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TikTokを見ていると自分が外側だということに気付かされる

LIGHT HOUSE が素晴らしかった
若林正恭さんと星野源さんが悩みを持ち寄って2人だけで対談をするNetflixの番組
8月末に配信されてわたしは既にもう4周した
それほど本当に素晴らしくて、これから生きていくうえでお守りになる言葉たちにたくさん出会えた
人生の節目節目で見直して、その度にまた新しく出会っていくのだろう
若林さんにも星野源さんにもシンパシーを感じたし
ああ、生きづらい私たちのための作品だ!とさえ思った


しかし、ただひとつだけ、


街の若者たちの悩みを聞くインタビューシーン
そこで若者たちが吐露する悩みは様々
それに、若林さんも星野源さんも親身になって答えているのだが

その若者たちが どうにも
生きやすそうに見えてしまった

「夢や希望が持てない」
「人と関わるのが上手くない」

嘘つけ!という言葉をぐっと飲み込んだ
いかんいかん、そんなことを思ってはいけない
嘘ではないんだろう 
彼らは本当に悩んでいるのだろう でも、

勝手に決めつけるのはよくないよね〜
人には人の地獄ありだよね〜 チャンチャン🎶
とはどうしてもならなかった

どうして生きやすそうに見えるの?と言われたら
うまく答えられないのだけれど
それって偏見ですよね?よくないと思います!と言われたら
ぐうの音も出ないのだけれど


生きづらさ舐めるな!とも思ったし
そんなことを思ってしまう自分になんとも情けない気持ちにもなった
ああ、若林さん星野源さん、、仲間だと思っていたのに、、、わたしの声は届かなかった、、、なんて寂しさすら覚えてしまった
あまりにも勝手すぎるのは承知です


類は友を呼ぶを体現してしまっている結果
わたしの周りにはわたしみたいな人がたくさんいる
だから、"街の同世代"をふと目の当たりにした時に
ああ、そうでした、自分は外側でした、と気付かされる



そういうことはTikTokを見ていても起こる


普段TikTokをまったく見ないし、
InstagramのリールはAIによってわたし用にカスタマイズされているので
犬とか猫とか自炊とかインテリアとかしか流れてこない(平和!)


そこにいきなり、中学生にも見えるまだだいぶ若い女の子が踊っている動画が流れてきた
そこに使われていた音源の歌詞に衝撃を覚えてしまった

ブスだ!加工だ!と言う貴方
面と向かってそれ言えます?
まずは自分を鏡で見て
心落ち着かせてください

すきっちゅーの! (feat. かぴ) by HoneyWorks


音楽も侵食され始めた、、というか
音楽がこの風潮を煽ってしまっている、、、!


ルッキズムはクソです
それはもう、断言すべき 周知の事実
わたしだってこの一重に、この体型に、それはもう悩まされてきた


でも、鏡を見てくださいって言ってしまったらそれは
あなたの方がブスですよ
もしくは
あなたのその顔面でとやかく言えますか?
になってしまうではないか

それはルッキズムにルッキズムをもって対抗していることになってしまう
自分も同じことをしてしまっている

あと、
"アンチしてくる奴は心が汚い、そんな奴がかわいいはずがない、よって私の方がかわいい"理論もあまり頷けない

それは論点をすり替えただけだし、
なによりあなたも加害してしまっているよ、と思ってしまう

かわいい人とブス(という言葉も本当は使いたくないけれど)な人はいるだろう
それは、造形の話でいったらやはり
でも、人の価値基準は造形だけにとどまらないし、
それになにしろ、人の価値基準でしかないのだ
そんなものまったく当てにならない


そして、わたしのお守りとしている言葉のひとつに

"本当の救いがあるとすれば
「あなたはうつくしい」ではなく
「あなたがうつくしくなくたって構わない」だろう"

というものがある
本当にこれに限ると思うのだ


可愛くなくたって構わないんだ
自分らしくいる必要さえないんだ
いいねなんてもらわなくてもいいんだ
何者かになろうとしなくていいんだ

そんな歌を作ろう、そんな歌を届けようと思っていた
かつて、LINEグループに入らないといじめられると言われていたように
いずれ、TikTokをやっていないといじめられるという時代が来るだろうから
そんな未来の若者たちに、届けたいと思っていた


でも、そんな時代はもう来ているのかもしれないと
画面の中で踊る女の子を見て思った
彼女の元にもたくさんのアンチコメントが来ているようだった

その女の子は他の動画の中で
みんなもアンチコメントなんて気にしないで!みんなが自分らしく生きていいんだ!と涙ながらに主張して、今度は共感を集めていた
その動画を見て、また、生きづらさ舐めるな、と思ってしまった
そして、そんな自分に心底落胆した
けっきょく自分がいちばん生きづらいんです!と言いたいだけの悲劇のヒロイン気取りなのか?

でも、それはルッキズムという価値観の中で発せられる言葉で、ルッキズムという価値観があるからこそ共感が集まる言葉だった
年下の子に対してなんて大人気ないんだろう
それでも、彼女が苦しいのは本当だろうが、その苦しみの元凶によってまた気持ちよくなっているのも事実だと、思ってしまった


わたしは外側なんだと気付かされる
それも、外側の外側なんだと感じる


SNSで時代はどんどん早くなる 簡単になる 極端になる 比較になる
でも本当に大事なことは時間がかかる 複雑である
グラデーションの淡いところにある 自分自身の中にある
だから、この流れを止めなくちゃ!とさえ思っていた
今も思っている 
これこそ音楽、カルチャーの役割だと
そんな音楽を作って、大海へ投げ込もう
それが波紋となって、少しずつ、少しずつ、変わっていけたら
本当の意味で私たちをSNSや比較、ルッキズムの檻から自由にすることができたら


けれど、わたしが小さな音や言葉を投げ込もうとしていた大海ではすでに
ブスだ!加工だ!の曲が存在していて
若い子たちのなかで共感を集めて流行っていた
その海の中で苦しんでいる人たちもまた
その苦しみによって市民権を得ていた


ああ、もう別の星へ引っ越すしかないや
何も諦めていないが、音楽も続けるし、時代とかいう大層なものにも抗っていこうと思うが、それでも、そう思ってしまう時がある
別の星へ引っ越そう 
わたしの居場所はここではないみたいだ






ps
これを書く、ましてや公開することによって
わたしもまた外側の外側で仲間集めをして市民権を得ようとしているというわけで
うーーーーーん、同罪!ということ、ですよね、、、
でもこれじゃあ何も言えなくなってしまう
いや、言わなくていいのか、人生は淡々とやるべきをことをやればいいのか、?
難しすぎる、本当に別の星へ引っ越したいです

"本当の救いがあるとすれば
「あなたはうつくしい」ではなく
「あなたがうつくしくなくたって構わない」だろう"
というこの言葉は、中村森さんという方のツイートにあった言葉なのですが、
Twitterなので名前も変わるかもしれないし、ツイートを一言一句違わず、というのもちょっと違う気がしたので引用とはしませんでした
なのでこの場で紹介しておきます
中村森さん、とても好きです


pps
公開する前にもう一度読み直して、
人の生きづらさについてとやかく言及するもんではないな
わたしだって、側から見たら楽しそうな気楽な奴に見えていることもあるだろうし
その時、そう思ってしまったんだ!という事実のみを強調させてください
ずいぶんと言い訳の多い文章だこと
ええ、そうです 
皆さんに一体どう伝わるのか怖いのです

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