小学校の運動会から帰るとそこにはカミキリムシがいた。


今でもはっきり思えている。

小学生の頃、、、
あれは2年生だったか、3年生だったか

土曜日に開催された運動会。

家族みんなも見に来てくれて
帰りは一緒に帰った。

たしかおばあちゃんも一緒だった。

小学校から家までは片道歩いて15分くらい。
小学生の足だと、25分くらいだったと思う。

だからあの時は、僕に合わせて
みんなゆっくり歩いていたのだと思う。

運動会で起きたこと、感じたことを
みんなと話しながら
みんなも褒めてくれたり
いじってくれたりしながら
帰っていたと思う。

るんるん気分だった。

家に近づいてきた。
家に帰るには2つの道がある。

庭から入って裏を通って玄関に向かう道と
玄関直通の道

その時は、庭のほうから帰ってきた。

庭にはいつも車がとまっている。
父と母の車が1台ずつ、計2台。

その日は車が1台だった気がする。

視覚的な情報ではなくて
空気の通りやすさとか
すっきりした感じとか
そんな雰囲気をぼんやり感じていた。

庭に足を踏み入れるかどうかの瞬間。

家の横にある生垣の横
アスファルトの道路の上に
ポツンと何か緑色のものを見つけた。

「ん?なんだ?」

そう思った瞬間、心も足も止まらない。

好奇心の塊だったあの頃(今もだけど)
「おもしろそう!」と思うと
自分で自分の手足を止めることは
不可能に近かった。

近づくにつれてその輪郭は
徐々にはっきりしていった。

タタタッ

「お?なんだ?先っぽに小さいのついてる」

タタタッ

「あ、、、虫?虫じゃねあれ?」

タタタッ

「あ、これ、カマキリ?ん、にしては体がでかいぞ…」

タタタッ

「おおおおお、なんだこれはあああああ!」

ザザッ

「あ、これはカミキリムシだ!!!!!!!!!!!!!!!」
「ふぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

カミキリムシとは初めましてだった。

でもすぐにわかった。

普段よく昆虫図鑑を見ていたから。
それこそ穴があくほど見ていたから。

家族には、昆虫博士だなんだって
笑われてた。

絵を描くのが好きだったから
特に好きなクワガタに関しては

図鑑を、虫メガネで細かいところまで見て
おじいちゃんの家で捕ってきた
本物のクワガタをよ~~~く観察して
何度も何度も描いていた。

今でも勝手に手が動く。

おかげで
クワガタの関節の位置や
甲羅に小さい毛が生えていること
触覚っぽいのが4本あること
甲羅の中に羽が何枚かあること
は、習わなくても知っている。

小学3年生?で習った47都道府県は
「全部覚えたら1万円あげるぞ」
って父におちょくられたくせに
それでも覚えられなかったのに
(結果的に、名前と場所が
一致しているのは10か所くらい。
今でも。)
こんなことは頭の中に
鮮明な映像として残っている。

あ、話がそれてしまった。

そうそう、カミキリムシ。

そのくらい昆虫が好きで
図鑑を見まくっていたから
初めましてでもすぐにわかった。

当時、初めて見る昆虫って
とっても輝いて見えた。

なんだろう。

でもほんとに
キラキラ光っていたようにも思う。
いやでも光ってはいないようなあ。
そのくらい感動したんだろうなあ。
そのくらい見えていた世界が
今とは違っていたんだろうなあ。

しばらく眺めていると
家族が声をかけてきて
返事はするけど
顔は向けなかった。

自分の意志で顔を向けなかったというより
向けることができなかったと思う。

「初めましての虫と対峙した時に
他のことに目を向ける」能力そのものを
持ち合わせていなかったのだと思う。

今はその能力が身についてしまった。
良いんだか、悪いんだか。

カミキリムシと
しばらく会話をしたあと
家に入りたくなって
集中力が途切れた。

いや、たしか親に呼ばれたのだと思う。
呼ばれなかったら永遠に
そこに座り込んでいたはずだから。

カミキリムシは道路から生垣の方向に
進んでいたから、安心して
バイバイができた。

そのあとのカミキリムシの行方は僕は知らない。

今でも彼は生きているのか
子どももしくは孫、ひ孫が
どこかで元気に生活しているのか。

この時
今の生き方に影響するような
感情の動きや衝撃的な気付きが
あったわけでもない。

でもなぜか覚えている。

所詮、当時の子どもの感性の中において
虫との出会いに感動をしただけ。

それまでの人生で会うことのなかった
1匹の虫と初めましてをしただけ。

それだけのことなのに
なぜか昨日のことのように覚えている。

こんなふうに十何年も居座っている
記憶が頭の中にいくつかいる。

大した記憶ではない。
そう思いつつも
こんな何でもない出来事すら
今の自分には少なからず影響している。

こんなどうでもいいことすらも
今の自分を形作る要素になっているのに
記憶にすら残っていない出来事なんて
どれだけあるのだろう。

どれだけの経験が
(その中に含まれる出会いや五感や感情が)
今の僕を形作っているのだろう。

人って宇宙のように奥深く、果てしない。
でも今ここにある自分が自分。

複雑なようで実はシンプル。

おもしろいなあ。

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