よりそう心

【office hammy】人気短編小説 21 「よりそう心」

 一度目が覚めた後に、もう一度目を閉じた。窓から流れてくる光のせいで、いくら目を閉じてもそこが真っ暗闇の世界になる事なんてなくて、ただうっすらと白い暖かみを感じさせるものでしかない。
 そしてまた、ゆっくりと目を開ける。この家に越してきてから初めての目覚め。当たり前かもしれないけど、僕の隣には沙奈がいた。


 一ヶ月くらい前の出来事だ。

「ねえ、優って結婚とか考えてるの?」

僕たちは付き合い始めて2年が経つ。お互いに26歳。別に相手が誰という訳ではないけれど、そろそろ結婚を考えてもいい頃合いなのかもしれない。そんな事を思いつつも

「いや、考えてないな」

と僕は言った。その言葉が沙奈にとって傷つく言葉だったとしても、それ以上に彼女に嘘を付く事が嫌だったのだ。だから僕は正直に「考えてないなー」と、少し間を空けてからもう一度言った。

「そっか……」

落胆の色を表す彼女に、僕は「今はね」と強調するように、いや、その気持ちをすくい上げるように声をかけた。

「今は?」

「うん、今はまだ、あまり深くは考えてないんだ」

そう言うと、彼女の落胆の色も徐々に薄くなっていって、そう僕はこれでよかったんだと思った。

「あのね、考えたんだけど」

「うん?」

その日も日曜日の朝だったと思う。今日みたいに天気は良くなかったと思うけど、時間だって同じくらいだ。朝の8時を時計の針は指そうとしていた。

「一緒に住んでみるっていうのは、どうかな?」

「え?」

彼女の提案に、僕は一瞬身じろぎしてしまう。いや、僕がそれまでそういった事を考えていなかった訳ではない。何度か考えてみたりはしたんだ。沙奈と一緒に住む。それなりに楽しく生活できるのだろうと思うけど、考えれば考える程、最後には息が詰まっている自分が見えてきてしまうのだ。なぜ、そんな自分が見えてしまうのだろう、そう考えてみると、以前付き合っていた女性に言われた言葉を思い出さずにはいられないのだ。


   *


「優は誰かと一緒に住むなんて向いてないよね。だってあなたは一人でいる時間が一番好きで、誰か……、それが例えどんなに身近な人だったとしても、ストレスを感じるじゃない?」
彼女はそんな事を言った。僕でもないのに、僕の気持ちをよく分かっている彼女に、僕は何も言い返す事が出来なかった。その言葉は彼女が僕の元を去る時に、最後に置いていった言葉でもあった。それからその人と会った事はない。たまに思い出したりもするけれど、だからって連絡を取ろうとか、そこまでは思わない。それにそんな事を最後に僕に言った人に、どうしたって連絡は取りづらいもんだ。3年くらい前の話。

 だから、その日から僕は自分がそういう人間であるのだと自覚しながら生きてきた。僕は自分1人でいる時間が一番好きで、誰か、それが例えどんなに身近な人であろうともストレスを感じる、僕という人間。だから僕はとても単純な人間なのかもしれない。もし、その時彼女に、「あなたは身近な人といる時間が一番好きで、1人でいる時間にストレスを感じるんじゃない?」と言われていたら、僕自身そう考えながら生きていたのだろうか。

 ……それはないだろう。それはあまりにも自分とは遠くかけ離れた存在だ。彼女が指摘したその言葉は、僕が体の奥に隠し持っていたそれを見事に指摘したからこそのもので、だから僕はその言葉に深く納得する事ができたのだ。僕は誰がなんと言おうと、そういう人間である事を、自分自身諦めなくてはいけない。


   *


「一緒に住む?」

「そう、一緒に」

意味もなくもう一度聞き返したのは、ただ時間をかせいで、自分の返すべき言葉を見つけたかっただけだと思う。そのまましばらく僕は返す言葉を見つける事が出来ずに、少し沈黙の空白ができた。天気が良くないせいで、二人の雰囲気はあまりいいものには見えなかった。

「やっぱり嫌だよね……」

沈黙に耐える事ができなくなった沙奈がそう言った。それから俯いて、前髪がだらんと下を向く。その前髪のせいで僕から彼女の顔が見えずに、今沙奈がどんな顔をして、どんな事を思っているのかが全く見えなくなってしまった。

 僕は、昔言われたその言葉を教訓にして、沙奈には自分がそういった人間であるという事を知ってもらうよう努めてきた。自分はそういう人間であると自ら言っていたし、ストレスを感じる場面では、ストレスを感じていると彼女に向けて言った。だから沙奈は、そんな僕に合わせるようにして、少し距離を取りながら関係を続けていた。

 ただ僕が自らそう言うように、沙奈もまた、自分の意見を伝えてきた。まるで僕とは真逆のような、それこそ「あなたは身近な人といる時間が一番好きで、1人でいる時間にストレスを感じるんじゃない?」という人間なのだ。だから僕たちが相容れない関係であった事は、付き合ってすぐの頃にお互いの共通認識となった。僕はできるだけ沙奈のそういった部分に合わせるようにして、彼女は僕のそういった部分に合わせるようにして、なんとか2年という歳月を彼女と一緒に過ごしてきたのだ。お互いに譲り合いながら、でも、譲らないところは一歩も譲ることもなく。
 

 そうやって築いてきた関係。これが一緒に住んだらどうなってしまうのだろうか。不安ばかりが募り、全くといっていい程この話を良い方向へ考える事ができなかった。「嫌だよね……」そう言った沙奈の言葉に何と返したらいいのか分からない。二人の間の沈黙は溜まっていくばかりで、僕たちは次にどこへ向かっていったらいいのかも分からなくなってしまった。

「……住もうか」

全てを相手に委ねた訳じゃない、これは僕が考えた結果の答えの一つだった。

「住もう」

もう一度言った。沙奈は顔を上げて、僕をじっと見つめていた。「本当にいいの?」

「うん」

と返してから、僕は天井を見上げる。自分という人間を見る事はできない、だけど、その道標はきっと誰かが教えてくれるのだ。僕という人間の道を沙奈が新たに示した。そしてまた何か新しい自分が見えてくる可能性はあって、僕はそれを雑に扱うなんてしてはいけないと思ったのだ。僕はきっと新しい道を歩き始めていて、その先に、また自分という人間がいるんじゃないかって思う。

 話は随分と順調に進んで、それから一ヶ月後に僕は引越しをした。彼女もそこに合わせて越してきて、僕たちは同じドアがソーシャルとプライベートを分断する部屋で、生活を始めたのだ。

 日曜日。目を開けて隣を見ると、沙奈が寝息をたてていた。僕はこれからこの女性と暮らしていくのだ。そう考えると不思議にも思えた。こんな自分が誰かと一緒に住んでいるという事実が、少しおかしくも思えた。ただ、これは紛れもない事実であって、それに僕は沙奈の事が好きなのだ。

 沙奈はゆっくりと目を開けた。彼女も同じように、一度目を閉じてからまた開けて、今いる現実を確認しているようだった。

「あ、そっかー。引っ越したのかー」

そう言って、僕の体に腕を回した。そしてその後に「大丈夫かな?」と小さな声で言った。
 

 僕にその質問の答えができるとは思えなかった。だけど今はなんだか大丈夫な気がしたから「大丈夫だよ、きっと」と言った。


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