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『中2で勉強について行けなくなった僕が、あなたの最高のメンターとして西郷隆盛を激推しする話し』


まえがき

僕は江戸終盤~令和にかけての歴史が大好きです。というかその辺りの時代に興味を持って、自分なりに調べてたら寿命が先に来ちゃいそう(笑)
そうなんですよね。資料が大量に残ってるし、その時代に生きた人の熱量を感じることができるし、

歴史=ヒストリー=ヒズ ストーリー=彼の物語

って言葉があるように歴史はその時代の権力者が都合の良い様に改ざんしていくものなんだけど、近代史は自分たちの2,3代前の話しだったりするから隠しきれてなかったりする。

自分で真実を頑張れば追及できたりする。
っていう様に一種の底なし沼なんですね。
だから沼に入り込んでいくうちに寿命を迎えそうだなーと思ってます。どうせなら女性という沼にハマって死んでいきたいんですが、こんな文章を書いちゃってるようなやつなんでその望みはかなわないでしょうな。

申し遅れました。つばちゃんといいます。

今回が2作目となります。もう購入してお読みいただけましたでしょうか。女性のみなさん、ありがとうございます。男性の皆さん、ウソをつくんじゃない。1作目ができたのは一昨日なんだ。

さっそくですが、僕が感銘を受けた言葉にこんなものがあります。

「女のウソは許すのが男だ。」

サンジが、ウソをつくニコ・ロビンの事を怒っているチョッパーに対して言った言葉です。


みなさんが大好きなキャバクラやスナック、ガールズバーではこういったウソなんて日常茶飯事です。サンジの言葉を胸に秘め、精いっぱい疑似恋愛を楽しみましょう。

とまあこんな感じで頭は弱いほうです。野球のほうが楽しくなって日々を過ごした結果、テストで名前しか書けなかったときはドン引きでした。

そんなガラクタ人間ですが、それなりに読者を楽しませるように頑張りますんで、話しの途中でボケてスベってても応援しながら読んでください。メンタル弱いんですボク。。。


では今回、お伝えしたいこと、お伝えしたい人。

それは、

『西郷南洲』さんです。

あ、西郷隆盛さんのことです。すいませんね、京セラとかKDDIとかJALの会長やってた稲森和夫さんがそう言ってたもんでついつい僕もあっち側の人間なんですアピールしたくて使っちゃいました(笑) 


僕は、春から新社会人になる22歳の女の子(みゆちゃん)に恋心を抱いてるただのクソ凡人35歳独身野郎です。
いやぁでも、本を読むのが好きなんでけっこう偉い人で隆盛推しの人って前から多い気がしてたんですよね。

数年前には大河ドラマ「せごどん」やってたし、僕の親父も西郷さんの事好きらしいし、アンチな人って見事にいないような気がしてるんです。多分、イチロー並みに世間で嫌いな人いないんじゃないかなって思ってます。

なんで今回はいつのまにか世の中に無数に増え始めた横キョロキョロコンサル野郎なんかは置いといて、ざっくり150年くらい前に日本の新時代を切り開いた西郷隆盛さんにコンサルしてもらおうよ!って話しです。
この人以上は日本では見当たらないってくらい最高のメンターだと思います。

なんで、今回は人物紹介から教えまでを浅く広くお伝えしていき、皆さんに西郷隆盛さんの事に興味持っていただければなぁ、一人くらいは歴史上で一番好きな人物になってもらえればなぁなんて妄想を膨らませております。

それでは全部で三章構成でいきます!

○第一章 西郷隆盛とは?
ここでは西郷さんの人生や背景についてプレイバックしていきます。
一緒に激動の人生を覗いてみましょう。

○第二章 具体的な西郷隆盛の教えについて
南洲翁遺訓という有名な書物があります。
西郷さんに助けてもらった庄内藩の方が感激のあまりに作成したものです。
そんなファンブックをメインに具体的な教えについて学んでいきまSHOW!

○第三章 西郷隆盛の教えを日常に落とし込むワーク
前章で学んだことをもとに楽しく続けられる習慣をご紹介していただきます。
珈琲焼酎を呑みながら2時間ほどで書き上げる疾走感溢れる大人気コーナーです。

ちなみに今作は第1作目に作った構成をほぼほぼそのまま引用してます。パクリではないです。自分の作品をオマージュするという斬新な手法を用いています。
これを読み終わればあなたも西郷さんのことをしれーっと南洲呼ばわりしていることでしょう。
では皆さんご一緒に壮大に楽しく学んでまいりましょーーっ!!



第一章 西郷隆盛とは?



この章では、あなたの最高のメンターとなる西郷さんの人生をお伝えしていきたいと思います。
鹿児島の特に偉くはない家柄に生まれ、山より谷多めの道を歩みつつ、明治維新を成す上での最重要とも言える立場を全う。そして最後は国家の逆賊として国内最後の内戦の首謀者として敗戦を喫し、戦場で最後を遂げる。

調べていくとまぁハラハラで楽しかった。主な功績とともに西郷さんの生涯を簡単ではありますが振り返ってまいりますね。

あと、この章は長くなりそうなんで、あんまり時間の無い人はもう飛ばしちゃってください 笑

簡潔に言うと、40くらいまでは素質を見いだされながらも苦労に苦労を重ね、そして明治維新の中心人物となるが、明治となった後に天狗になってしまった維新の立役者達と激突して人生を終えた人です。


○1827年(0歳)                                                      12月7日、隆盛爆誕。

幼少時の名前は小吉。薩摩藩の下級武士の長男として生まれる。
ちなみに最終的には隆永が本当の名前で隆盛というのは親父の名前だそうです。役所に間違って親父の名前を提出したそうです。だいぶワイルドっすね。

もう一個補足。当時体が大きくてケンカも強かった西郷さんは友達が刀で対抗してきました。そのとき、鞘に納めてた刀だったが、鞘が割れて右ひじに直撃。大けがをしてそれ以降右ひじは伸ばすことができなかったそうです。武士として思う様に戦えなくなったというハンデが、思考能力を高めたのかもしれませんね。


○1844年(18歳)
藩に出仕。郡方書役助となる。

農業の年貢などの財政を担当する事務の補助のことです。
ここで、農民の苦しい実情を目の当たりにすることになります。西郷さんがすごいのはこの点です。偉くなっても農民のつらい気持ちを忘れません。この情の厚さが死期を早めることにも繋がっていくことになると思いますが。。
また、お由羅騒動というものが起こります。
ここは割愛します。長くなりますんで。次期の藩主を巡ったドロドロの争い事です。ともかくこの騒動で西郷さんの最初の師であった赤山靭負さんが切腹となります。この方がこの騒動の中心人物である、後に藩主となる島津斉彬を支持しており、西郷さんも自然と傾倒することとなります。この後の藩主となる島津斉彬に見いだされ西郷さんは表舞台へと登場するのです。

また、このころまでには私が第1作目のテーマにした「陽明学」とも出会っているようです。幕末のブームとなった陽明学が西郷さんの血肉となったことでしょう。
詳しくは、つばちゃんの処女作である、
「中2で勉強についていけなくなった僕が、陽明学をバズらす」をお読みくださいませぇ!!


○1853年(27歳)
藩主・斉彬のお庭方として仕える。

お庭方とは秘書と思ってもらって構わないです。斉彬は藩主となった際に、一般庶民に対しても藩に対する意見書を求めました。その中で西郷さんは何度も何度も意見書を提出したそうです。それが斉彬まで伝わり、参勤交代で江戸へお供をしていた西郷さんを見つけ、江戸に着いた際に秘書役へ大抜擢されるのです。
また、この年はアメリカの黒船が浦賀へ来航しました。日本の歴史が動くターニングポイントな一年となったわけです。

あともう一つ。藤田東湖という方と江戸で出会ってます。多くの幕末の志士が影響を受けた水戸学の先生です。西洋の国が東洋の国々を植民地化していることを知り江戸幕府九への不信感、日本の未来についての思いを募らせることとなるのです。


○1856年(30歳)
篤姫の大奥輿入れを頑張る。

篤姫はご存じの方もいらっしゃるはず。大河ドラマで宮崎あおいちゃんが演じてばりかわいかったです。僕と同級生です。若くしてハートを射止めた高岡蒼佑が憎いです。
篤姫とは薩摩藩の島津家一門の島津忠剛の娘です。11代将軍の家斉の奥さんを島津家からもらった時に子孫が繁栄したため、13代目の家定の奥さんを島津家から迎え入れることとなったのです。
そんな薩摩藩の重大任務を斉彬から任せられることとなったのです。けっこうな大役ですね。斉彬からの信頼の高さを感じます。


○1858年(32歳)
斉彬が死去。月照と海に飛び込み、自殺を図る。(未遂)

西郷さんが大きく生まれ変わった一年なのかも知れません。何しろ錦江湾に飛び込み一度死んだのですから。
この年、安政の大獄で知られる井伊直弼が大老となり、斉彬の望む展開にはなりそうにない状況であり、江戸へ抗議の為に薩摩の兵を引き連れて向かう準備をしていました。その時期に体調不良となり亡くなってしまうのです。
月照とは、西郷さんが出会った京都清水寺の住職です。
井伊直弼が始めた反幕派を徹底的に処罰する安政の大獄で、月照と西郷さんは目をつけられていたのです。
西郷さんは月照と京都を何とか抜け出し、九州、そして薩摩へと戻るのですが、幕府から目をつけられているよそ者の月照まで匿うわけにはいきません。藩は月照を日向送りとします。この宣告は国境で月照を斬れとの意味合いです。月照を助けるつもりで薩摩まで連れてきたのに、斉彬亡き後の薩摩藩は幕府を恐れている状況。悲しさと申し訳なさと悔しさの入り混じった西郷さんは見張り役が目を離した隙に二人で抱き合いながら海に飛び込むのでした。しかし飛び込んだことに気づいた他の乗組員が二人を救出します。が、月照は死に、西郷さんは運よく一命を取り留めることとなるのです。
ちなみにこの時に助けたのが、福岡藩士である「平野國臣」です。
福岡の皆さんには、西公園の銅像や中央区今川にある平野神社をぜひ訪ねてみてほしいです!
一度は、死を受け入れて海に飛び込みまでした西郷さん。この後に国をひっくり返す様な大きなことを成した胆力はこの経験無しには育まれなかったでしょう。
そして、罪人にはならずに済んだものの、死んだことにして名前を変えて、奄美大島にて暮らすこととなるのです。


○1861年(35歳)
鹿児島に帰還。薩摩のヘッド、久光に会う。

斉彬亡き後、次の藩主は忠徳となりますが、実権は父の久光が握っておりました。斉彬の腹違いの弟です。この久光に西郷さんと幼いころからともに過ごし、後に明治政府の権力者となる大久保利通が近づきます。戦略家である利通はうまく懐に入ります。久光は斉彬ばかりを慕う西郷さんの事が嫌いでした。ですが、利通が久光を中心とした薩摩藩の中でも勢力を拡大、遂に久光を説得し、鹿児島の地に西郷さんを帰還させることに成功したのです。


○1862年(36歳)
久光をシカト。流罪となる。

井伊直弼や安藤信正という江戸幕府が攘夷志士に暗殺されてしまいます。そこで江戸幕府を立て直す為に、挙兵し京都へ向かうことを決意します。西郷さんは嫌われているのに反対します。久光はムッとします。結果、聞き入れられず、京へ出兵することとなりました。ところが、久光は江戸幕府を立て直す為に出兵を決めたのですが、誤った情報が流れ、反幕府を掲げる者たちは、久光が江戸幕府を潰すために出兵したとだいぶヤバい勘違いをしてしまいます。そこで本当の情報を伝えるために、大久保利通から頼まれて下関に向かいます。ところが、かなりの騒ぎになりすぎて、これはマジでヤバいわと思った西郷さんは大阪までみんなを止めにバタバタ向かいます。久光からは下関で絶対待っとけよと言われていたのに。。完全にシカト。。。
そしてダブルパンチで久光にガセ情報が入ります。
西郷が大阪で、久光が徳川潰しに来っからみんなで幕府やっちまうべ!と攘夷志士を焚きつけている。と。。
久光はガン切れ。徳之島への流罪が確定しました。前回の件から4か月後の出来事でした。そして、沖永良部島へと移送されることとなりました。今回は罪人としてです。
また補足しては、この年に薩英戦争というものがありました。薩摩藩対イギリスです。普通に考えて頭おかしいですよね 笑
戦争には負けますが、イギリスとの交流が始まります。抜かりが無いですな。


○1864年(38歳)
鹿児島にご帰還。(2度目)

この年も激動です。西郷さんを慕う薩摩藩の面々により、約一年半に及ぶ島暮らしも終わりを告げました。帰ってきた以上、役職をつけなければなりません。久光は相変わらず渋々ながら、京の軍賊役を命じます。軍司令官といえば分かりやすいでしょうか。この時期は京を反幕府から守る新選組が現れてます。非常に危険な地帯となっていたことでしょう。
有名な事件として、「池田屋事件」があります。反幕府である長州藩の面々が会合を行っている最中に新選組が突入し、かなりの主力メンバーを殺してしまう事件です。長州藩はこのころには朝敵のみなされていました。これに長州藩は激怒。後に西郷さんが功績をあげる「蛤御門の変」へと繋がっていきます。
蛤御門の変とは、朝敵という汚名を晴らす為に、長州藩が兵を引き連れ御所の門に向かい、結果襲撃、京を守る会津藩や西郷さんが指揮する長州討伐軍と激突することとなるのです。この戦いで長州藩は敗北、西郷さんも足にケガを負いますが、長州側は久坂玄瑞などの主力メンバーを失うこととなるのです。

補足としては、この年に江戸幕府の勝海舟と出会っています。ここでの対話でまさかの幕府は腐っているとの勝海舟が大胆発言。長州を今潰しては外国とは対等に今後戦っていけないと諭され、長州への追撃を止める働きを西郷さんは行うのです。
後に大きな事柄を起こしますが、それは後ほど。
もう一個大事な補足。坂本龍馬ともこの時期に会っております!!


○1866年(40歳)
薩長同盟を結ぶ。

ここでやっと薩長同盟が結ばれました。
薩摩でも長州を征伐するとの動きがあったり、長州との会合を西郷さんがドタキャンかまして桂小五郎がブチ切れたりとまぁ色んなことがありました。そもそも長州藩からしてみれば、薩摩藩は多くの同志を殺しています。そんな犬猿の仲でしたが、坂本龍馬の働きによって無事に最強連合がここに誕生したのです。長州藩も外国と下関で戦争してますから、気合の入り方が尋常ではない二藩ですよね。
そしてこの年、幕府は長州征伐に乗り出すのですが、薩長同盟によって強力な武器を手にしていた長州藩は幕府を返り討ちにするのです。


○1867年(41歳)
大政奉還。王政復古の大号令。

大政奉還とは徳川幕府が政権を天皇に返すこと
王政復古の大号令は天皇が政権は鎌倉以前の様に朝廷が管理することとなった!と宣言したことです。
ここでも西郷さんは何気に働きます。
このままでは、政治の中枢は今まで同様に、徳川政権同様のままである。先に倒幕してその後に政権交代とならなければ意味がない。と。
大政奉還後、西郷さんは部下を使って江戸で暴れさせます。公には盗賊ですが、薩摩藩の人間だと分かるように痕跡は残していきます。
堪忍袋の緒が切れた徳川に対して親睦派だった庄内藩が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにするのです。
大義名分ができた薩摩藩は、いよいよ旧政権で権力を持っていた徳川派を叩き潰し、完全に新たな時代に変えるべく、新政府軍として戦争を始めるのです。


○1868年、1869年(42、43歳)
鳥羽伏見、会津、戊辰戦争。江戸城の明け渡し。そして明治となる。

この戦いは新政府軍VS旧幕府軍という構図です。
新政府軍を西郷さんが率いております。
この戦いで西郷さんと言えばでおなじみ?の「南洲翁遺訓」が生まれたきっかけとなります。
旧幕府につく庄内藩を制圧し、庄内藩といえば薩摩藩邸焼き討ちの首謀者です。
普通なら厳しく処罰となりますが、武器を押収、兵隊は無罪放免で戦いを終わらせます。
また、相手の殿様には敬意を表しており、この西郷さんの姿に庄内藩は感激します。
後に薩摩藩へ庄内藩が勉強の為に留学し、そのとき西郷さんから指導してもらった教えをまとめたものが、「南洲翁遺訓」なのです。
この教えについては、第三章でお伝えしますんで楽しみにしといて下さい!
もう一件、大きな出来事が「江戸城無血開城」です。
江戸総攻撃が決まっていたのですが、最終的には西郷さん、大久保利通、勝海舟の3名で話し合い、戦争を起こすことなく、引き渡すこととなりました。お互いが根本的に日本を世界から守ることが前提にあります。信用できる者同士だからこそ成った無血での江戸開城だったのです。


○1871年(45歳)
明治政府に出仕。

内戦も終わり、そして明治時代になりました。西郷さんは藩へもどって、ウサギ狩りしたり薩摩藩内の整備をしたりして、それなりに落ち着いた日々を送っておりました。
しかし、新政府の要職に就いていた大久保利通から戻ってきてと頼まれます。西郷さんの知名度というか名は文句なしでぜひ一丸となるにも助けてほしかったのです。
西郷さんは早速、天皇直属の1万の兵を任される参議となりました。
またこの年、岩倉使節団と称して政府のトップ連中が旅に出ました。2年。
その間、西郷さんが主席参議として政府を主導しました。
「廃藩置県」2年後には、「徴兵令」を発布してます。教科書で確か出てきたな。


○1873年(47歳)
征韓論の政変。

これが西郷さんがお亡くなりになってしますきっかけになります。征韓論とは、朝鮮を征服することです。
西郷さんが征韓論を主張し、国内を整備することが第一と外国から帰ってきた日本政府トップ連中が反論。西郷さんが辞職となる話しです。
しかし、これはどうもガセみたいです。
本当は、朝鮮が開国した日本に対して良く思ってなく、仲が悪くなってたみたいなんですが、西郷さんが一人、丸腰で交渉の為に話しに行くということが事の真相らしいです。西郷さんは国交回復を前提として話しを進めていました。もし俺が殺される様なことがあったら攻めればいいじゃんとは言ってたみたいですが。。
どうも外国から帰ってきたトップ連中は何の成果もあげれなかったみたいです。
国内では西郷さんの人気はうなぎ上り。このままでは立場がないと岩倉具視、木戸孝允、大久保利通などらが策略を練った結果でした。
この1件で西郷さんは政府に失望、西郷さんを慕う600人も一斉に辞めたそうです。


○1877年(50歳)
西南戦争。自決。

征韓論否決後、各地で不満を持った士族達が暴動を起こす様になります。
佐賀の乱、新神風の乱、秋月の乱、萩の乱です。主張は様々でしたが、政府に対して不満を持った士族が反乱を起こしました。
西郷さんは鹿児島で施設学校を開きます。その他、農業をしていました。
この学校が、政府は兵士を養成しているのではないかと疑いをかけます。
大久保利通が内偵(スパイ)を送り込み、学生に捕まってそのスパイが「西郷隆盛暗殺計画」があると喋るのです。
ただでさえ、政府に対して西郷さんへの扱いの悪さや不満を募らせていた連中です。
私学校の生徒達は陸海軍の倉庫から武器を略奪します。
西郷さんは、全て大久保利通の策だということを見抜いておりましたが、もう生徒達や不満のある士族達をとめる術がありません。
負けることがわかっていながら、自分を愛してくれる者達の為に、自分を殺すことを決意し、総大将となって明治政府に対して国内最後の内戦をしかけるのです。
これを「西南戦争」といいます。
両軍、1万名以上の死者を出したこの戦争。
最後は鹿児島の城山にて、別府晋介から首をはねてもらい、その壮絶な生涯を終えるのでした。
この西南戦争においても資料はたくさん残っておりますので、ぜひ気になる方は調べてみてください。ちなみに私は熊本の田原坂に行ってみました。西南戦争で一番壮絶な戦いが行われた場所です。山やら谷やらです。現場に行ってみると、想像というか思いを馳せてしまいます。

以上が、西郷さんの生涯をまとめた年表になります。
長くなってしまった。
時代が激動なんで、もっと色んなことが起こってたりしますが、極力、西郷さんの紹介から逸れない様に頑張ってみました。
思ってたより、この第一章に時間がかかっちゃいました。濃いすぎましたわ!

次章では、先ほどご紹介した、庄内藩が西郷さんの言葉をまとめた語録、「南洲翁遺訓」についてご紹介していきたいと思います。
稲森和夫さんや頭山満翁、中村天風なども感銘を受け、変化がめまぐしい現代にとっても十分使える名言集です。

早速、覗いてまいりましょう!




第二章  具体的な西郷隆盛の教えについて(南洲翁遺訓)

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やっとここまで来ました! この教えを原則として多数の方々が成功している!と思う!!

ちなみに明治天皇は、西郷さんがお亡くなりになられたとき、めちゃくちゃ悲しんだとのことです。普段から談笑を交えて会話もあったらしい。
そんな、庶民から天皇にまで愛された西郷さんからの言葉は、みなさんにとっても自分の軸として深く根付いていくはずです。
ここでは全部で四十三条ある遺訓の中から、厳選して10個を皆さんにご紹介していこうと思います。
ご興味持てた方はDMください!僕が読んだ本をお教えしますわ。

今回は大きく分けて、

○社会(仕事)
○生き方

の二つをテーマにしてお伝えします。
一応2つには分けますが、そもそも生き方の中に仕事があります。読んだ方それぞれが解釈くださいませ。
西郷さんが学んだ「陽明学」の教えは「心即理」。物事は分けない。全ては心の中にある。陽明学、気になったでしょう。笑

読んでね僕の本!!

じゃそれぞれ5つずつピックアップしてまいりますね。
では西郷さんから直接お話しを聞いているつもりで読んでみてくださいな。


○社会(仕事)


1,遺訓三十四条

はかりごと(駆け引き)は用いない。

駆け引きをやった後は得てして結果もついてこず、後悔することがほとんどです。
その様な策を使うのは戦争レベルのときのみ。
普段から使っていると、本当に大事な場面で効かなくなる。
駆け引きをやっていると相手とのいたちごっこになり、肝心の自分及び自社製品を強化することがおろそかになります。
そんなことに頭を使うヒマがあるならば、自分が成そうとすることに一生懸命励みなさい。

(筆者感想)
働く経験が長くなると、駆け引きのようなことが習慣となってしまっています。
みなさんはそんなことに、貴重な思考時間を使っていませんか?
あなたの理想はもっと高いところにあるはずです。
はかりごとは最後までとっておきましょう。
ジョーカーはあくまで最終手段です。


2,遺訓十四条  

収入の中で、支出をまかなう。

最も基本ではあるが金の出し入れは、収入をきちんと計ったうえで支出を抑えなさい。
それ以外に手段はありません。勢いに任せて緩和し、支出を優先して考えて収入をはかることがあれば、一時はいいかも知れませんが、長続きしないことでしょう。

(筆者感想)
すごくシンプルで当たり前の様なことですが、簡単にこの原則からも外れることが可能になったのが、今の世の中です。
簡単に収入以上の支出をすることが可能になってますよね。
また、コロナによってこの原則を崩すしかないという方々も多いでしょう。
しかし、この原則を最初から日本人が忠実にできていれば、給付金を出す必要が無かったのかもしれません。
その支出は本当に必要なのでしょうか。
周りに流されていませんか?
西郷さんが言っている以上、ここを原則とした方が情報の荒波に飲まれずに軸を持って生きていけると考えています。
収入の中からでも、十分時代の波にのることは可能だと思います。
相反するようですが、「時代は繰り返される」。
先人達の教えを学ぶことは時代の波を見極める力をえられるのです。


3,遺訓九条  

率直に話し合う

親を大切にする(忠考)、他人に優しくする(仁愛)、教えて善い道に進ませる(教化)は、変えてはならない道。
道は天が与えた不変的なものであり、区別をつけてはいけないのです。

(筆者感想)
仕事をする上で、相手の役職や立場は関係ありません。自分の成すべきものはシンプルであり、素直に対等に率直に、話し合う姿勢を取りましょう。
そしてこの姿勢は、仕事だけでもないですよね。
社会との繋がりの中でも、国にも左右されることなく誰に対しても率直な態度で臨むことは王道を進むことに繋がるのです。
王道とは、王に為るための道ではありません。王になったつもりで道を進むのです。また、そこで出会う人達みんなも王だと思って接してみることです。


4,遺訓三十九条  

才と誠


才(知識)がどれだけあっても必ず最後にはうまくいかなくなる。近年、才識だけの人間が多い。才と誠(真心)、この両輪があわさって初めて事業はうまく行くものなのです。

(筆者感想)
私自身、本が好きで書店にはよく行くのですが、近年は目まぐるしく変わる社会の情勢と呼応するように、新たな働き方に対しての知識力を高める本が多いなと感じます。かくいう私もそのような本ばかりに目がいってましたし、手に取ることは決して悪いことではありません。
しかしそれと同時に、真心というものも日々、磨いて行かなくてはなりません。
仕事は他者からの協力なしでは必ず行き詰ります。
才と誠、片方だけではなく、この2つを意識して学びを深めてまいりましょう。


5,遺訓二十三条  

知を大きく広くせよ


知を深めようと思った場合、そのことにのみ偏ってはだめですよ。
男は相手を自分の心のうちにすっぽり飲み込んでしまう度量が必要なのです。

(筆者感想)
知識を深めようと思った場合、確かに知らず知らずのうちに学びが偏ってしまうことがあります。
偏ることは飲み込まれる可能性があり、度量が大きくならない。
一つのことでも様々な角度からものを見ることによって、自分の創造性を育むことに繋がり、視野が広まることで度量というものが大きく深まるのでしょう。




○生き方


1,遺訓二十一条  

敬天愛人

敬天愛人を生きる目的とすることです。
敬天とは、天=道理であり、道を謹んで守るということ。道とは謙虚、誠の気持ちです。
愛人とは、周りの人も自分と同じ人間であり仲間。自分を愛することと同様に他の人も愛するということ。
つまり敬天愛人とは、謙虚に誠の道を進み、人間みな自分と兄弟であり愛して接するということなのです。
この道を進むことは、自分自身の欲に打ち克つことと繋がっていきます。
最初はこの道を進むことによって、道は開かれていくでしょう。
しかし、それが自身が出した成果だと慢心し、自分を愛する欲が強くなっていくのです。
敬天愛人の道を進み続けると同時に、自分自身の慢心や欲に打ち克っていかなければならないのです。
欲にまみれた自分に打ち克つことで仕事も人生もうまくいくことでしょう。

(筆者感想)
非常に身近な事ですが、私はインスタを毎日投稿しています。
自分自身の習慣力を身に付けるとともに、毎日更新することで信用を積み重ね続ける。
またフォロワーさんには何かを感じてもらって、その人の中で眠っているユニークでクリエイティブな感情をビンビンに使ってもらえたらいいなという気持ちで投稿内容を考えています。
しかし、投稿した内容に対しての反応がいいと、どうしても欲が出てきてもっと自分を知ってもらいたいという、自分の主張メインの発信になってしまいます。
そしてやっぱりそんな投稿は見向きもされません。
たかがインスタ一つとっても、すぐに自分の欲がでてきてしまうのです。
あぁ自分がシャばすぎる。。
敬天愛人を軸にしながら同時に自分に打ち克つこと。日々、修練あるのみです。


2,遺訓二十五条  

人を相手にせず、天を相手にせよ

人を相手にせず、天を相手にしましょう。
自分の誠の気持ちを持って、天を相手とするのです。
また人を非難せずに、自分の力の無さを反省するのです。

(筆者感想)
天ではなく、人を相手にすると、その人に勝てる様に、至らない点や粗探しをしてしまうことがあります。
そうではなく、最初からウソもなにかもかもが見透かされている天を相手にするのです。
自分が、今為すべきことを明確に、誠の気持ちで人を相手にせずに接するという境地ですね。
良い情報や悪い情報、たえまなく私たちには必要とせずとも入ってくるものです。
そんなものは関係なく、自分の誠の道を天を相手に進み続けるのです。


3,遺訓十条  

本当にそれは必要なのか

人間が知恵を持とうとする考えは、国や家族や周りの者達に対しての愛があれば、確実に進歩します。
その様な前提の中、みだりに生活するうえで必要なものかも判断しないまま、うらやんだり損得を基準にしているようでは、自分の財産もなくなり、軽率な考えしかもてなくなってしまうでしょう。

(筆者感想)
誰もが賢くなりたいと思うことでしょう。知恵は周りの者達への利他の心が、深く広くさせるのです。
自分自身の最大の財産は、「時間」であると私は考えております。
今の時代は、企業がどうやって人の時間の奪い合うかという時代といっても過言ではないでしょう。
利他的な心が、知恵を深め、時間という財産を散財することなく、自分の人生を最大限に成そうとすることや楽しむことに費やせるのだと思うのです。


4,遺訓二十九条  

正しい道は苦難

正しい道を踏んでいくことは、様々な困難が待ち受けます。
そもそもが困難なので、成功や失敗、生きる死ぬということに心配する必要はありません。
物事には人によって上手下手があるが、それも心配いりません。
正しい道は進んでいかなければいけないもの。その道に上手も下手もないのです。
ただただその道を淡々と、そして楽しもうと思うのです。
正道を淡々と楽しみながら進むのみ。

(筆者感想)
非常にこの二十九条に私は救われるというか、助けられます。成功や失敗を心配する必要はないのですから。
善良な気持ちで正しい道を進むのは困難です。気にせず、それを楽しんで進んでいきましょう!


5、遺訓四十条  

足るを知る

犬を使ってウサギを追い、山や谷を渡り歩いて終日狩りをした夕暮れに、いなかの家で風呂に入ってゆっくりできている心の状態こそが君子の様な心なのです。

(筆者感想)
日々の中で、精いっぱい朝から働いて、生きて、日が沈めば今日の疲れと明日への活力への為に、ご飯を食べて風呂に入る。このさわやかな気持ちの状態になれたことを感謝しましょう。


いかがでしたでしょうか??
なるべく西郷さんの気持ちになって遺訓集をまとめたつもりでしたが、けっこう主観が入ってしまっているっぽい。。
色んな人が色んな見方で、南洲翁遺訓を出版しておりますので、興味のある方は調べて見てください!
そして自分ならではの西郷イズムを継承し、人生哲学を学べるかと思います。
ちなみに僕は稲森和夫さんが解説する本をベースに今回まとめてみました。

今後は、「頭山満」翁の「大西郷遺訓」に手を出そうと考えております。
↑ここ、教科書に出るんで要チェックや(スラムダンクから引用)


では、続きましてですが、西郷さんが教えてくれました遺訓を、日常生活に落とし込んでいこう!という、習慣的なワークをご紹介します。

全部で5つ、即興で考えます。現在は2月1日の22時半。24時には明日も早いので寝たいです。完全な思い付きのワーク。奇跡的に自分にハマりそうな人はぜひ、実践してみてください!

では早速次章へ!!



第三章  西郷隆盛の教えを日常的に落とし込むワーク


ついにここまできましたね!幽遊白書でいうと仙水との闘いが終わったくらいなんで、後は魔界に行って雷禅とか躯とか黄泉とかとやりあうとこらへんです。



では、西郷さんの言う正道を進むという教えを、日常的ワークとして5つご紹介していきます!


1,習慣で埋め尽くす

自分がこうなりたいとか、こうでありたいっていう気持ちが少なからずある方が、この作品を読まれていると思います。そのために例えば読書をしようとか筋トレをしようとかはあると思うんです。それを最小の時間であったり今の自分でもできる労力に落とし込んで習慣化させましょう。毎日30秒とかでもいいと思うんです。
1分すら長い。。たくさん作りましょう。自分が興味ない情報はヒマだから入ってくるし、スマホから入ってくる情報は自然と人を相手にしてしまうのです。
成果は、習慣からしか生まれない。
長倉顕太さんという好きなおっちゃんの言葉です。
自分が誠だと思う習慣で埋め尽くしましょう。


2,儲けを2日に1日は諦める

これなかなか難しいですよね。でもこの思考習慣が正しい道から外れている可能性があります。
儲けとか損得を感じない場所ってやっぱり純粋に楽しかったり、心地良かったりします。
儲けは後からです。利他的な行動を繰り返した結果、物々交換の様に感謝がお金になるだけです。
2日に1日でいいです。儲け、損得を置いといて仕事に取り組んでみましょう。


3,昔の音楽を聴く

昔の音楽って心にきますが、今の音楽は脳にきます。
↑今回で一番、自分を褒めれる名言!
1950~1970年代の洋楽を最近聴くことが多いんですが、差別がひどかったり、戦争があったりで平和を願う歌が多いんです。そして今ほど、技術も発展してないので、脳内を刺激するものもない。
利他的な歌がマインドを利他的なものに変えて、忠愛=周りの人も愛せる様になる。
ぜひ、お試しあそばせ。


4,感謝日記をつける

一日の終わりに感謝日記をつけてみましょう。5つ考えてみましょう。
一日をそうやって振り返ると当たり前のことが当たり前ではないという事柄に気づかされます。
毎日、天を相手にしようと思っても、なかなかそれも難しくて結果、人を相手にする日も多いはず。
優しい気持ちで一日を終えましょう。さわやかな気持ちで明日を迎えましょう。


どぎゃんでしたでしょうか。
一つ足りない?
いいえ、あと一つはあなたの為に残してあるのです。
決して、思いつかなかったわけではありません。
僕は今、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」を聴いて安らかな気持ちになっております。


以上で、西郷さんをあなたのメンターに激推しするを終わりにしたいと思います。
少しでも興味持っていただけのであれば、かなり嬉しいです。



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