「なんとかなる」を誤解しない
よく「なんとかなる!」という言葉を使う人がいますが、それを言う人の中でも様々な人がいると思ったので、僕の考えを共有させて頂きます。
そして今回のキーワードは「運の要素を減らす」です。
※恒例みたいにキーワードを入れていますが、今回が初めてです。
全く気にせず読み進めてください。
「なんとかなる」の定義の違い
「なんとかなる」という言葉は同じでも、大きく分けて2つの捉え方があると思っています。それが以下の2つです。
楽観的→特に準備もせずに本番を迎えて「まーなんとかなるわ」
悲観的→思いつく限りの準備を施して「これだけ一生懸命やったからなんとかなる。失敗しても受け入れられる」
大きな違いは準備量だと思います。一生懸命準備したうえで、失敗したとすれば「準備の方向性が間違っていた。もっと次は○○しよう」というように次に活かせる反省が得られます。
しかし、大した準備もしないで失敗すると「次はちゃんと準備しよう」という程度の反省しか得られません。それだと同じことの繰り返しになるだけで永遠に進歩しません。
だから徹底的に準備したうえで「なんとかなる」と考えることが大切です。
再現性が低い
先ほどは準備をせず「なんとかなる」と考えて、失敗した例をあげましたが、成功する場合もあります。それが結構厄介で悪い方向に進んでしまっていることに気づけません。
なぜなら準備せず成功した時にもう一度同じ成功を繰り返す難易度はかなり高いからです。準備をせずに成功した時は、運の要素がかなり大きいですが、運は意図的に操作できないので、同じように成功を収められません。
それに対して、1度準備した上で成功していれば、その前回と同じ準備を今回もすれば良いだけなので、再現性が圧倒的に上がります。
また前回と状況が変わっていたとしても、その分修正するだけで済みます。しかし、準備量がなければ再度1から組み立てなければなりません。
だから準備をすることは大変かもしれませんが、再現性をあげられるので、長期的に考えると楽な部分が増えていくはずです。
おわりに
今回は「なんとかなる」という言葉がテーマでしたが、最近のミセスにケセラセラという曲がありますが、ケセラセラはなるようになるさというスペイン風の造語だそうです。
(めちゃくちゃ良いMVなので是非見てください!)
『日曜日の夜くらいは…』というドラマの主題歌に起用されていたりして、一生懸命頑張っているけど、結果が出なかったりして、自分を認められなくて辛い人に送る歌なのかなと思います。
とてつもなくいい歌です。様々な辛いことがありますが、僕も「生まれ変わるなら、また私だね」と思えるような人生を絶対に送りたいです!
なるようになります!読んでくださりありがとうございました!
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