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世界一長い【シェアハウス募集要項】その2

 前回は、家を貸してくださる大家さんが見つかるまでのことを書かせていただきました。
今日は、シェアハウスをはじめてからのことを書かせていただきたいと思います。長くなりますが、ぜひ最後までお付き合いください!

 2018年4月から、友人2人と私の計3人でルームシェアをはじめたのですが、ちょうど1年が経つ頃、それぞれに結婚などの理由で退居することが決まり、3人ともその家に住む理由が無くなってしまいました。

 ただ、そのまま閉じてしまうのはもったいないと思いました。自分と同じように外から移り住みたい人が居たとしても、予算内で借りられる家がないために「楢葉町に住む」という選択肢がなくなってしまう。そんな当時の状況にもどかしさを感じていました。そこで、私自身は管理人に周り、入居者を募ってシェアハウスとして運営していくことにしました。時を同じくしてもう一軒、ご好意で貸していただける家が見つかったので、男性用と女性用とに分けて、二軒の運営をスタートしました。
当時掲げたコンセプトは、「低家賃かつコミュニティの中で暮らせるシェアハウス」

【これまでに入居したメンバーと、彼らに対しての私の思い】

ここでは主に、男性用シェアハウスのメンバーをご紹介します。

◯楢葉町のまちづくり会社を一年で辞めちゃったフリーランス男子/20代後半(その会社に所属していた頃は町営の雇用促進住宅に住むことができたが、辞めてしまうと難しいため)
▶︎一番最初に私のシェアハウス構想に乗ってくれた人。まちづくり会社を辞めるべきか否かと悩んでいた頃から知っているので、辞めたのであればそれはそれで応援していきたいと思った。

◯楢葉町に就職した福島県中通り出身の新卒男子/20代前半(就職したことが証明できれば町営の雇用促進住宅に住むこともできるが、まだ準備ができていなかったのとシェアハウスの方が安いため)
▶︎楢葉町に一人も知り合いがいない状態で就職してくるので、シェアハウスに住むことで同年代の移住者や地域の人たちとつながるきっかけを作ってあげたいと思った。

◯楢葉町に復興関連の仕事で頻繁に出張してくるエリート男子/30代前半(仕事の枠を超えて個人の思いとして、楢葉町に寝泊りして関わっていきたいという熱い志から)
▶︎国にお勤めの方が、復興関連の仕事で楢葉町にもたくさん来る。それらの人は日帰り出張か、いわきや福島のビジネスホテルに泊まることが多い中、個人の思いとして楢葉に寝泊りしたいと申し出てくれたことが、嬉しかった。

◯楢葉町の除染や復興関連の警備の仕事をしてきた福島県中通り出身の不思議系男子/30代前半(警備を辞めて楢葉町の新聞屋さんで働くことになったため)
▶︎以前から結のはじまりのお客さんだった彼が、警備の仕事を辞めるというので、ちょうど人を募集していた新聞屋さんで働いてみたらどうかと紹介した。「仕事を紹介する責任」について勉強させられる出来事だった。

◯楢葉町に就職→退職後、一度町を離れていたが改めて楢葉町の地域おこし協力隊になった出戻り男子/20代後半(地域おこし協力隊はその町に居住することが前提条件だが住む場所が無いため)
▶︎彼がこれから楢葉町でやりたいと思う構想が楽しみだった。一緒に何かできそうだし、そうなるようにサポートしていきたいと思った。

◯隣町の広野町で働く地域づくり系男子/20代後半(いわきで職場の人たちとのシェアハウスに住んでいたが、より地域の中に溶け込んでいきたいとの思いから)
▶︎わざわざ地域の中に入って暮らそうという志が嬉しかった。もともと面識の薄かった人がシェアハウスに興味を持ってくれた初めての例でもあり、一つの達成感を感じた。一方で、彼をサポートする環境を整えられなかった事が、のちの反省に繋がった。

↑男性用シェアハウスとしてお借りしているのは、かつての木戸宿で「萬寿屋」という旅籠屋さんだった場所に立つお宅です。屋号をお借りする許可をいただいて、運営しています。

【シェアハウスやってみたら傷ついた】

 上記のように書き出してみると、私の「思い」が「重い」ことが浮き彫りになりますよね…。
傷つく、などということは、普通の管理人と住人との間には起こらないことだと思います。そこには本来、「契約」や「ルール」があるから。しかしながら私は、それらには出来る限り頼らずに、人と人との信頼関係を結ぶことによって自由度を上げていくことに挑戦したい気持ちがありました。その結果、(当然かもしれませんが)上手くいかないことがたくさん起きた訳です。シェアハウスのみんなとのいろいろなすれ違いに、辛くなる夜が度々ありました。今はそれらを分析して、工夫して、住人のみんなとも共有できているので、今日ここには学びの履歴として書き留めさせていただきたいと思います。

①生活のルールを自分たちで考えてもらった

入居者が定員の4人集まった時、みんなに集合してもらい、自分たちで生活のルールを話し合ってもらいました。ここでの反省は…
・私自身が話し合いの中に入るべきだった!4人のメンバーに平等に意見を求めて、遠慮して言いづらいことも引き出せば良かった!
・初対面の人もいるのでみんなと打ち解けるために呑み会を開けばよかった!
・「共同生活」をしたことがない人もいたので、自分が生活の上でどんなことを気にするのかを客観視できない段階でルールを作らせるのは困難だった!最初の一回でルールを決めるのではなくて、定期的に場を設けて更新し続けるべきだった!

これらのことを怠ったばかりに、共同生活を始めたら、不満を抱く側の人と、悪気はないけど迷惑をかけちゃう側の人とが生まれてしまいました。

②コミュニティに関しては放って置いた

 入居者として受け入れたみんなは、「地域コミュニティに入っていきたい人」を選んだつもりです。なので、放っておけば勝手にコミュニティに入っていってくれるだろうと思っていました。家の構成上、同じ敷地内に大家さんが居ますので、自ずと大家さんとの日頃の挨拶も発生します。そこから先は、それぞれにやってくれるだろうと思っていました。
 ここには男女の差を感じました。女性用シェアハウスのみんなは、比較的積極的に挨拶したり、お土産物のやり取りをしたり、結のはじまりに呑みにきて地元の人たちと仲良くなっていくスピードが速いのですが、男子は自分から出て行くというよりは、ソっと地域のことを観察しているという感じ。年齢が若いということもあり、そもそも地元の高齢の方々の「ご近所付き合いの作法」を知らないという側面もありました。
 そこで今は、地域のゴミ拾いや草刈りなどの活動には参加することを必須条件としました。ゴミ拾いや草刈りに参加すると、その行政区の区長さんやご近所のみなさんに、自分がそこに住んでいることを知ってもらうことができます。これらの活動こそ、地域の中で暮らすことの大前提。スタートラインです。自分が何気なく目にしている近所の風景が、誰か知らない人の手ではなく、ご近所の皆さんの手によって保全されているということを知ることも、若い移住者にとっては大切な気づきになると思います。

③みんなの「失敗」に介入するべきかどうかを決めておかなかった。

 管理人として私のしていることの一つは、「このシェアハウスに住んでいる人は信頼できる人です。」と地元の人に保証することだと思っています。前回の記事でも書いた通り、大家さんにとって家は、誰にでも貸していいというものではなく、大切に使ってくれる人になら、地域に参加してくれる人になら、信頼できる人になら、貸してもいいかなと思って貸してくださっています。
 では、信頼っていったい何から来るものなのでしょうか?私は本当に、入居者のみんなのことを信頼できるほど知っているのでしょうか?
 この「信頼」という言葉に悩まされた出来事を二つ紹介します。

《入居者がシェアハウスに居るのに音信不通?!》

 入居したメンバーの中には、今後の仕事や人生に悩みを抱えながらもがいている人も少なくありません。ある日「あいつと仕事上の連絡を取りたいのに音信不通で困ってる。シェアハウスにはいますか?」という連絡が私のもとに入りました。他の知り合いからも同様の連絡が入り、いよいよ無視できなくなりました。このことに私が介入すべきなのかどうか迷いましたが、家の鍵を持っているのでシェアハウスに入っていき、物音がしたので彼が部屋にいることは確認できました。部屋の扉の外から彼に話しかけ、仕事上関係のある人に連絡するように語りかけました。なんとも表現し難い、切ない気持ちになりました。
“なんで仕事の連絡すらできないんだよ!“
“なんでこんな近くで話しかけてるのに答えてくれないんだよ!“

《家賃支払い期限、待ったのに払ってくれない?!》

シェアハウスの家賃は前月の25日までに私に払っていただくことになっています。あるメンバーが、2ヶ月支払いを待って「この日までには必ず支払ってね!」と決めた日に支払いを忘れてしまった、ということがありました。私は怒り心頭に達して、「あなたのことはもう信用できない!」と言い放ってしまいました。私にとって、「彼の信頼を私が担保しているんだ」という自負が、余計に彼のことを許せなくさせました。
“なんで待ったのに期限を守れないんだよ!“

これらの二人が、その後どうなったかというと、今もシェアハウスに住んでいます。彼らを「信頼できるかどうか」の問いは、私にとっては重要ではなくなり、「可愛いと思えるかどうか」が大切になったからです。音信不通になっても、期限が守れなくても、彼らのことが愛おしい。今はそう思えるようになりました。

そう思えるようになるまでの経緯や考察をもとに、新たに「結育 yuiku」というプロジェクトを立ち上げることに至ったのですが、それについてはまた次回綴らせていただきたいと思います。長文を読んでくださり、ありがとうございました!

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