油淋鶏を揚げたら脳内でインフェルノが流れ始めた


料理が好きだ。

正確には、料理というより何かを生み出す行為が好きだ。

無の状態から一を作り出す。目の前に並んだ食材を見て、レシピなど見ずに新しい物を作り出すのが好きだ。だからこそ、文章を選んだのだろうけれど。

真っ白なキャンバスに美を見出すと、学校では色を塗らないキャンバスなんて言語道断だからせめて白を塗れと言われた。分かってないな、この白だから良いというのに。絵の具を塗ってしまえば質感や影、粗さなど全て意味がなくなるだろうに。


そんな感じで、昔から新しい何かを作り出してきた。文章がいい例である。私の頭には形にすらならず、その場だけで物語が出来上がった作品がいくつもある。

思いついては数十分、キャラクターたちが脳内で動き始める。そこで文字に起こすかは、私の気力によるだろう。見切り発車で書きだすと、後々収集がつかなくなるのは初めてネットに投稿した時に学んだ。

毎日二時間ほど、パソコンの前に座って次の話を書くという作業は結構きつい。何度も前を読み直し相互性を測るのであれば最初からぽんっと一個作った方がいいのだ。

もっともその影響で新しい物語を簡単に出さなくなってしまったのだけれど。

話を戻そう。

料理が好きだ。

実家にいた頃、時折自分のために弁当を作っていた。社会人になってからというもの、毎日コンビニで買った食事やカップラーメンを繰り返していたからである。

一個98円のカップラーメンたちは、普段インスタントラーメンを食べない私にとって大変魅力的な品だった。

コンビニのご飯だってそうだ。ありがたい事に専業主婦の母がいた我が家では、コンビニ飯にありつく事が少なかった。たまに昼ご飯が無いと言われ買いに行くくらい。夕食はいつも用意されていた。

そんな環境だからか、そもそもカップラーメンをそこまで好まないからだったのか。私の昼食は、コンビニ、カップラーメン、マック、ケンタッキー、バーガーキングだった。

一時期あまりにもファストフードを食べていたせいで、職場のお姉さん方に「ジャンキー優衣羽」とまで言われていた。

しかし動きまくっていた会社員時代、そのジャンクフードは一瞬にしてエネルギーに変わっていた。太る事もなく、ジャンクフードをむさぼり続けた結果。


飽きた。


もう驚くほど飽きた。そもそも、口にするものがいつも同じだからだ。

マックは照り焼きマックバーガーのセット、飲み物はコーラゼロかスプライト、Mサイズポテト、追加でナゲットバーベキューソース。

ケンタッキーはチキンフィレバーガー。飲み物はコーラゼロかスプライト、ポテト、たまにパイ。

バーガーキングはワッパーjrかアボカドバーガーセット。飲み物は以下略。

カップラーメンは基本UFO、味噌ラーメン、辛い系。
コンビニ飯は寿司か丼物。

そう、いつも同じなのだ。

新卒で入ってから一年半ほど所属していた部署は、近隣にファーストフード店ばかりだった。昼休みになると買いに行き、たまに株主優待券を使ったり。とにかく同じものしか食べていなかったジャンキー優衣羽は飽きたのだ。

一年半経った後、別の部署に飛ばされた。昇進と言えば聞こえはいいが、決して喜ばしい物ではなかった。

その部署では近隣にファーストフード店がなかった。あるとすれば道路挟んだお向かいのデニーズくらい。でも毎回デニーズで食べるのはお財布的に困った。

そうして少しだけ自炊を始めた。と言っても昼ご飯だけである。ちなみにその自炊はあまりの忙しさから二ヶ月ほどで終わった。


転職して一人暮らしを始め、家事を全て自分でやっていると

「私適正の塊か?」

と思う事がある。もっとも、適正の塊になったのは一人でも生きていけるように大体の事は自分で出来るようにありなさいと母の長年の指導の賜物であるが。

おかげで私は魚も捌けるしアイロンは皺が伸びる瞬間が病みつきで大好きだし、掃除も汚れを取る瞬間に快感を見出すようになった。

最近の私の快感は、冬は毛玉取り、そのほかの季節はアイロンがけのしわ伸ばし、ガスコンロにこびりついた汚れ取り、貯金残高が増える瞬間である。実に庶民的だ。


そうやって適正の塊かと勘違いしていた私はつい先日、こんな事を思ったのだ。


「油淋鶏食べたい」


そう、油淋鶏が食べたい。大判の鶏もも肉をカリカリの衣で包み込んださっぱりした肉に、ネギの触感がやみつきになる甘酸っぱいタレがかかった油淋鶏が食べたい。

実家にいた頃、油淋鶏は優衣羽的に母の作る食事の中でトップ5には入る食べ物だった。ちなみに1位は母の創作料理である、梅豚という品だ。あれは彼女でなければ作れない。いつか皆に作り方を教えたいと思う。

広いキッチンで熱いと言いながら揚げ物をしている母の姿を思い出し、あの美味しい油淋鶏が食べたくなった。しかし、すぐに帰れる距離ではあるもののわざわざ帰って、油淋鶏食べたい!なんて言う気もない。

そもそも、その頃には別の物が食べたいと言っているはずだ。

油淋鶏、油淋鶏。丸三日考えていた私はついに、自分で油淋鶏を揚げる事を決めた。

鶏もも肉を一枚、しょうゆと料理酒で味付けをしたジップロックに十分ほど寝かせた後片栗粉を満遍なくつけ、18cmの小さな鍋にオリーブオイルを注ぎ(優衣羽ウスにサラダ油は存在しない)それをぶち込んだ。

その瞬間だった。

小さな鍋には鶏もも肉を平らに入れるだけのスペースはなく、放るように入れた肉は跳ね、ガスコンロの周りに大量の油が飛び散った。


「kiiiiiyyaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!」

声にならない叫びが金切りのように部屋中に響き渡った。途端上がった煙を急いで逃がすために換気扇を強にし窓を全開にする。慌ててひっくり返そうとした時、立てかけていたフライ返しが油を跳ねさせながら床に転がった。


「uwaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!」

パニック。もうパニックである。飛び跳ねた油が痛いとかそれどころじゃない。

狭いキッチンには熱々のオリーブオイルが飛散し、鶏肉は助けてくれと悲鳴を上げ続ける。助けて欲しいのはこっちの方だ。

床に落ちた油と片栗粉をスリッパ越しに踏んだ時、私の脳内では何故かMrs Green APPLEのインフェルノが流れ始めた。


『地獄じゃあるまいし』

いや、地獄だよ。

これは紛れもない地獄だ。

あまりにも悲惨なキッチンに呆然と立ち尽くしていたが、慌てて我に返り鶏肉を救出した。散々長い間揚げていたのだ。中まで火が通っているはずだろうと包丁を引いた。

通ってなかった。

再び私の脳内でインフェルノが流れ始める。

『永遠はないんだと、無いんだと言う』

いや、無いよ。

というより永遠に思えた時間が実はすごく短かった事に驚きだよこっちは。

溜息を吐いた私は切った鶏肉を再び震える手つきでオリーブオイルの中に戻した。

恐ろしいほど音を揚げ鶏肉を殺していく油に、地獄の業火ってこんなんなのかなと遠目から見ていた。

あの鶏肉は人間だ。地獄に落ちた罪を持っている人間。

インフェルノはダンテの「神曲」から由来した地獄という言葉である。

神曲は全三部、地獄、煉獄、天国の章に分かれており、14233行からなる韻文で出来た長編叙事詩だ。

この3というのは、聖なる数字らしく、彼は3にこだわり全編を3で区切るよう構成されている。

この神曲だが、私はこれを、「世界最古の夢小説」と呼んでいる。

多分もっと最古の夢小説はあるだろうが、私が見てきた中での最古の夢小説はこれだ。何故ならこの叙事詩、主人公がダンテ本人だからである。

つまり彼は自分が主人公の物語を、14233行分も書いた変態なのだ。これは誉め言葉である。

さらに物語の中でダンテは、見知らぬ暗い森に一人でいる。そこで案内人と出会うのだが、その案内人はダンテの憧れの古代ローマの詩人、ウェルギリウスだ。

ウェルギリウスに導かれたダンテは地獄、煉獄、天国と彼岸の国を回る。

地獄では九層の階から罪が決められていて、一番最下層にコキュートスがある。ちなみにこのコキュートスに入る罪人は、人を殺したり騙したりした人間でもなく。人を裏切った者たちなのだ。

コキュートスでは最下層で生きたまま氷漬けにされる。そこで終わりのない苦しみを味わうのだ。中央にはルシファーが氷漬けにされており意識を保ったまま永遠の苦しみを与えられている。ルシファーは神を裏切った罪人だからだ。


裏切りが一番重い罪なのは、何となく理解出来る。この人生でもっとも身近であり、傷つく行為だと思い知らされたからだ。


煉獄は地獄と天国の間であり、罪を認め贖おうとする余地が生前にあったもの、またはその審議を待つもので構成されている。

大きな山のようになっており、上に昇る度清められ頂点に達した時天国へ到達するのだが、ダンテはここでベアトリーチェに出会う。

そう、ベアトリーチェとはダンテくんの初恋の女の子だ。

ダンテくんは昔ベアトリーチェと出会い恋をしたのだが、ベアトリーチェは若くしてこの世を去った。24歳。今の私と同い年。

そのベアトリーチェに導かれたダンテくんは天国へと旅に出る。

なあ、これが夢小説と言わずに何というんだよ。

初めて読んだ時の私の感想がこれだ。いやもうこれ夢小説よ。大好きじゃんベアトリーチェちゃん。ダンテくん、これ夢小説よ。

天国でダンテくんは、この世でもっとも美しい物は神の愛である事を知る。しかし帰れない事に気づき、どうしようと困るも迎えの手が差し伸べられた。

そう、この手は今の奥さんである。

奥さんに導かれいつの間にか現実に戻っていたダンテくんは答えを胸に奥さんの待つお家に帰るのだ。

いや、だから夢小説やて。

ツッコみたい衝動を抑えながらも読み進めたのは、大学3年生の時だった。その頃イタリア語を専攻していた私は度重なる人からの裏切りで疲弊していた。

図ったようにどんな授業でもダンテの神曲の話をされ、ねえ裏で繋がってません?と教授に問うた事もある。本当に偶然だったようだが。

イタリア語で神曲の文を出され、和訳して読めと何度言われキレそうになったかは分からないが、この物語の内容と、ゴシック建築の屋根の一番上のとんがっている部分がピナクルという事だけが私の大学時代に学んだ事である。


インフェルノと聞く度にダンテを思い出し、音楽がなり、ダン・ブラウンのインフェルノが顔を出す。

ダン・ブラウンのインフェルノ、大学帰りに一人で見に行ったな。チケット買った後スマホを大学に忘れた事を気づいてヒールで駆けたあの日がもう随分と昔の事に思える。


そんな地獄が、目の前で繰り広げられているというのに私は先程よりも冷静だった。恐らくあのダンテくんの夢小説を思い出したからである。

恐る恐るガスを切り、震える手であげた鶏肉はしっかり中まで火が通っていた。さらに盛り付け口に運ぶと、小気味のいいカリッとした音が全開の窓から吹く風に溶けていった。

酸味のあるたれに舌鼓を打ちながらも、地獄を見たくなければ揚げ物はするなと心に決めたと同時に、何十回地獄を見たか分からない母へ、感謝の気持ちでいっぱいになった。

必死に揚げた油淋鶏は一瞬で腹の中に収まる。母がよく、一生懸命作ったのに一瞬で無くなるから切ないと言っていた気持ちが良く理解出来た。これだけ必死になって揚げた成果がこれでは、調査兵団も報われないはずだ。

だから、夜ご飯が油淋鶏だと聞く度に喜んでいた私を見て、嬉しそうにしていたのだと思う。一人暮らしになって、よく、母の愛情に気づかされている。


まあでも、しばらく地獄は見たくないなと思いながらも、貰ったカタログギフトで腹筋ローラーを申し込むはずだったのに、

『揚げ物も汁物も炒め物も!全部これでOK!!』

と書かれたポット型の鍋を買ってしまうくらいには、私は地獄を熱望している。

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優衣羽(Yuiha)
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