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ケンブリッジ大学での在外研究のご挨拶

この10月から来年の9月までの1年間、勤務先からの寛大な許可を頂きまして、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジで在外研究を行うことになりました。ご報告致します。


在外研究は、プリンストン大学とパリ政治学院に滞在してからちょうど十年ぶりとなります。もう少し早くに外に出たいと願っていましたが、大学内での業務などとの関係からちょうど区切りの良いこの10月から、拠点を一年間、イギリスに移すこととなります。


本当は、10月1日、今日の出発予定でしたが、9月半ばにイギリス政府の発表で、10月4日の到着以降はこれまでの日本からの入国の10日間の隔離措置が不要となるとのことで、自費で購入したエコノミーの格安チケットのキャンセル代を支払い、新たに購入して4日の出発としました。いよいよ月曜日の出発となります。


ダウニング・カレッジは慶應とは比較的緊密な関係があり、Keio Fellowという制度で毎年一人、ダウニング・カレッジ内のKeio Flatに滞在が可能となります。ただし、3ヵ月間のみの限定ですので、来年の1月からはこれから探す新しい大学近くのアパートに住む予定です。まあ、カレッジ内の学寮の部屋と、学外のプライベートな気に入ったフラットと、両方経験できるのは楽しい経験となるかも知れません。


コロナ禍の厳しい状況で、大学での業務も山積する環境で、このような贅沢を頂くのも申し訳ないような気がしますが、私も研究者として崖っぷちにおり、最近は専門のイギリス外交史研究が滞っております。
ですので、(1)『西洋外交史』のテキスト執筆、(2)『国連の成立』の単著の完成、(3)『日米同盟の起源』の単著の執筆という3つの大きな目標と共に、積み残しのすでに終えていなければいけないはずの仕事をまずは年内に優先して進める予定です。ケンブリッジの静かな緑の多い環境で、どうにか研究に集中できればと期待しています。


この十年間は、いろいろなかたちで政策形成の現場に接する貴重な機会を得て、政治学者として色々なことを学ばせて頂きました。帰国後間もなく、民主党政権で外交・安保政策形成の中枢の方々と色々な意見交換をさせて頂きました。その後に安倍政権が成立してからは、安保法制懇と安防懇、さらには安倍談話作成の過程での21世紀構想懇での報告、そして自民党での歴史本部での顧問としてのご協力と、なかなか学ぶことが多く刺激的な機会を頂きました。


他方で、それともに、それらの経験をもとにして、竹中治堅編『二つの政権交代』(勁草書房)の防衛大綱策定の章、『安保論争』(ちくま新書)Security Politics in Japan: Legislation for a New Security Environment (JPIC)『日本近現代史講義』(中公新書)共編『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会)『歴史認識とは何か』(新潮選書)の刊行などと一部の成果として残すことができて、研究者としてもよい経験となりました。これらの経験がなければ、まさか自分がこういっった種類の著書を刊行するとは、とても十年前のフランスからの帰国の際には考えておりませんでした。あまり政治の実務には関心がなく、とりわけイギリス外交史という現実政治からかなり遠く離れた専門分野の研究をしておりましたので、まさか自分がこのような経験をする機会にお声がけ、ご依頼を頂くことは考えていなかったので、自分でも驚いています。


他方で、本業のイギリス外交史研究、国際政治史研究などについては、本来到達すべき目標が十分に実現できずに、自分の中でもふがいないことと感じておりました。それゆえ、とにかく海外に出て、自らの仕事を整理して、本来なすべき仕事に集中する必要をずっと感じておりましたので、ようやくそこに到達できますことは嬉しいことです。


とはいえ、ここに辿り着くまでには、けっして平坦な道ではありませんでした。


四半世紀前、私がバーミンガム大学大学院で修士課程を修了した際には、本来は12月にガウンを着て卒業式に参加するはずだったのですが、慶應での修士論文も1月半ばまでに仕上げなければならないことと、イギリスの大学での卒業式の楽しみは博士号を取ったときのために取っておこうと、あえて卒業式には参加しませんでした。


その後、そのままとりあえず慶應の博士課程に進学しながらイギリス留学のためのいくつかの奨学金に応募したのですが、いずれも最終選考の面接で数人のなかに入りながら結果は不採用と悔しい結果が続きました。ちなみに人生は分からないもので、その時に書類選考で落ちたフルブライト奨学金は、その後プリンストンに行くときに研究者用のカテゴリーで採用して頂きました。


奨学金が取れずに、実質的には博士課程でのイギリス留学の道が断たれたと考えて、色々と悩んだ末にまずは日本で博士号を取ろうと決断しました。3年で、慶應で博士号を無事取得して、その後はイギリス留学の道もあったのですが、幸運にも北海道大学で有期の専任講師として採用をして頂くことになり、魅力的な北大の先生方と近づける良い機会と考えて二年間お世話になることに。北大での二年間は、今の研究者としての基礎をつくることができた、かけがいのない日々です。お声がけを頂いた遠藤乾さんには、感謝の言葉もありません。


その間に、二年の任期が切れた後のことを考えて、新渡戸フェローに応募して採用して頂きました。他方で、次の就職先として敬愛大学に公募が通りまして、ちょうど結婚して妻が妊娠をして海外渡航が難しい状況であったこともあり、悩んだ結果、新渡戸フェローでのイギリス留学を断念して、敬愛大学へと着任しました。


いずれ、大学教員としてサバティカルでイギリス留学に行ければという、戦略を変更したのは良かったのですが、慶應に移ってサバティカルを頂ける段階となり、ケンブリッジの先生にも連絡を取って受入も許可して頂いたのにもかかわらず、なんと慶應義塾大学法学部で私の立場で留学の制度を使ってイギリスに行く場合に、給与が半分に減るという規定があることが発覚。それまではその規定があまりにも古く、適用されていなかったようですが、出てきた以上はその規定に縛られるということで、悩んだあげくに、給与が半分にならないようなかたちでの留学へと方針を変更して、アメリカとフランスに行くことにしました。


これは自らの希望というよりは、実はイギリスのケンブリッジに行く予定が上記のような理由でやむを得ずに、向こうでの生活費が足りないために、急遽転換したのです。人生は本当に思い通りに行きません。この制度はあまりにも古く、非合理的であったので、大学にその旨の詳しい説明と制度変更の要望をお願いして、その規定はその後なくなり、それ以降の教員の方々には適用されなくなりました。


いったい、なんでこれほどまで、イギリスに留学することができないのか?
自分でも不思議に思うほど、次から次へと障壁が現れてきます。前回の在外研究から帰国後、十年の勤務を経て今度こそイギリスで在外研究をしようと思った矢先に、今後はコロナウイルス発生!


その結果、昨年度はケンブリッジ大学ダウニング・カレッジでは、訪問研究員は受け入れていませんでした。それが、今年度は受け入れているという連絡があり、昨年末に急遽、学内で申請をしまして、ようやくイギリスにいけることとなりました!


ただし、その後も、色々と思い通りに行かないことがおどろくほど続きます。自分でも笑いたくなるほど不運だと思いながらも、思い返せば自分の人生で思い通りに行ったことなどほとんどなく、中学受験の失敗、大学時と大学院時の交換留学制度を使っての留学の希望先が不合格、それで希望先を替えて通り、新しい機会を体験することになったので、こういった軌道修正を続けてきたゆえに、比較的方向転換をすることも苦にならなかったのかも知れません。


自分が25歳の大学院生の時代、バーミンガム大学大学院での留学中に初めてケンブリッジを訪問しました。指導教授のエリック・ゴールドスティン教授のケンブリッジの兄弟弟子であったデイヴィッド・レイノルズ教授に会いに行きまして、そのカレッジのあまりの美しさにため息が出てから、いつかここでイギリス外交史の研究をしたいと思い続けてきました。伝統的に、ケンブリッジ大学はチャールズ・ウェブスター、ハリー・ヒンズレー、リチャード・ラングホーン、ザラ・スタイナー、デイヴィッド・レイノルズと、外交史研究の伝統が豊かで、現在も優れた外交史家の方が多くおられます。


そして、それから四半世紀が経過して、いよいよその念願が叶いそうです。出発まであと三日。コロナ禍で制約の多い中での移動となりますが、どうにか無事に、到着して、落ちつて研究活動がスタートできるよう願っています。


これからの一年間で、イギリスにいる友人や、私のゼミのOBOG、そして新たに知り合うであろう方々とお会いするのが楽しみです。


今後は、シンクタンクの業務や、学部や大学院のゼミ生など、一定程度オンラインで続けることができそうで、従来の在外研究とはだいぶ違う、毎日オンラインで画面を見ながら会合が続きそうですが、貴重な機会を頂きぜひそれを活用して、研究者としての活力と勘をすこしでも取り戻せたらと願っています。その間、色々なかたにご迷惑をおかけすることになるかと思いますが、どうぞ何卒宜しくお願い申し上げます。


2021年10月1日
慶應義塾大学法学部教授/ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員


細谷雄一

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