3日目 現地採用の転職
朝: シリアル(予定)
昼:
夜:
今日は日曜日ですが、
昨日の晩酌の酔い感覚が少し身体に残って目覚めた。
朝からテニスコートを眺めながら、
テニス🎾出来るようになってよかったとホッとしています。
そしてなぜか、2012-2017を過ごしたジャカルタ現地採用時代のことを思い出しました。
ひと通り、考察したのでnoteでまとめて保存しておくことにします。
***
皆さんは現地採用と言う言葉をご存知ですか?
海外現地法人で採用された社員という意味です。
2012年4月、私は1年間のインドネシア語学交換留学が終わり、留学先の首都ジャカルタは東果てのダルマプルサダ大学に通いながら、拓殖大学を卒業しました。
正確には留学カリキュラムがあと2ヶ月残っていて、
付属短大の日本語文学部でアシスタントをやる代わりに授業を受ける権利を得ました。
先生方のはからいには今でも感謝しています。
成績はイマイチでしたが本当に楽しいキャンパスライフでした。
ある日、僕は知り合いの先生に声をかけてもらい、
話を聞くと、旦那さんが日系企業で経理部長として勤務しており、その会社で働ける日本人を探していると。
話はトントンと進み、
その年の9月に私の現地採用キャリアが始まりました。
条件は大手物流企業でのカスタマーサービス。
新しい倉庫を建てるため、人手が必要とのことでした。
初任給は手取USD 2,000(21万円くらい)。
駐在員の上司と現地人のマネージャーと現地採用の僕で、
3人4脚が始まります。
***
研修はシンガポールとタイで行われました。
なんと国内では新しい部署だった為、
海外の同系部署へ見学に行きなさいとのことでした。
行く前はウキウキのテンアゲでしたね。
着いてびっくり、内容が難し過ぎて頭痛くなるんでけど。。😅😂
そのあとは倉庫の開所式の準備でいっぱいいっぱいになって泣いたり、言葉の壁にぶつかってうなだれたり、
スキルの無さで恥かいたり、嵐のような日々が始まります。
顧客は大手一流企業ばかり。
僕、ぺーぺーのド新人。
誰も仕事を教えてくれない(笑)
おーい、駐在員の上司さま、
面接の時は将来の幹部候補ゆうたやん!
もっと大事育ててー、と思っていました。
上司は上役へのパフォーマンスで忙しい人でした。
僕は毎日試行錯誤して仕事をさばきました。
仕事は身体で見て、やってみて、覚えるものと理解しました。(半分あってるけど半分間違い笑)
成長しないと、周りについていかないと。
でもどうしたらいいんだろう。
そんな日々でした。
***
3年ほど経ったある日、新しい上司がやってきました。
彼は私の人生観を大きく変えてくれました。
前の上司は何をやっていたの、と憤り、
私に仕事を教えてくれました。
夜遅くまで。
でも、彼にも荷が重かったようでした。
ある難しい顧客の案件であーでもない、
こーでもない、やっていたら
メンタルバランスが崩れました。
私は過去に何回も崩れていました(笑)が、
彼はベテラン管理職。
いち兵隊と責任ある指揮官では話が違います。
社長が飛んできて、代役が関連会社からやってきて、
一応はなんとかなりました。
私も絶望しました。
信頼できて仕事ができる上司が全力投球したのに、
敵わない案件だったのです。
そして彼は周りに助けを求めることをしたのか、
しなかったのか、定かではないですが、
誰も彼に気づいて助けてあげることが出来ませんでした。
部下である私もです。
そんな環境を作る経営者に失望しました。
そんな時、私の日本の家族に変化と
自分の家族にピンチが訪れました。
・問題を抱えていた妹が、
新しい挑戦を始める
・父親が会社を精算する
・実家の引越
そして私は
4年連れ添った妻と離婚しました
***
こうして私は5年間の現地採用キャリアに
終止符を打ちました。
会社には父親の会社精算の手伝いをしにいくと伝え、
新しい職場を決めないまま、
実家へ帰りました。
現地採用と国際結婚・離婚、海外移住の経験を持って、
日本で人生立て直そうと決意したからです。
それから、ご縁があって
現在の会社にお世話になることとなりました。
3年前の今頃、僕は7/7の本帰国フライトを押さえて、
1週間の有給休暇消化前の最終出社日くらいだったと思います。
あの時の会社を去る気持ちは、
一生忘れないでいようと思います。
決して何か誇れる物を残せた訳じゃない気がする。
悔しい。もっと上手に出来たはず。
でも、倉庫には貨物が入っていて、
作った作業手順の仕組みがあって、
構築してシステムがあって、
一緒に働いた人がいる。
数百枚の顧客や取引先、関連会社の名刺と、
見積書と契約書。
要件定義書、請求書。
1万通以上のメール。
その全部を共有フォルダに入れたら、
少しスッキリした気持ちになった。
資料は引継ぎしたけど、
自分が居なくなったら困ることがあるだろうな。
でもそんなの一瞬で、代わりの誰かがやってきて、
物事は淡々と進んでいくはず、と。
***
以上、
私の現地採用を5年やった話です。
そこから得た教訓は3つ挙げるとしたら、、
・会社から教えてもらえることは少ない。
多くあるのはあるのは学べる機会。
→ 私は教えてもらおうとしていましたが、
学ぼうという姿勢になってから、
見えてきたものがありました。
・チャンスをモノにできるかどうかは自分次第。
いざというときには日々の積み重ねがモノをいう。
→ 私は積み重ねが苦手でした。
でも大きな力はいつも小さな一歩から生み出されることを知りました。
・生活と仕事は両翼の関係。
どちらかに偏ってしまうと必ず無理が出てくる。
→ 生活に満足が出来ている時は仕事が上手くいっていた気がします。仕事に満足出来ている時は生活が上手くいっていた気がします。
よく寝て、遊んで、家事して、しっかり食べて。
小学校で教わることですが、
それだけ基本的で大切なことでした。
***
基本的な「足腰」がしっかりしていれば、
誠実に働いて、恋をしたり、
誰かの役にたったり、
知りたいことを勉強したり、
生活を豊かにしようと工夫してみたり、
余裕が出てきます。
そして私はいま、
有り難いことに、
幸せを安定的に感じることが出来ています。
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