見出し画像

「みんなの為」に頑張る事をやめてみる。

おいでなんし~!バーチャル花魁の由宇霧と申します!
わっちは2年前からYouTubeを中心に「しくじり性教育」というコンテンツを発信しています。
資格をもっていない、ただエロで色々しくじってきただけの花魁が自分の失敗やその中で得た知識を共有するのも一つの性教育になるんじゃないかという発想から生まれたスタイルです。

『正解』っていうのは、立場や環境によって変わるから統一するのは難しい。
だから押し付けず、各々のフィールドを尊重して棲み分けられたら良いんじゃないかなと今は思う。
ただ『知らなかった』『考えなかった』事で傷ついて自分は後悔しているから、あの頃の自分が欲しかったコンテンツを作ってる。

由宇霧のチャンネルは「直接的な性的満足を満たすコンテンツ」とカテゴライズされているため広告収入がないのですが、それがなくてもYouTube動画を作り続けられるモチベーションってたぶんこの「過去の自分を助けるため」っていう超個人的な部分で、
でも不特定多数の人に見られるからには責任も持たないといけなくて、そのための取材費とか維持費をファンクラブで助けてもらっているというイメージかもしれない。

もちろん「性の事で悲しむひとが1人でも減るように」っていう想いには変わりはないけど、何に悲しみを感じるのか何で傷つくのかっていうのは人によってかなり違うとこの2年で感じました。

「見えない誰か」「具体的ではないみんな」のためにいくら頑張っても「その人」が実際に居るかどうか、救えてるかどうかは判断するのがむずかしいし、そもそも「救い」や「痛み」なんて人によって違うんだから自分が思う「正解」を握りしめて色んな人に配るのはなんか間違えてるような気がしてならなくなってきた。

きっとわっちのような後悔や葛藤を抱えて生きている人はこの世にいると、見えないけどそれは感じていて、そういう人にとってはわっちのコンテンツは共感できて、共感は癒しになると思うんです。でもその人に向けてやっても返事がくるとは限らないしそうなると見返りを求めないつもりであってもどこかで無視されているような気持になってしまって悲しくなるって気づいた。

それで何を作ったら良いかわからなくなったし、作る事が楽しくなくなっていた。

だからまずは「あの頃の自分」と応援してくれている人の為にやってみようと思う。

わっちが出すコンテンツに対して

「わかりずらい」「面白くない」

って言われたって気にしない。

まずはあの頃の自分のため、それを理解して応援してくれる人のためにやってみる。

そうすれば、つくるのはきっとたのしい。

これに共感してくれる人がいたら、一緒に歩もう。


このnoteに頂いたご支援は、活動費用として大切に使用させていただきます♨️