誰かのために生きる

「自分のために、自分の人生を生きなさい」
ドラマや小説でよく出てくる台詞だ。
今まで誰かの顔色を伺って誰かに褒められるために行動していた主人公へ喝を入れたりする場面なんかでよく出てくるあの台詞だ。
友人との呑みの席で、「あなたはあなたの人生を生きなきゃ。あなたのために」なんて言ったもんなら言われた方はこの人はなんてあたしのことを考えてくれているのだろうと涙でも流すのだろうか。
一度だけの人生だもん、楽しまなきゃ!なんてのは、「楽しめる人生」に片足を突っ込んでいる人が言う台詞だ。
誰か大切な人を傷付けてしまう、トラブルが起きてしまうのを想像できる環境で、「自分の人生だから楽しく好きなことやってくぞ!」なんてできるはずもない。
それをおかしいと言う人はとことんその環境に身を置いたことがないから言えるんだと思うよ。
最初の話に戻るけど、私は「誰かのため」に生きてる。
生きてるというか踏み止まっている。
その「誰か」はその時代で変わってきたけど、親だったり姉妹だったり今は子供だったりする。
純粋に自分のためだけに生きて自分だけの人生だったなら、きっと死んでいたと思う。
誰のことも考えなくていい、だったらすぐ死を選ぶよ。
でも、私が死んだら(自殺したなら)私の片方しかいない年をとった親は深く深く悲しむだろう。
姉妹は、おいおいと泣くだろう。自殺させてしまった、という傷を背負って残りの人生を過ごしていくことにもなるかもしれない。
家族の自殺はそう簡単に割り切れるものでもないし、いとも容易く心身を削っていく。
20代で自殺しなかった大きな理由はこれ。
30代になり、子供が産まれ子供の成長が何よりの楽しみになった。
無条件に誰かに必要とされる喜びを心の底から尊いと思った。
そして、私が死なない理由に「子供と旦那さんのために」が加わった。
私は「誰かのため」に生きている。
生きているというか踏み止まっている。
生きる理由をくれるほど私が大切に想う親や姉妹、そして旦那さんや子供に感謝しているし、いなきゃ死んでるという事実もハッキリわかっている。
だから思う「自分のために生きなさい」は立派な言葉じゃない。
その言葉で救われた人もたくさんいるでしょう。それは素晴らしいことです。
でも私にとっては決して希望の言葉でも未来を明るくする言葉でもなんでもない。
「私は誰かのために、自分の人生を生きている」ことに胸を張っている。
なぜなら、それは私が悲しませたくない大切な人がこの世にいるということだから。

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