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10年愛した推しへ、お誕生日おめでとう


1989.03.06
わたしの推しは産まれた。

がんちゃん

この愛称でお馴染みの

岩田剛典

三代目JSB EXILEを兼任する彼。

彼こそがわたしの10年愛した推しだ。

左端が岩田剛典

「◯◯がきっかけで好きになりました!」
「恋して◯日経ちました!」
とか、私には分からない。
いつから好きなのか、なにがきっかけで彼を好きになったのか、そんなこと分からない。

だって、気づいたら好きだったから

気づいたら当たり前のようにわたしの生活の中に、私の人生の中に彼はいた。

元々、EXILEが好きだった。
だからEXILEメンバーが兼任する、
EXILEの弟分になる三代目のボーカルを決める
オーディションを見ていた。
三代目の存在を知ることは、
その当時EXILEファンをしていた人たちからしたら必然的だったと思う。

三代目の存在を知ったことは必然的だったと言え、前述の通り、なにがきっかけで10年間推すことになる推しに出会ったのかはやはり分からないままだ。

もしかしたらこれは運命なのかもしれない。


三代目がデビューしたのは今から12年前。
2010年11月10日。

上段、左端が岩田剛典


わたしはその当時小学6年生だった。

小学6年生から大学4年生になるまで。
学生時代のほとんどを、10代のほとんどを、わたしは彼と共に過ごした。

恋をしている楽しい時期も、失恋して悲しく苦しい時期も、部活や友達関係で悩んだ時も、実習や就活で心が折れそうになった時も。

いつもそばに彼がいた。

彼がEXILEの新メンバーを決めるオーディション(PBA)を受けると言った時は悲しくて泣いた。
三代目で、三代目の末っ子で可愛がられている
彼でいて欲しかった。
EXILE TRIBEとEXILEを繋ぐ架け橋になりたいと彼は言ってたけど、そんなことしなくていいって思った。

2014年4月27日

日本武道館でEXILE新メンバー5人目として彼の名前が呼ばれ、ステージに出てきた。

両手でガッツポーズをし、天を見上げて叫んでいた。

でも前を向いたら、彼は笑っていた。

そんな姿を見て泣いた。

彼の夢が叶ったのに、おめでとうと喜べない自分が、ずっと三代目でいて欲しかったというエゴを捨てない自分が、変わっていくEXILEが、変わってしまう三代目が嫌で泣いた。

高校受験のご褒美は、彼の初めての写真集だった。

1st写真集


高校生になったら、自分で稼いだお金で沢山会いに行きたい一心でバイトを始めた。

学校終わりも休みの日も、ろくに友達と遊ぶことなくバイトへ向かった。
全ては彼に会いに行くために。

高校時代、休日に友人と遊んだ記憶はほとんどない。
毎週末、7.5時間みっちり働いた。

それは大学生になっても変わらなかった。

SNSを通して友達もできた。
ファンをやめても友達でいたいと思うほど大切な友達。

その友人とたくさん遠征もした。やっすい夜行バスで、体をバキバキにしながら地方へ行き、丸一日観光して、夜はライブ、疲れた体を連れてまた夜行バスに乗り、翌朝学校に行ったり。

適当な理由をつけて授業をサボりライブに行くなんて、通常運転だった。
単位さえ取れれば、卒業さえできればいい。

だって彼らに会いに行くことが生きる意味だったし、毎日の生き甲斐だったから。

それぐらい、生活の、もっと言えば人生の中心にいた。

大学時代、5大ドームツアーを回った。

2019年のツアーRAISE THE FLAG

これは多分、自分の人生史から無くせないほど大きくて大切な思い出だった。

行く土地ごとに出来る思い出。

公演数を重ねるごとに進化し、パワーアップし、彼らと一緒にツアーを作り上げて行った、そんな感覚だった。
ツアーファイナルを迎えた時、とてつもない達成感があった。

実習や就活の時は決まって「I Can Do It」を聞いた。
1ヶ月間の実習は体力的にも精神的にもかなりキツくて、毎朝毎晩、ライブ映像を見て泣いたり、気持ちを奮い立たせたり。

中学と高校、大学の卒業式では必ず
「風の中、歩き出す」を聞いた。
(中学の時はまだリリースされていなかったが、週刊EXILEでOAされたところを繰り返して聞いていた。)

いろんな思い出、景色、感情、その中全てに
彼がいた。


青春1ページどころではなく、私にとっての青春も、10代も全て彼で埋め尽くされていた。

彼のインタビューで印象深いものがある。

プレッシャーを感じたとき、どのように克服する?

この質問に対して彼はこう答えた。

そのプレッシャーを少しでも減らせるように、
万全の状態で立ち向かえるよう努力して備えます

衝撃だった。

10代の1番多感な時期。
この言葉は私の指針になった。

私の職業に学生時代の実習は付き物だ。
実習は、やることなすこと全てを指導者から見られており、自分のしたことに対して評価がつく。まるで自分自身に評価をつけられているようで、
この職業への憧れはずっとあったが、実習が嫌で何度も辞めたいと思った。

だから、この言葉を見てからわたしはとにかくプレッシャー(わたしの場合は不安やストレス)を少しでも減らせるように、こんなに頑張ったんだから大丈夫、と思えるように努力した。

彼のおかげでわたしの気持ちが大きく変わった。

___________________________________________

わたしは彼の笑った顔が大好きだった。

ぷっくりとした涙袋にキュッと上がった口角。

でもいつからかな。

役作りもあるが、どんどん痩せ細っていった。

昔は色が黒くて、髪が長くて、髭が生えてて、プロレスラーみたいに腕が太くて、ボンレスハムといじられていた彼が。
MCランボーとか言うふざけた名前でふざけたラップ(いつも支えてくれるみなさんに感謝)をしていた彼が。
ペイス!でブログを締めていた彼が。

ボンレスハムの名残もないぐらい、どんどん痩せていった。
三代目にとってはじめてのドームツアー
BLUE PLANET

このツアーは正直いい思い出が無い。

ランニングマンでお馴染みのあの曲が爆発的にヒットし、世間は三代目一色に染まった。デビュー当時から応援していた私は1公演も当選せず、定価以上の金額を払って会場に入った。
でもそこで歌われるのは、最近三代目を知った人たちが楽しめるような定番曲ばかりだった。
そんなツアーが何年も続いた。

でもそれだけじゃない。
何年も彼のパフォーマンスを見てきた。
だからこそわかる。

これまでと違って明らかに体に芯が、軸がない。

彼が得意とするクランプというダンスジャンルは、音にハメて動きを止めることが多い。
しかし、その動きがバチッと決まらなくなった(気がする)。
ターン終わりにふらつく様子もあった。(たまたまかもしれないが)

本業に支障をきたすほど彼は俳優にも全力を注いでいた。

ダンスと俳優どっちが大事なの?
恋人に聞いたら確実に別れを切り出されるであろうセリフさえも思い浮かぶほどだった。

わたしには今、彼とは別に応援したい人、
推しがいる。

その人は、とっても楽しそうにパフォーマンスする人で、アーティストなのに照れ屋さんで、かっこつけるのが苦手で、照れ隠しにボケに走ったり、かっこつけてる自分に照れ笑いしたり。

私はその人の、パフォーマンスが楽しくて思わず笑みが溢れるような、自然な表情が大好きだ。

そんな推しの姿を見て思った。

私が1番悲しくて辛かったのは、彼が俳優をすることでもEXILEになったことでも昔とは程遠いビジュアルになったことでも、王子様だとか言われることでもない。
ブログがペイス!で終わらなくなったことでもなければ、個人活動が増えてグループ活動が減ったことでもない。


大好きだった彼の笑顔が。

ただ仲間と踊るのが楽しくて笑っていた顔が。

笑顔を売りにしてる人の顔になったからだった。

そんなことに今さら気がつくぐらい、必死で彼のことを応援していた。


ガラッと自分の気持ちが変わったのが
2020年11月10日

三代目JSBデビュー10周年記念日に行われたオンラインライブ。

本当ならば2020年はLDH(三代目の所属事務所)のお祭りであるパーフェクトイヤーだった。
そのパーフェクトイヤーと10周年が奇跡的に重なり、もちろんその目玉として10周年記念ツアーも組み込まれていた。

しかし、2020年はどのアーティストの前にもコロナ禍という壁が立ちはだかり、もちろん彼らの記念ツアーも中止になった。
そのためオンラインでの配信になった。

ちょうどその時は、毎晩お風呂で泣くほどしんどかった1ヶ月間の実習真っ最中だった。
しかし、何がなんでもオンラインライブを見るぞ!と心に決め、必死で日誌と指導案を書いた。

そして、前述にもあるSNSを通して出会った大切な友達と集合し、ライブを見た。

ずっと見たかった演出、聴きたかった曲、彼らと共に歩んできた10年間の軌跡。

その全てが詰まったツアーで、涙なしでは見られなかった。オープニングから号泣した。

歌う曲全てに思い出があって、思い出す情景があって、こんなにも彼らの存在は私の人生に寄り添ってくれてたんだなあ〜と実感した。

そして、私は燃え尽きた。

デビューから7人を、彼を見守ってきた。

どんどん変わっていく曲調や、歌われなくなっていく名曲、メンバー同士の距離感、少なくなる7人でのグループ活動、それに比例して増える個人活動。勝手に期待値を上げて終演後に襲われる虚無感。

ずっと持っていた寂しさや、もどかしさ。

それが全部吹き飛ぶぐらい、満足度のある、満足感しかないライブだった。

オンラインライブを見た直後はこの天才的な彼らを応援してきてよかった!これからもずっと大好き!と思った。

でも何故だろう。

あのライブを見た後から、これまで毎週欠かさずに聞いていた10周年を記念して復活した、有料サイトで配信されていたラジオを聴かなくなった。毎日欠かさず見てみたブログもチェックしなくなった。

そして気付いた。

大好きな7人を大好きな姿のまま、7人との、彼との、大切な思い出を。大好きと言う気持ちだけを持っている今だからこそ、その気持ちに鍵をかけて、その全てを宝物にしようとしている自分に。

彼らを応援していたら幸せに思えることはきっと沢山ある。

見たことのない景色を見せてくれる人たちだったし、わたしの人生に大きく影響を与えてくれる人だった。

でも同時に、また悲しいもどかしい悔しい気持ちになるだろう。

だから自分から離れることにした。

だからこのnoteのタイトルは「10年愛した」なのだ。


彼は2021年からBe My guestというソロプロジェクトを始めた。ソロプロジェクトに至った経緯やそれに対する想いをわたしは知らない。もう知ろうとも思わない。

でも彼はいつだってファンを1番に考えてくれる人だった。だから今回はきっと、三代目のファンではなく、岩田剛典のファンの人たちだけに向けて考えたのだろうと。

そんな彼に対して心から願う。

どうか彼が幸せであることを。

彼は2018年に公開されたドキュメンタリー映画「SEVEN/7」内でこう語った。

「自分は人生の半分を捨てたからもう捨てるものはない」

と。

かなり割愛し、ざっくりとまとめているが彼はこう言っていた。

だからこそ思う。
今までの人生や人脈、過去を全て捨てた彼には。
わたしの人生や価値観を大きく変えてくれた彼には。ファンが見たいビジュアルにする、ファンの人は何して欲しいの?といつもファンを大切に、1番に考えてくれていた彼には。

心から幸せになってほしい。

EXILEの某曲にある。

「幸せを願うことこそが愛」

なのだとしたら、わたしは彼を確実に愛していた。多分今でも愛している。だからこそ、愛おしい彼との思い出を大切にしたまま離れるのだ。


お誕生日おめでとう。

大好きで最愛の推しへ。

ライブのMCで、幸せですって柔らかい表情で伝えてくれるのがとても嬉しかった。
あなたが幸せと感じる瞬間を作れていることが幸せだった。
あなたの幸せのカケラになれたことが誇りだよ。

あなたはきっとこれからもわたしにとって世界で一番特別な人だし大切な人。

世界で一番幸せになって欲しい人。

心からの幸せを祈っています。


2022.03.06

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