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北朝鮮のタブー

北朝鮮では触れてはいけない二つもタブーが存在します。
一つ目は、北朝鮮の初代主導者、金日成の正体。
二つ目は、現主導者である金正恩の母の正体。
二つとも金王朝と呼ばれる今の体制の土台を揺るがすものであるため、
北朝鮮では絶対に触れてはいけない話題となっています。

金日成になった男

北朝鮮の初代最高指導者は「金日成(キム・イルソン)」ですが、実はこれ、本当の名前ではありません。
彼の本当の名前は、

「金成柱(キム・ソンジュ)」

金成柱は、1912年平壌近郊の村、万景台(マンギョンデ)で生まれます。
彼の医者の息子で、両親はクリスチャンでした。
当時の平壌ではアメリカ人宣教師により、キリスト教が盛んだったようです。
ただ、父親が民族主義団体に参加したため逮捕され、出獄後は満州(中国東北部)に逃れて医者を続けていました。
そして1931年、満州事変が起こり、日本によって「満州国」が作られました。
青年になった金成柱は、中国共産党に入党し抗日運動の参加しました。
元々は南満州で朝鮮人が組織した抗日遊撃隊に参加していたのですが、中国人が総司令官を務める東北抗日連軍に統合されたため、中国共産党へ入ることになったのです。
ただ、この東北抗日連軍は日本の関東軍によって弾圧され、組織は弱体化。
関東軍に追われた金成柱は、ソ連へ逃げてしまいました。
そのころ、ソ連では日本との戦争を見据え、日本軍と戦ったことのある中国人や朝鮮人を集め、ロシア極東ハバロフスクに八八特別旅団を創設していました。
金成柱はそこでソ連軍大尉として、第一大隊を率いることになったのです。
しかし結局、金成柱は終戦までそこで訓練を積むばかり。日本軍とは戦うことはありませんでした。

戦後、朝鮮半島は北緯38度を境に南北に分けられ、北をソ連、南をアメリカが占領していきます。
このように南北をいったん分割統治し、ゆくゆく朝鮮民族による独立国家を作っていくのが国連の方針でした。
この方針に基づき、1947年11月に国連の監視下で南北総選挙を実施する予定が設定されました。
ただ、ソ連は当初から、朝鮮半島を自国の言うことを聞く「衛星国家」に仕立て上げようと目論んでいた。
その衛星国立ち上げのためにソ連が利用した男が「キム・イルソン」です。

さて、このキム・イルソンという人物は金成柱ではありません。
キム・イルソンというのは、朝鮮半島で抗日運動の英雄だとされていた伝説の人物です。
1919年3月1日から朝鮮半島で行われた「三・一運動」という日本支配に対する反対運動を率いた人物だと噂され、朝鮮半島各地や、満州でも日本軍と戦い、大きな戦果を挙げたとされています。
つまり、キム・イルソンというのは都市伝説のような人物で、実在したかどうかも分かりません。

ソ連はこの「キム・イルソン伝説」を利用しました。
伝説の男、キム・イルソンがトップに立てば、国民は従ってくれるだろうという算段です。
ただ、キム・イルソンというのは噂ばかりで身元がはっきりしない。
そこで、誰かをキム・イルソンにでっち上げようと考えました。
そして、ソ連大尉だった金成柱をモスクワに呼び、4時間に渡るスターリンとの面談を経て、金成柱が「キム・イルソン」に選ばれることになりました。
この面談の際、金成柱は緊張していたためひたすらスターリンの発言にうなずくだけだったと言います。
つまり、言うことを何でも聞く操り人形になりそうだと判断されたため、北朝鮮の指導者に選ばれたんですね。

実は金成柱は満州にいたころから「自分はキム・イルソンだ」と名乗っていました。
当時は「自分こそキム・イルソンだ」と名乗る将軍が何人もいて、彼もそれにあやかったのでしょう。
キム・イルソンという人物は言い伝えだったため、どんな字を書くのか分かりません。
そこで彼は、当初「金一星」という漢字を当てていました。
でも仲間に「数ある星より、1つしかない太陽になれ」と言われたため、「金日成」という漢字にしたそうです。

こういった経緯で、金成柱は生涯「金日成」に成りすますことになりました。
今までの経歴も、全て「金日成」の伝説に則ったものに改ざんされることになります。
1912年生まれなのに、1919年(金日成、7歳のころ)から始まった「三・一運動」の指導者ということにされます。
また、伝説によると金日成はずっと北朝鮮にとっての霊峰「白頭山(ペクトゥサン)」で日本軍と戦っていたことになっています。
しかし実際の金成柱は満州からソ連への逃亡人生を送っていました。
彼はソ連にいたころに結婚し、二人の息子がいます。
名前はキム・ユーラキム・シューラ。どちらともロシア名です。
ただ、それを公にしてしまうとソ連に逃げていた経歴がバレてしまう。
そこで、ユーラには朝鮮名の「正日」がつけられました。しかし、弟のシューラの方は朝鮮名が決まる前に、自宅のプールで溺死してしまっそうです。
よって、今ではシューラは存在しなかったことにされています。
白頭山には、「金正日が生まれた家」というものが建てられているのですが、それも伝説をこじつけるために後から作られたものです。

結局金成柱は、ソ連に逃げたため一度も日本軍とは戦っていません。
しかし、北朝鮮での伝記によると、金日成は1932年から45年までの間に10万回も日本軍との戦闘を行い、全勝したことになっています。
年平均で7700回。一日20回も戦闘してたんですね(笑)

1945年10月14日。金日成33歳のころ、ソ連に担がれた彼は平壌に戻り、ソ連軍を歓迎する式典に出席します。
このときに、金日成が演説をしたのですが、会場は大混乱に陥ります。
「伝説のキム・イルソン将軍」は、その経歴から年配だと思われていたのですが、実際の「金日成」なる人物は33歳の若造。
儒教を重んじる朝鮮人にとっては、頼りない年齢です。
さらに彼は長らく朝鮮を離れていたので、朝鮮語がたどたどしく、すぐに「ニセモノだ!」という声が上がってしまいました。
騒ぎはすぐに大きくなり、ソ連軍が威嚇射撃で鎮めなければならないほどだったと言います。

その後、ソ連は国連が主導する南北総選挙を拒絶。
そのため、南側だけで選挙が実施され大韓民国が創立され、北側でも選挙によって金日成をトップとした朝鮮民主主義人民共和国が作られました。
この時の選挙はソ連が選んだ金日成が確実に当選するよう操作されたもので、投票率100%、信任率100%と、すがすがしいほど不正と分かる結果となりました。

ウソにまみれた北朝鮮の歪んだ歴史は、このようにして始まったわけですね。
金日成が本物であるというウソを守るため、自分の名前はおろか、家族の名前や存在さえ消してしまった金成柱。
ある意味かわいそうな気もしてきますが、本当に悲劇的な目に遭ったのはこのウソを守るために粛清された人々や彼の政策の失敗で苦しんだ多くの北朝鮮市民でしょう。

そして金日成がニセモノであるというのは、現代にまでつきまとう問題です。
なぜなら、指導者は英雄の血統によってえらばれるので、金日成がニセモノなら今の金正恩体制の正当性まで問われてしまうからです。

金正恩の母

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