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父とのことを書きました。

父が1月の19日に亡くなって明日は四十九日です。この2カ月、本当にあっという間でなんだか不思議な時間軸を過ごした気分です。
ちょっと一度気持ちを整理しようと文にしました。自分自身のためのメモと決意的なものです。


父は去年の3月に末期の大腸ガンだと宣告され、10カ月闘病をしていました。
58歳でした。まだやりたいこと見たいものたくさんあっただろうと思います。
でも、宣告されてからの10カ月、9月には家族旅行で秩父にいったり、父の故郷である下関にも一緒に帰れてよかったなぁと思っています。

初詣も父の運転で一緒にお参りに行ったのにな、なんだか長いこと神様にお願いしてたなぁ。なにをお願いしてたんだろう。

父は変わったひとだったと思います。
不器用で、プライドが高くて、少し捻くれた人でした。でも父とは仲が良かったと思います。

小学生のときは父がやるゲームみてとなりであーだこーだいって、2人でゲームをクリアしたり、父親が寝っ転がってテレビを見ている横で同じクッションに寝っ転がってわざと邪魔をしながらテレビを見たり、中学生や高校生になっても近所のデパートに出かけては一緒に買い物をしたり、ちょっといいアイスを食べたり。

野球やゴルフ、山登りに海水魚、コロコロ変わる父の趣味にもよくついて行っていました。

楽天家でマイペース、だけどこだわりが強くてやるとなったらとことん。そんな私の性格は父とそっくりだなぁと思います。愛情表現が苦手な不器用な部分も似てしまいましたが・・・。

父は私が幼い頃にやっていたミュージカル、中学時代にやっていた吹奏楽、大学生になってからやった絵の展示、いつも見に来てくれていました。大袈裟な応援や賞賛はしなかったものの、それを映像や写真に撮ってはDVDに焼いたり、アルバムにしてまとめてくれていました。不器用な父なりの愛情表現だったのだと思います。

先日線香をあげに来て下さった父の大学時代からのご友人が「自慢の娘さんだって、言ってましたよ。」と言ってくださってほんとかわからないけど、ほんとにそうならうれしいな。

亡くなる瞬間、父の体を拭いて棺に収めるとき、火葬場で骨になって出てきた父。全てをちゃんとこの目で見たのに、日常に戻ると父が実家にいるような気がして、連絡がくるんじゃないかと思ってしまう。だから涙もあんまり出なくて、いつも通りに過ごせてしまう。自分が生まれた時からずっといる人がいなくなることを理解することがこんなに難しいことだとは思いませんでした。だから、私はいつも通り元気というか。それが気持ち悪いな、と思う日々です。

還暦を一緒に祝いたかった、結婚する人を紹介したかった、孫の顔を見せてあげたかった、まだまだやりたかった親孝行、挙げればキリがないですが、父が近くで見守っていてくれていると信じて、日々を楽しく一生懸命生きることが、これからの私にできることかな、と思っています。

こんなこと本人には絶対言えないけど、鈴木和彦という人のこどもに生まれてよかったなと、思ってます。

よし、がんばるぞ。