演劇というものが作られる場について。

9月14日、ある俳優さんが亡くなった訃報を知りました。私にとっても近い位置にいらっしゃる方でした。私が劇団献身に出演していた時、彼は関わっていませんでしたが、私が二度と劇団献身には出演しないと決めた公演以降、関わるようになったと後で知りました。

劇団献身の公演は、基本的にコメディとされていますが、稽古場でも劇場でも、作演出の奥村徹也さんはかなり厳しい演出をすることで知られていますし、いわゆるパワハラ的な演出は日常茶飯事でした。奥村さんは毎公演ターゲットを作ってその役者さんばかりを攻撃します。それは基本的に後輩の役者ばかりで、奥村さんと仲が良い後輩はターゲットにされません。ターゲットになりやすい人が座組の中には必ずいて、稽古で上手くいかないところはほとんど全てその人のせいにされます。

私は、大学生の頃から計2回、奥村さんの演出を受けましたが、確かに、1回目に出演した時はラストシーンで笑顔になれないほど苦痛でした。私は自分の演技のためにこの作品に出ると決めていたので、パワハラ的な演出を受けても耐えることができたし、2回目は仕事のつもりで引き受けていたので、何も気にしてませんでした。先日亡くなった俳優さんが献身の奥村さんについて発言した時も、私は「パワハラを受けていない」あるいは「受けたけど自分は傷ついていない」という理由で、何も言いませんでした。

けれど、彼がどれだけ酷い扱いを受けていたか、他の出演者がどれだけ酷い演出を受けていたか、色んなところから聞いていたのに、私は何もできなかった。自分が傷つくのが嫌だから、二度と関わりたくなかった、そういった論調に自分は参加したくなかったというのが本音です。

でも、彼の訃報を知った時、すごく悔しいのと同時に後悔しました。奥村さんは人を追い詰めて追い詰めて、傷つけているのに、いまだに演劇という名前を借りて自己満足なことをやっていて、かたや傷つけられた人はどうして命を奪われなきゃいけないのかと。このタイミングでこんなことを言うのは本当に卑怯だなと自分でも思いますが、演劇を作る身として、当時声を上げなかったことに心から申し訳ないと思うし、そういう人間が沢山いたから、いまだに業界には暴力があり続けるんだろうと思います。そして、何よりも、自分が愛してきた演劇というものの名前を借りて、誰かを傷つけているということが、私にとっては一番許せない。けれど、声を上げないことでそれに加担し続けてきたということに、ようやく気づきました。本当に後悔してます。本当に、凡庸な悪そのもの。

まず、奥村さんはパワハラ演出をした俳優たちに対して、傷つけた一人一人に対して心から謝罪すべきです。形だけの謝罪をして、HPに文言だけ載っけて、「俺はパワハラはやめられない」なんて裏で言わずに。そして、今まで傍で見て見ぬふりをしてきた劇団員たち、制作の人も心から反省して、謝罪するべきです。そのような人だと知っていながら、誰かが裏で傷つけられているのに知らないふりをして出演を承諾していた役者も同罪だと思います。私含め。

私は、自分の劇団でも他の公演に参加をしたときでも、おかしいことはおかしいと言わなきゃと思うし、誰かが「演劇を作る」という名目で傷つけられることはあってはならないと思うし、自分が関わる作品でそんなことは絶対にさせないし、自分もしないと、強く誓います。これからも、そういう場面を見たらその場で言うし、傷つけられる人がいないように、気をつけたい。本当は全員がそうしなければならないのだと思う。その人の作る作品が面白いから許される、ではなくて、人間が人間と何かをするときは、どんな時でも一人の人間としてリスペクトする必要があると思うし、そんな当たり前なことが守られていなかった自分の業界が、心から恥ずかしい。

ここでは、亡くなった俳優さんの名前をあえて出しません。彼の死が、このような形で消費されてほしくないと思うからです。けれど、「彼はこういう人でした、すごく素敵な人でした」という言葉だけで、時が経って彼の死が忘れられることも嫌なので、私は文章を書きました。彼のご冥福を心からお祈りしていますし、彼が声をあげてくれたことを、大切にしたいと思います。

2022.09.23
田村優依

いつもありがとうございます。もっと身近に、私が思ってることとか考えてることとかをわかりやすく表現していける場があればなと思って、作りました。気軽にリアクションをして頂いて、新しい出会いとつながりが生まれればいいな。皆さんの好きなことや好きなものも教えて欲しいです。