潰瘍性大腸炎になった話
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潰瘍性大腸炎になった話

友護 | yugo


とにかく自分の感覚に嘘をついてきたと思う。

Drop out
って言葉が1番似合うなと思った。


こんばんは、友護です。
久しぶりやんって方が多いんじゃないかな。笑
皆さん元気してますか。


タイトルにある通り
潰瘍性大腸炎になり2週間入院をしていました。
いわゆる指定難病ってやつで
下痢や血便、発熱を伴う病気です。
(安倍前首相でググってね)
それに伴う貧血で赤血球の数値が5.4(7切ったら輸血)
という状態まで進行していて最終的にぶっ倒れました。

なぜこうして書いているかというと
入院を心配してくれる声や元気してる?
みたいな連絡がちらほらきていたので
最近の近況も含めて報告できたらな
と思い投稿しています。

書くことに躊躇いもありましたが
これはある意味自分のために書いてる要素もあって。

病気のことも然り
無駄なプライド持つことや
真面目風に生きるのがしんどいなと。
自分で作り上げたパブリックイメージに
押しつぶされるくらいなら
今の自分を知ってもらうほうが
肩の荷が降りて楽になるってわかったので
赤裸々に書いています。

ここではなぜ潰瘍性大腸炎になったのかについて。
次の記事ではその根本的な原因にもなってる
自分の性格(HSP)について書きます。
拙い文章かもしらんけど、最後まで読んでくれたら
嬉しいです。(捉え方は人それぞれなので任せます)


堅苦しいのは読みにくいので
ここからはフランクな感じで◎

経緯から話すと約10ヶ月前?から
血便が出るようになって。
ちょうど退職を考え出した頃やったかな。

当時は市役所に勤めながら
何か自分でできるビジネスはないか?
模索している最中で
神戸で仕事が終わったら大阪に行って
終電で神戸に戻る生活を繰り返していました。
もうこの時点で身体はサインを送ってくれていたんだな
と振り返れば思います。
(まじで俺の身体ごめん。笑)

特に腹痛がしんどいこともなかったので
いつもの便が血便に変わるだけや〜
ストレスか痔が原因で今の生活が落ち着けば治るやろ〜
くらいに思ってました。
というか言い聞かせてたところもあるかな。
当時の係長が体調のことも仕事のことも
よく心配してくれてたなあと思う。

もちろんそこからよくなるわけでもなく
市役所を3月末で退職。
ビジネスの世界に飛び込みました。

そもそもなんで市役所を辞めたのかって話なんやけど
結論、どうしても自分の力で将来の家族を何不自由なく
養いたかったから。

「公務員やったら安定やん」
って思われるかもしらんけど
自分のものさしで測ったときに
ある程度の妥協が必要やなって感じてしまって。
(安く定まると書いて「安定」ってよく言われるんやけど)

目の死んだおっちゃん達からは
公務員結婚するor収入のいいお嫁さんと結婚して
ダブルインカムで年収1000万円を狙う
っていう他力本願なライフプランを教わったり。

そういう生活スタイルを否定するわけじゃないし
正直向いてる人もいると思う。
今なら公務員を続けながらの生活や結婚
っていうライフプランもありやなって考えることもできる。なんなら大好きな同期が結婚していくのはほんまに嬉しい◎

ただ当時の僕は奨学金があることで
経済的なコンプレックスがあったし
日本の経済状況や年金問題を考えると
自分の家族には経済的な不自由を与えたくない
って思いがありました。
不確定な将来のことばっか考えていたなと思います。

たまに僕のことを夢ややりたいことがあってすごい
みたいなことを言ってくれる友達がおるけど
全くそんなことなくて。笑
どっちかというとマイナスな面や
危機感から動き出しただけの人間です。

経済的な自由を手に入れたい!よりも
経済的な不自由をしたくない…の側面が強いイメージ。
今では色んな人に出会って
自分のやりたいことが見えてきたけど
元々はそんなポジティブな理由で
動き出したわけじゃないんやでってことが伝われば嬉しい。

公務員の時の話に戻ると
職場にはいい先輩もいたし
かっこいい上司も稀にいた。
特に同期に恵まれたことはほんまによかったと思う。
今でも飲みに誘ってくれる野郎どもが
いてくれるおかげで帰る場所がある感じ。
見てるかわからんけどいつもありがとう。笑

2年っていう短い期間やったけど
SNSの写真担当させてもらったり
市のポスターに自分の写真が使われたり
嬉しいこともありました。
ただ年功序列で部下を持っているだけの上司を見るのも
仕事の愚痴をお酒のつまみにする先輩と飲みに行くのも
フラストレーションが溜まる要因でしかなかった。
もちろん理不尽なクレームも。笑

結局「ひとがいい」って言われる人達が潰れていくのを見て
「なんでやねん」としか思わんかった。

そんな環境に嫌気がさして
自分の身を置く場所を変えたいなと思った時に
ビジネスの話が友達から流れ込んできました。
迷いに迷ったあげくタイミング的にも今なんかなって
思って辞める決断をしました。
ほんまに何ヶ月も悩んだ末にした選択やったから
後悔は全くない。
ただ今の自分に相談してたら
「まだ早いやめとけ」って言うてるなと思います。笑

友達から流れ込んできた話ってことで
察しのいいひとならわかると思いますが
そういうやつ。
(このことも後日、面白おかしく書きます)

ビジネスについては初心者やったし
その頃の自分は何かしないといけないって
生き急いでたなと思います。
今考えればもっと色んな事業を見たうえで
判断できたな。

やっすい台詞やけど
そこからは本気で人生を変えよう
ってある種自分を洗脳して必死に取り組みました。

今までの自分やったら
絶対に付き合わんような人たち(ハイブランド系)
とも無理して付き合っていったし
セミナーとかアフターとかいう
なんも面白くない居心地が悪い場所にも積極的に行った。
気に入られる自分を演じて
目に留めてもらうこともよくあった。

とにかく自分の感覚に嘘をついてきたと思う。

ほんまは同期と仕事終わりに飲みに行きたかったし
週末は好きな服着てカフェでゆっくりしたかった。
職場のお母さんみたいな人とランチ行くのも
気の遣わん大学の友達とはしご酒するのも
何かを頑張ってる友達の話聞くのも
幼馴染と朝まで音楽に溺れるのも
大切なひとを写真に残すのも
全部自分にとって大好きな時間で。

そんな些細な日常よかったはずやのに
そんな些細な日常よかったはずやのに

将来のためって言い聞かせて
身近な友達や家族
支えてくれる大切な人との
時間や関係をも無下にしてしまった。
もっと目の前の人との時間を大切にできたなと本気で思う。

そんな生活を1年ほど続けて残ったのは借金だけ。
気づけばスーパーの惣菜コーナーで働いてて
あれ、俺どこで間違ったんやろうって。笑
Drop outって言葉が1番似合うなと思った。

『よくできる』しかない通知表。
運動会はリレーのアンカー。
負けたことがないマラソン大会。
泣きながらやり抜いたサッカーチームのキャプテン。
ベンチやったけど大阪ベスト4で終わった高校サッカー。
何度もSNSでフィーチャーされた写真。
大学の卒業式にもらった学部長賞。
家族や親戚がとても喜んだ公務員という道。

過去の栄光でしかないけど
どこを切り取っても誇れるように歩いてきたつもりやし
各ステージで結果を残してきた分
根拠のある自信に溢れてた。
そんな自分がここまで落ちるか〜って。笑

どんどん自分の心が貧しくなって
検索履歴にはとか適応障害っていう言葉が並んで
メンタル的にも限界のところまできてたなと思う。
今こうして書いてる分には振り切ってるし笑える。
てか笑ってくれとしか言えん。笑


そんな状態やったこともあってか
ある日を境に日常生活に支障が出てきました。
ちょうど8月の頭くらい。

ただ血便が続いてただけやったのが
お腹の痛みが出てきて。
軽い痛みならまだしも
耐えられへんような痛みに。
その回数が日に日に増えて
1日に10回とかトイレに駆け込むようになって。

さすがに病院で診てもらったら
「過敏性腸症候群」じゃないかって言われて。
(ストレス性の下痢や便秘を繰り返す病気)
確かにその時の精神状態からも納得できたし
なんならその先生にはいつも人生相談してたから
自分の状態をよくわかってくれてるなと安心すらした。

ただ病状は一向によくならず。
今の生活を抜け出せれば治るって思ってたんやけど
仕事に支障をきたすし
帰っても寝ることしかできやんし
体力が落ちていくのが自分でもわかった。

思い通りに身体が動かんもどかしさ
何かをしようと思っても邪魔してくる倦怠感
そんな自分がダメな人間なんやって
起きてる間は毎秒のように考えてしまう負のループ

こんな人生ならいっそやめてしまったほうが
ましなんじゃないかって何度も思ったし
生き甲斐が何もなくて怖いものだらけやった。
自殺から引き留めてたのは
母さんを悲しませたくないっていう思いと
死んだところでさらに迷惑をかけるだけやな
っていう気持ち。

そんな母がたまたま泊まりにきたことがあって。
トイレに行く回数や身体の動き
顔色を見て異常を感じてくれて。
「もう一度病院で診てもらおう」
と言ってくれたのが10月中旬。
自分的には過敏性腸症候群と思い込んでたから
ストレス性のもんどうもできひんやろって思ってたけど
この一言がなかったら極度の重症に至ってたと思う。

病院に行って採血をした段階で
異常は目に見える形で数値に出てた。

そこからは翌日に即入院。
この歳で入院を経験することになるとは
思ってなかったから正直驚いたな。笑

ただこの入院がなかったら
今も苦しんでどうしようもなくなって
立ちすくんでたと思う。

ただこの入院で気づけたこともたくさんあった。

特に色んな人に助けられた2週間やったと思う。
毎日しょーもないLINEをくれる幼馴染や
俺が好きそうな音楽を送ってくれる親友。
退院したらご飯行こうって誘ってくれる友達。
しんどい顔見せずに支えてくれた母。

基本的に人って他人に興味ない生き物って思ってるけど
それでもなんか気づいてLINEやDMを送ってくれる子らは
すごいな〜優しいな〜って涙が出そうになった。
と同時に逆の立場になったら自分もそうありたい。
優しい人でありたいって思った。
大切な人・大切にしたい人が明確になった時間やったなと。


自分の感覚を取り戻せるように
自分なりに工夫もした。

朝起きてベッドメイキングして
朝日を浴びながら白湯を飲む。
軽く腹筋したら朝食まで今日1日をどう生きるか考える。
朝食を食べてシャワー浴びて身支度したら
本を読みながら気になるワードをメモに残して
今日の糧にする。
そこからは写真のことやコーヒーのこと
金融のこと今自分が気になってることを勉強する時間。
好きな音楽を聴きながらこうして過ごしてると
自然と心の状態もよくなっていった。
(the・丁寧な暮らし。笑)
ただこうやって過ごせたのは1冊の本に出会ったから。
デール・カーネギーの『道は開ける』
有名やから知ってる人も多いと思うけど
俺はこの本に救われたって言っても過言じゃないくらい
手放されへん1冊になった。
もともとは社会人1年目の時に先輩が貸してくれた本。
全く今まで読んでこんかったんやけど
何故か入院が決まる直前に読み始めて。


今日というひと区切りを生きる。
今までは今日の皿も昨日の皿も
まだ汚れていない未来の皿まで一気に洗おうとしてた。
今日を生きる云々より明日の不安が勝ってた。
どこから手をつけていいかわからんかった。
明日はどんなクレームを言われるんやろうとか
まだ起こってもないことで
頭がいっぱいになってたように思う。
気づけたのは毎日少しずつ洗うようにすること。
今日という1日をしっかり生き抜くということ。
それがわかってからは今日という1日に向き合った。
その結果がこうして自分の気持ちをさらけ出すことができる
勇気にもなったんやと思う。


この経験が誰かのきっかけになれば俺は嬉しい。

治療は続くし完治もせん。
ここまで身体を蔑ろにしてきてごめんって気持ちと
ここまでで耐えてくれてありがとうって気持ちの
両方を大事にしたい。
自分の感覚も嘘をつかずに大事に。

俺は強い人間ではないけど
誰かを護れるような優しい人でありたいと思う。
目の前の人を護れるくらいには。
そのためにはまず自分のコップを満たすことが必要って
ことも重々承知。
ただいつかはこの経験が糧になって
誰かのコップに少しでも水を注げる日がきたらいいな
と強く思っています。

めちゃくちゃ長くなったけど
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
結局退院のところまでの報告になりましたが
今はスーパーとカフェで働くことができてます。
(身体が動くって嬉しい…!笑)
これからどんな風に写真の活動をしていくのか
模索中ではありますが、それも追々。

あと12月はInstagram毎日投稿します。
ここで宣言しないと自分でもやらない気がするので。笑
ガラッと雰囲気変わるので楽しみにしていてください◎

ほんまにレポート並に長くなったな。笑
ではこの辺で、おやすみなさい。

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photographerになるまでの日々。