?

いつまでも子どものままで居てくれたら。子どもたちに素敵な人生を歩んで欲しいと願いながら、心の奥でそう願うもう一人のじぶんがいる。願っても決して叶わないと分かっている。まだボクが父親として一人前じゃないからそう思うのだろうか。

これから学校や社会に出ると数え切れないくらいの心配事に悩まされるはずだ。今でも公園で他のお友だちと滑り台の順番待ちをしている様子を見ているだけで、何か起きないか心配してしまう。本当は隣でサポートしてあげたいけど、子どもたちが一度自身で出来たことは見守ることにしている。もちろん、困っている仕草をしていたり、呼ばれたりしたときは飛んで駆けつける。魔女の宅急便で主人公のキキが魔女になるために家を出るときに、お父さんに「昔みたいに高い高いして。」と言う場面がある。もうこの数年で何度も見て、その度に子どもたちを高い高いしている。10年後に同じように子どもたちを高い高いしてあげられたらと思いながら。もちろん普通に過ごしていたら中学生から高い高いしてと言われることはないだろうから、小学校を卒業したときの春休みに魔女の宅急便を絶対に見ようと計画している。

育児は親を成長させるとよく言われるけどその通りだと思う。妻から父親として成長したところを言われると本当に嬉しい。子どもたちが遊んでいるときに突然泣き声が聞こえたとき、泣いていない方が意地悪したと決め付けたことがあった。思い通りにできなくて一人で泣いていただけなのに。それ以来、子どもが泣いているときは、まずは様子を見て状況を把握し、何があったか問い掛けるようにした。これにより、泣き声を聞いても落ち着いて対応できるようになった。もちろんボクが疲れで判断力が落ちているときは上手にできないこともあるが、その状況を俯瞰してコントロールできるようにもなってきている。さらに、子どもをしっかり見ることを意識していると、小さな変化も見落とさない効果があると気付いた。子どもが話しかけて来たときに適当にいいねと言うのではなく、しっかりと目を見てボクがどれだけ興味を持っているかを伝える。その過程で、昨日はできなかったことができるようになっていたときは、それに気付いたことを伝えると照れながら「できた!」と言ってくれた。めちゃくちゃ可愛かった。

これからもたくさんのプレゼントを子どもたちから貰えることを想像すると、いつまでも子どものままで居てくれたらという思いも払拭できそうだ。それが良いのか悪いのかは分からない。そしてボク自身も彼らの成長を応援するだけじゃなくて、成長しなければならない。これからも不安が尽きることはないが、できることが増えたときの未来を想像するとワクワクする。10年後に世界はどうなっているか分からないけど、家族みんなが元気で居てくれればそれだけでボクは幸せだ。

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