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好きな事を仕事にする

以前に好きな事を仕事にすることについて話した。僕は運よく海外でプロサッカー選手になれたが、皆が好きな事を仕事に出来るわけではない。それは圧倒的な努力をしたとしても。

僕は好きなサッカーを仕事にしているが、生活が懸かっているので趣味の時とは違い、発言や行動、あらゆる責任が変わってくる。ある程度の社会的な所要範囲の中で本来の自分を矯正していくこともある。

海外では外人になるのでローカル選手やスタッフに対して好き勝手なことを伝えても、文化や育ってきた環境が違うのは当たり前にある。僕の当たり前や、良かれと思いとった行動が裏目に出ることもある。「好きな事を仕事にする」とは、好きな事の中での活動を、外的要因により規制され妥協することでもある。

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今回は上記の著書から夏目漱石の考えを思考していく

夏目漱石は講演「道楽と職業」のなかで、「道楽」をしきりに讃美していた。ただし漱石が言う「道楽」とは、世間で言うそれとはちょっと違っている。漱石が「道楽」と呼んでいるのは「生き甲斐としての、自分自身が心から納得できる仕事」のことだ。そして「職業」とは、自分のためではなく他人のためにする仕事であり、報酬を得ることを目的にした仕事にほかならない。そうした「職業としての仕事」について次のように話している

「そこでネ、人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。(中略)人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短かに述べれば人のご機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばといい変えてもさしつかえないくらいのものです。(中略) 怪しからぬと思うような職業を 渡世 にしている奴は我々よりはよっぽどえらい生活をしているのがあります。しかし一面からいえば怪しからぬにせよ、道徳問題として見れば 不埒 にもせよ、事実の上からいえばもっとも人のためになることをしているから、それがまたもっとも己れのためになって、もっとも贅沢を極めていると言わなければならぬのです。道徳問題じゃない、事実問題である」(夏目漱石「道楽と職業)著書からの引用文

「好きなこと」という漠然とした概念で括られるような仕事は、それなりの才能と努力を抜きにしては、成立しない。これははっきりしているが、才能があれば必ず成功するとは限らない。むしろその反対に、才能があるからこそ、職業としては成り立たない危険性だってあるのであるのが事実である。

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僕は多くの好きな事を仕事にしている人を見てきた。プロサッカー選手をしている人たちは皆それだと思う。その中で息が長い選手と、結果が出ず引退していく選手も見てきた。

プロになるのも、そしてそれを続けていくことがいかに難しいものか。僕自身プロ1年目が終わった時に来季プレーするチームを失った経験がある。理想と現実を見誤っていて、客観視できていなく、本来の自分を今以上に知らなかった。また、あらゆることに対して受け入れることも出来ていなかったため、チームを失ったように思う。

「好きな事を仕事にする」ことは今までの自分の現在地より成長し続ける必要がある。当たり前に評価を常に受け続け、それを更新する。そのためには自分を知り、あらゆる評価を受け入れたなかで、思考し努力をするほかないように感じる。

そして好きな事を好きであり続けることを「わがまま」「自己中心的な考え」では無い。自分の欲に忠実である中で、自分の理想のために思考し、目標に向かい努力した先に見えてくる。

川畑悠吾
1994年生まれ(26歳)/東京都出身/海外プロサッカー選手/メンタルアドバイザー資格保持/全米ヨガアライアンス(RYT200)保持/サッカーをメンタルやヨガ哲学から考える『哲学とサッカー』無料マガジン公開中

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