「先生」として歩んだ道のり①
やっと少しずつ、自分の考えていることを掘り下げて、言語化してみようという気持ちになってきた。私は小学校の教員をしていました。現在は休職していますが、働いていたころの気持ちを思い出して綴ろうと思います。
教員になるまで
「先生になりたい」と思ったのは小学校3年生くらいの時。フルートを吹いてくれた女の先生に憧れたんです。「先生って何でもできるんだ」って純粋に思った。小学生にとって『身近な大人』って先生ですよね。私には先生の存在は憧れだった。だからそれを公言した。
「私は先生になりたい」
親にも周りの友達にも「すごいね」「えらいね」と褒められた。それが嬉しかった。だからずっとそれが正しいと思って進路を進めてきました。大学の受験には失敗して1年間浪人もしたけれど、地方の国立大学に行くことができた。大学3年生の時には教育実習へ。「大変だ」と脅されていた教育実習もなんだかんだ楽しくできた。自分は教員に向いているなとさえ思えてしまった。
初任者として配属されてぶち当たった「壁」
この間まで大学生だったのに、4月1日になった途端「先生」になった。
窮屈な職員室に大量に積み上げられた書類の山。新年度特有の慌ただしい雰囲気。「初任者の先生いらっしゃい」というお出迎えムードではなく、「どんな子が来たんだ」と見定められているような雰囲気だった。
「何が分からないのかも分からない」
本当にこの一言に尽きる。職員会議なんてもう最悪だった。毎日毎日、不安だけど進む。終わらないから夜遅くまで仕事する。寝て起きて朝が来る。
思い返すだけで気持ちが悪くなるが本当にこのような日々だった。
気づけば子どもたちが登校してきた。初任者に担任を持たせるというこの悪しき慣習をやめるべきだと思う。何も分からないまま教壇に立っている。子どもは先生を「試す」
とにかく失敗して学ぶという方法しかなかった。1学期が終わってやっと「あ、算数の授業ってこうやって進めるんだ」って分かったくらいだった。学級活動のやり方なんて1年目が終わるくらいに「型」を知った。本当に子どもたちに申し訳ない1年間だった。でも良くも悪くもがむしゃらに頑張っていた姿は子どもにも保護者にも伝わった。
そんな感じで初任者としての1年が終わった。
長くなりそうなので続きはまた。
読んでくださりありがとうございました。