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日記(2023)

今年一年 不定期で書き留めていた日記を読み返してみた

日記を書くことが好きだ
それは過去の自分と対話をする唯一の術だと思う
けれど毎日欠かさず書くということはとことん苦手で
さらに、まだ言葉になる前の気持ちの高揚を書き留める術をわたしはまだ知らないから
本当に嬉しかった時こそ何も書けずにいることが多い
そしてさらに、本当に言葉にするのも恐ろしいほど最悪な日のことも、同様に書けずにいることが多い

こんな調子なのでわたしの日記はあまりにも地味だ
なんてことない日々の なんてことのなさに
大真面目に一喜一憂していた

自主企画を開催した5月の日記がとても印象的で
東京で初めて自主企画を開催するプレッシャーの中
リリースやMV、対談動画などの準備に追われながら
わけもなく涙がとまらない、不安だ、疲れた、焦る、つらい、などと
この世のネガティブな言葉たちをすべてかき集めて書き殴ったような日記が続いていた

自主企画開催を発表してから、わたしの日々は
まるで、車窓から見える景色が後ろに後ろにビュンビュン流れていくようなスピードで過ぎていき
その分、すごい速さで進んでいるはずだったが
猛烈な向かい風を受けていたのだなと、改めて思う

その向かい風すら楽しめてしまう人は確かにいて、
というか向かい風くらい大なり小なり皆感じながら生活をしていて、
わたしはそれに大真面目に一喜一憂してしまうからきっと良くないのだろうな、なんてぼんやり思う
なんてことない日々なんだから、なんてことない顔して食べて寝て起きてを繰り返せばいいのだろうけれど、それがうまくできなくて、いちいち考えすぎてしまうし、考えた先に何かがあると信じ過ぎてしまう

東京に来て感じることは、やっぱり動かないと始まらないという、当たり前のことで
でも当たり前のことこそ、つい疎かになってしまう
東京にいても、鹿児島にいても、家の中でじっと過ごす分にはなんら変わりはなくて
考えるより動き出した先で、偶然、いきなり答えにドンとぶつかることもあるのだ

来年こそは明るく楽しく…!と思ったりもするけれど、山あり谷ありの道を転がるボールのように
楽しい時はぎゅん、とすごい速さで転がってしまうし、
転がった先の谷の時間は恐ろしく遅いスピードで、再び浮上する時をじっと待っているような日々がこれからも続くんだと思う
あまりにも極端な波のある生活
それが俯瞰で見たらおおむね凪のなんてことない日々だということも、もう20年生きてりゃわかるはずなのに
その波に大真面目に喜んだり悲しんだりしてしまう
悲しい時に、きちんと悲しいと思わないといけないような気になってしまう

でも、そうやって波にもまれて、必要以上にジタバタしながら、それでもなんとか進んでいけたらいいのかな
悲しい時にきちんと悲しいと思う、嬉しい時にきちんと嬉しいと思う、そんな当たり前な不器用な素直さで、これからもペンを握って、日々を綴り、歌を歌っていたい
ドキュメンタリーでありたい 
わたしがわたしであるゆえ 見える景色や抱く思いが、歌になって文になって、エンターテイメントになればいいなと思っている
なんて贅沢な夢だろうか、わたしはわがままなのだ

しかし、ドキュメンタリーとするならば撮れ高はまだまだ足りない
こんな地味な生活ばかりが綴られていては引きがない
来年はもっと、ドラマを作れたらいいな
今年よりも手強い向かい風がふくだろうが、ピカピカの夢が詰まったおでこを丸出しにしてぐんぐん進んでいこうと思う

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