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データ革命の近代サッカー、どこまでピッチレベルを可視化する必要があるのか


最近のスポーツ界では、データを駆使した分析や戦術も活用が当たり前になってきている。AI、機械学習等の最新技術が全て分析して

・パスやシュートの成功率
・走行距離
・プレー範囲
・インターセプト数
・チャンスが多いシーン
・ミスが多いシーン
・プレー選択のクセ

このようなデータを取り入れて、平均的に「このようにプレーすれば勝率が上がる」と分析が可能な技術レベルになってきている。とても便利で、相手を知るためには必要な技術の1つだと思う。

でもデータに頼ることが全てではない。そもそもサッカーはスポーツの中で最も自由度が高いスポーツで戦術や個人のプレーレベルや選択肢は無限にある、そこに制限はないからだ。



■サッカーにおけるデータの基準とはどこなのか

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スポーツの中でも「野球」はデータを最も駆使するスポーツだと思う。打率など、昔から馴染みのあるデータの1つでサッカーに例えるなら「セットプレー」と同じ。

それと比べてサッカーはどこを切り取りデータにすればいいのかまだ定まっていない。データの基準がなく、自由度の高いプレー中には選手の感覚でのみ感じられる世界もある。このデータを言語化して可視化することは難しいのではないか…

実際分かりやすいデータでいうと「走行距離」があるが、1つの情報にしかならず、戦術を変えるほどの重要さはそこにない。また「ポジショニング」のデータにおいて考えるとき「プレーエリア」をデータ化してもそこから得た情報を戦術に組み込むのも難しい。

上記でも伝えたが「自由度」が高いスポーツの中で毎試合状況は変わり、臨機応変に対応する能力が大切になる。傾向を知ることができても、それもただの情報にすぎない。


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データの基準について、岩政大樹×西内啓の対談から引用して考える

西内:ポジショニングはただこの位置にいればいいというものではなくて…
あくまで相手との…
岩政:そうそう
西内:しかも周りのチームメイトとの関係を含めて、ポジショニングの良さって何かと考えたら、一応定義に基づいて、その選手が良いポジショニングにいたという率は計算できるはず。ただ、少なくとも表に出ている情報として、それに成功して活かせているチームは世界的に見てもない気がする。
岩政:それはポジショニングの正解、戦術が論理的に決まっている監督でないと定義できないですよね?
西内:それもありますが、そうでないやり方もあります。

チームに「共通の定義」を作ればデータはとれると言っています。例えば「プレッシャー」においての定義を

1. どこまで近づいたらプレッシャーか
2. ボールが飛んできた位置から走る余裕のある時間を出す。そしてプレッシャーをかけた人数を割り出す

これを「定義」にすればプレッシングにおけるポジショニングのデータは出せます。またプレッシングにおいて重要になる要素は

・角度や立ち位置
・プレススピード

このようなデータが取れれば、チーム内で比較ができ可視化することでより共通理解が生まれやすい。


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ではフランス代表のカンテはなぜすごいのか。カンテの良さをデータ的に数値化出来るのか。勿論、インターセプトやボール奪取率をデータにしたら他選手より凄いとは思うが、ポジショニングや危機察知能力、野性的感覚も含まれているように感じる。また、ピッチにいるチームメイトや相手を広い視野で見る能力や、試合の流れを掴む能力など、細かい部分があるはず…

このような能力を、言語化して定義が出来ないと「カンテが何故良いのか」が伝わらない。

試合展開を含めた諸々の状況が、毎試合、毎分、毎秒とガラッと変わるサッカーの中で「プレッシング」において定義は難しい。それが上記でも話した「1つのチームの中での共通の定義」にしたら分かりやすいがチームによってスタイルは全く違う。そもそもプレッシングをメインにして戦わないチームにおいてこの定義はあまり効果がない…


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■データのみでは成長は無い

医学的観点から例えるなら、近代サッカーは西洋医学(近代医学)のような傾向がある。データを駆使して病気や症状を発見。そのデータから「このような戦術が良い」というように処方していくスタイル。

ただこの西洋医学だけでは見つからない病気も多くある。レントゲンをとってもどこも異常が見つからないが、患者はどこからどう見ても体調が悪いように見える。

上記で話した「プレッシングの定義」から説明するならプレッシャーをかけた位置、スピード、人数も多かったが➡ボールは奪取できない、攻撃に繋がっていない状態

プレッシングの定義からすれば良い結果かもしれないが、それが「勝利の確率を上げるための有益な情報」にはなっていない。

つまり、西洋医学的な近代サッカーには、欠点があり、より自由度が高いサッカーにおいてデータだけに頼ることは非常にナンセンスではないのか…

プレッシングをする選手の心理的状態はどうだっかか、状況を正確に判断出来ていたか、相手の表情や雰囲気、フェイクを入れていることに気づけていたか。色んなデータだけでは分かりにくいとこまで勝敗に左右するサッカーにおいて、「感覚」「雰囲気」「精神面」など可視化しにくい要素も重要になる

東洋医学では、人の身体の故障した場所にとらわれず、身体全体の調子を見て診断し、1人1人の身体の個性に合わして治療を行う。ミスが多い選手に対してデータに基づいた一般的に良いとされるような指導を行ってもミスが減らない選手でも、ちょっとした一言でプレーがガラッと変えあることがある。

中医学などの「ツボ」や「経絡」といったところに針を打ったりする箇所は、まったく症状とは無縁の箇所だったりするが体調が良くなったりする。インド医学のアーユルヴェーダでも3つのド―シャとわれる体質のバランスを整えることで健康状態を診断する

このような東洋医学的な思考がサッカーにも必要では。プレッシングにおいても単純にスピードだけではなく誘い込むテクニックや、素振り1つでボールを奪取する能力が上がる。これはデータだけでは分からないところでもあり、だからサッカーは難しく、奥が深いところ


今後のサッカー界においてデータは必要不可欠だが使い方が大切になってくる。

1. データの基準設定と共通理解
2. データでは伝えれないことの言語化

この2つを正しく出来れば、よりデータ使ったサッカーが進展するのでは


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川畑悠吾
1994年生まれ(25歳)/東京都出身/海外プロサッカー選手/メンタルアドバイザー資格保持/全米ヨガアライアンス(RYT200)保持/サッカーをメンタルやヨガ哲学から考える『哲学とサッカー』無料マガジン公開中

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