病院。

ある程度、覚悟をしていたのかもしれない。

しかし考えてみてくれよ。

3歳児が覚悟するってどういうことだ?

そんな前向きな姿勢を3歳児が知るはずないだろう。

覚悟したわけじゃない。どうしていいか分からなくて、なんかどこへでもいいから逃げたかっただけだ。

子どものころを思い出すと「懐かしい」と感じるのが普通だ。

それは僕もそうである。

でも僕が「懐かしさ」を感じるとき、いつもそこには「うしろめたさ」がつきまとう。

僕の原風景はうしろめたさだった。

どうしていいか分からなくて、観念した。

覚悟じゃない。観念だ。

もうこのうしろめたさに踏ん切りがつくことはないまま生きていくしかない。

そう思った。

もう先の長くない母に、会っていたらつらかったかもしれない。

でも会えないは会えないですごく寂しいもので、そのせいかよく幻覚を見た。

ふとんのまわりをザリガニがうごめいている。とにかくこわくてしかたがない。

ある日はブロンド髪の裸の女の子がまくらの上に立っている。とても神々しいのだが、あたりを見渡せばただの暗がりの和室で寝ている僕と、姉と、祖父母がいるだけだった。

母が病院にいることは分かっている。その頃の僕ときたら、この世界に病院はひとつだけだと信じて疑っていなかったのだ。

3歳児ってそういうものなんだよ。

祖父に連れられ、病院に行った。怖くて仕方がなかったけれど、あの母の手術跡が少しでも小さくなっているのを祈りながら、ロビーを歩いた。

祖父とソファに座ったけど、もうなにもかもがいやでソファの下のひんやりとしたパイプに足をこすりつけてどうにか落ち着かせるしかなかったのである。

祖父が力なく言う。「おい、、ちゃんと座んなさいな」

僕の気持ちを分かってくれているのか、怒鳴りつけるようなことは一切しなかった。祖父が、何をしても叱らなかった祖父が、いつにもまして力がない。

僕の気持ちを分かってくれているのかもしれない。そう思った。

だから言ったのだ。この、祖父と呼ばれる人になら、僕の思っていることを。言ったら楽になるような気がしたのだ。

『だって、、この病院じゃないんだもん。』

祖父は後日、母の叔母にあたる人にこのことを電話で話した。

電話の向こうはひたすらむせび泣く声であったという。

3歳のときの僕は、世界に病院はひとつだけと思っていた。

でもそうじゃなかった。母がいたのは別の病院だった。

祖父は、腰の持病を見てもらいに病院に行っていただけだった。

これだけのことが、僕にはとてもつらかった。


《つづく》

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